前王の白き未亡人【本編完結】

有泉

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127 魔術と騏驥

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 レイゾンは、もう何度も繰り返した後悔にきつく目を瞑る。自分の愚かさに吐き気がする。”あんなこと”をしておいて、白羽を側に置けたらと希望を抱くなど厚顔無恥にもほどがあるというものだ。

(やはり、鞭は白羽の騎乗のことは考えないものにした方がいいだろう。今からまた調整しなおしてもらえるように頼めるだろうか……)

 思い出したくない思い出から逃避するかのように、レイゾンは先刻の工房でのやりとりに意識を向けかける。しかし、サンファの言葉で引き戻された。

「——はい。ですから、それがおかしいのです。わたしは、ずっとそのことが気になっておりました。なぜレイゾンさまは、とりわけ強固な結界が張られているはずのあの場所に辿り着けたのだろうか。どうやって辿り着いたのだろうか……と」

「……なぜと言われても……辿り着けたから辿り着けたとしか言えぬ。それに、お前だって後からやってきたではないか。強い結界だと言われているだけで、実際はさほどでもなかっただけではないのか。だいたい、それがど——」

「わたくしは、シィンさまの騏驥と一緒だったから辿り着けたのです」

 話の先が見えず、苛立ちかけたレイゾンの言葉を遮るように、サンファが言った。
 彼女はじっとレイゾンを見て続ける。

「わたくし一人では、到底辿り着くことはできませんでしたでしょう。あの騏驥がいたから叶ったのです。シィンさまの騏驥であり、おそらくは……殿下由来のものを持っていたに違いないあの騏驥が先導してくれたからです」

「…………」

「おそらくは、彼の持つ何かが符や石の代わりとなって結界を解いたと思われます。王太子であり、自身もまた相当の魔術力を持つシィン殿下が授けたものであれば、それは充分に結界を解く力を持ちましょう」

「俺は……そんなものも、持ってなかった……ぞ……?」

 レイゾンの言葉に、サンファは頷く。そして言った。

「……それで……思ったのです。もしかしたらレイゾンさまは白羽さまと共に過ごすうちに、その影響を受けられたのでは……と」

「? どういうことだそれは。白羽が俺に何の影響を与えたというのだ?」

 レイゾンは眉を寄せる。
 と、サンファはレイゾンを見つめ、白羽を見つめ、レイゾンに目を戻して続けた。

「レイゾンさまが魔術についてどの程度ご存じかはわかりませんが……魔術には先天的な素質の部分と、後天的な——いわゆる訓練によって伸びる部分とがあります。もちろん、素質が全くなければどれだけ訓練しても会得することはできませんし、人によっては魔術に適さない体質を持つ者もございますが……。素質を持つ者の場合、後の訓練によってそれを大きく伸ばすことも可能になります。そしてその際、大切なことの一つが、誰に教わるかです。力を持つ魔術師は知らず知らずのうちに周囲に影響を与えますので……」

「…………」

 レイゾンは無言で頷いた。そこまではレイゾンも知っていることだ。
 だからレイゾンはなんとか騎士になることが出来た。遠い祖先に魔術力を持った者がいて、その遺伝によって魔術の素質を持ち得たからだ。同時に、だからレイゾンの魔術は他の貴族の子弟たちに劣っていた。
 彼らは生まれた時から魔術や魔術師を身近にして暮らす。そのためレイゾンよりも遥かに魔術に触れる機会が多く、会得する機会が多い。そしてそんな小さな積み重ねは、やがて大きな差になる。

 だが——。とレイゾンは思った。
 だが、なぜ今そんな話を?

 疑問を抱きつつサンファを見つめたレイゾンに向けて、彼女は微かに頷く。
 そして、慎重な口ぶりで続けた。

「白羽さまは……おそらく何かしらの魔術の影響を受けておられます。推測するに、亡き陛下のお側に長くいらしたためかと。……そしてレイゾンさまは、そんな白羽さまの影響を受けられておいでではないかと思うのです。だからこそ、何も持たずして——そのお身体一つであの場にたどり着けた——結界を解くことが出来た……。そして、レイゾンさまが先ほど仰った、白羽さまの思っていることが伝わってくるということも、このことが影響しているが故ではないか……と」

「そ……」

 そんな馬鹿な、と言おうとしたのか、そんなわけが、と言おうとしたのか。
 いずれにせよ、あまりの驚きに一声零したきり声が出なくなった。

(白羽が魔術? しかもその影響が俺に?)

 考えもしなかったことだ。
 自分が魔術に疎いことは自覚している。騎士になりたいと思うまで、それについて深く考えることもなかったためだ。
 騏驥と同じようにこの世に存在していると知ってはいても、自分にとってはどこか違う世界のもののように感じていたためだ。
 騎士になるためにはそれが必要だと知ってからは、なんとか自分の中にある素質を伸ばそうと必死になったが、学び始めたのが遅かったために身につけられた魔術は最低限のもの。騏驥に騎乗する分には問題ないが、それ以上のことは未だ充分ではない状況だ。符や石の使い方も全て習得できていないし、できるかもわからない。
 ——そんな程度の魔術しか使えない身——だったはずだ。

 それなのに。

(俺に……)

 何か変化が起きているというのか。白羽とともにいたために。
 だから白羽の考えていることが……?
 
 レイゾンは思わず自身の手を見つめる。
 しかし直後、はっと気付いた。

「っ……だ、だがお前はさっき、白羽に特別な能力はないと言ったではないか。なのに——」

 そう。——そうだ。
 ついさっき、サンファは白羽についてそう言ったはずだ。なにもない、と。レイゾンが尋ねた時に。なのに——。
 思い返しながらレイゾンが見つめると、サンファは微かに両の口の端を上げ、微苦笑に見える表情で言った。

「確かに——そう申し上げました。先刻のように、レイゾンさまがなぜそんなことをお尋ねになるのかわからない状況では、この推測を申し上げるわけにはまいりませんでしたので……。騏驥が魔術の影響を受けているなど、迂闊に申し上げられることではございません。——わたくしは白羽さまの侍女。白羽さまをお守りすることが一番の務めでございます」

「…………」

 要するに、レイゾンが質問した意図がわからなかったために、警戒して秘密にしようとしていた、というわけだ。白羽を護るために。
 
(やはり一筋縄ではいかぬ侍女だな……)

 レイゾンは目を細めて睨む。が、サンファは涼しい顔だ。罰を受けることも厭わないという様子にレイゾンは胸の中で舌打ちする。が、サンファの配慮を理解できないこともない。
 彼女の推測が当たっているなら、白羽はひどく特異な騏驥になる。
 あくまで"推測が当たっていれば"だが、普通の騏驥は魔術の影響を受けることはあっても、魔術を使うことも、周囲に影響を与えることもないのだから。
 
 レイゾンは再び白羽に目を移す。
 いずれにせよ、白羽が目覚めなければなにもわからない。
 目を覚ました彼と話をして、確かめてからでなければ。

 にしても——。

(本当に結びつきの強い関係だったのだな……)

 以前の主とは。
 レイゾンは改めて思う。思い知らされる。
 
 前王の魔術力が並外れて大きく優れていたということは、以前会った魔術師も話していたことだ。しかし白羽にまで影響が及んでいたということは、二人の結びつきがそれほど強固だったということだろう。
 互いを大切に想い合っていたいたからの結果に違いない。お互いをかけがえのない存在だと——そう思っていたからこそ。

 身体こそ繋がっていなくとも、それ以上の強さで繋がっていたのだ。
 ——二人は。
 この騏驥と、その主は。

(俺とは違って……)

 レイゾンが顔を曇らせかけた時。

「……レイゾンさま……ひとまず部屋でお着替えになられては? ここはわたくしが責任を持って——」

 サンファから、やや控えめに声がかかる。が、レイゾンは「いや」と首を振った。

「そんなものは後でいい。それよりも、白羽が目を覚ました時にそばにいてやりたいのだ」

「…………」

「俺をこの部屋から追い出したいか?」

 揶揄するように言うと、サンファは苦笑して首を振った。

「いえ……それではこちらに着替えを持ってくるように伝えましょう。お出かけのご恰好のままではお過ごしになり辛いかと……」

 そして静かに部屋を出ていく。

 レイゾンはその背を視界の端で追い、自身の格好を改めて見て苦笑した。
 着替えのことなどすっかり忘れていた。
 白羽に絡んでいた騎士たちに言い返したことも、今思えばずいぶんと大胆なことをしたものだ。
 結果、どんな噂を流されるかもわからないし、どんなに立場が悪くなるかもわからない。
 ——それなのに。

 あのときは白羽を守りたい気持ちしかなかったのだ。

「白羽……」

 レイゾンは、まだ目を閉じている白羽を見つめる。
 美しい騏驥。そして——不思議な騏驥。こんなにも心を捕らえて離さない。初めて会ったときから。一目見た時から。
 
 レイゾンは白羽の頬に手を伸ばす。滑らかなそこに指先でそっと触れようとして——寸前でその手を止めた。
 触れれば、また彼の気持ちが流れ込んで来るかもしれない。
 彼の漂う夢を知るかもしれない。
 彼の見る夢。そこには——その中には……。

 レイゾンの耳の奥に、以前白羽が零した微かな声が蘇る。自分のものではなかった名前。

「…………」

 レイゾンは静かに手を引くと、黙ったまま、ただ白羽を見つめ続けた。
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