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116 買い物へ向かう騎士、待っている騏驥
しおりを挟む『なるべく早く終わらせるつもりだが、場合によっては少し時間がかかるかもしれぬ。……そのつもりでいてくれ。車で休んでいてもいいが、退屈なら、この辺りをぐるりと周ってもいい。一区画ずつなら自由に歩き回れるはずだ。——サンファ、白羽のことを頼んだぞ』
レイゾンはそう言うと、店の前に停めた車から降りて鞭職人の店へと入っていく。
大きな通りから少し入ったところにあるここは、店舗というより工房のようだ。茶色っぽい暖簾のかかっているため辛うじて店なのだろうと想像できるが、一見しただけではなにをやっているところか解らず、目立たない。
けれど辺りに微かに香るその革の匂いは、白羽にも覚えのあるものだ。レイゾンがいつも仄かに漂わせている、彼に馴染んでいる香り。騎士なら皆そうなのだろうか? 甘いような、どこか懐かしいような、そんな香りだった。
白羽はレイゾンの姿を車中から見送ると、ふっと息をついた。
いつしか身体中が強張っていたようだ。一人になると、ふーっと力が抜ける。緊張が和らぐ。
レイゾンと一緒が嫌なわけじゃない。この外出も思いがけず楽しかった。
なんとなく彼との距離感が掴めず困ることはあっても、雰囲気は和やかだったと思う。彼の気遣いで予定外の買い物をしたときも。
けれど、先刻のやり取りからというもの、二人の間に会話らしい会話はなく、ここまでの道中は、間を取り持つようにサンファがあれこれと白羽に話しかけ、ときにその話題にレイゾンが応じていただけだった。
白羽は眩暈に似た疲れを覚える。
頭の中をめぐるのは、先刻やり取りしたレイゾンの言葉。そして自分の言葉(書いた物)だ。
自分で自分がよくわからない。
彼に自分のことを知ってほしいと、そう思ったこともあったのに。いざ彼にそれを求められると躊躇って……拒絶してしまった。
白羽は、再び長く溜息をつく。と、それを気にしたのだろう。
「……白羽さま、お疲れですか?」
白羽の手を取り、具合を窺うようにサンファが顔を覗き込んでくる。
首を振ったけれど、サンファの顔は心配そうに曇る。自分で思っているよりも憂鬱さを漂わせた顔をしているのだろう。心配されるほど表に出していたなんて恥ずかしい……。
レイゾンも扱いに困っただろう。
「——白羽さま」
するとサンファがきゅっと手を握ってきた。彼女は跪いて白羽を見上げ、言う。
「白羽さまのご判断は、間違ってなかったと存じます。確かにレイゾンさまは以前に比べればお優しくなったと思いますが……それはあくまでここ最近のこと。長く培ってきた確固たる信頼関係が築けているとは言い難い現状なのは明らかです。レイゾンさまもそれはご承知のことでしょう。白羽さまもお気に病むことはないかと存じます」
<…………>
「特に、亡き陛下のこととなれば……白羽さまの口が重くなるのも道理。どうぞご無理はなさいませんよう。お言いつけ通り、今後もしレイゾンさまから何か問われた場合は、わたくしが代わりに上手くお応えしておきます。ご心配なく」
<…………>
白羽はサンファの言葉に頷く。しかしそうしながら、自身の気持ちを書いて見せた。
[ありがとう。でも、実を言うとレイゾンさまにわたしのことを知ってほしい気持ちもあるんだ。打ち解けるのは怖いけど、でもそんな気持ちもある。けれど、そのためにはティエンさまのことを話さなければいけなくて……それはまだ、わたしには]
そこまで書くと、手が止まる。
サンファになら、と素直な気持ちを書いたつもりだが、誰より親しい侍女相手でもなんだか気恥ずかしい打ち明け話をしてしまったような気がして、頬が熱い。
が、サンファは白羽の書く手が泊ったことを違う方に解釈したようだ。
彼女は、「良いのですよ」と、白羽を慰めるように言った。
「急く必要などございません。成り行きに任せるのが一番でございましょう」
<…………>
白羽は頷く。
そう思う。けれど自分とレイゾンの間に時間が残されていないのも事実なのだ。
自分はいずれ彼の元から去らなければならない。
レイゾンは、白羽の体調が良くなるまで——声が戻るまでは責任を持つと言ってくれているが、騎士になるために苦労した彼のことだ。いつまでもこんな、使い物にならない騏驥を抱えていたくないのが本音ではないだろうか。
そしてそれは、恨むことではない。
白羽がこうなった遠因はレイゾンにあるとしても、騎士は騏驥を選べる立場なのだから。
レイゾンは出来る限りことを大きくしないようにして白羽を返上しようとしているようだが……そんなことはできるのだろうか。
ついついあれこれと考えてしまうと、知らず知らずに眉を寄せて俯いてしまう。
それにつれてサンファの気配もまた気遣いの色を濃くしたのを感じ、慌てて白羽は顔を上げた。
いけない——彼女には心配をかけてばかりだ。
白羽は無理やりにでも気分を変えようと軽く頭を振ると、改めてサンファに向けて書き記す。
[ありがとう。色々と心配かけてごめん。ところで、今日はずっとわたしに付き合ってくれているし、よかったらこの辺りの店を周ってみたらどうかな」
白羽自身はここでじっとレイゾンの戻りを待っているとしても、サンファはきっと退屈だろうと思ったのだ。
すると、サンファは驚いたように目をぱちぱちとさせた後、白羽を見つめて言った。
「わたくしだけで……ですか? 白羽さまは、お出にならないのですか? 勧めてくださるのは嬉しいのですが、白羽さまだけを車に残してというのは……」
[御者もいるし、大丈夫だよ]
「……ですが……」
[わたしは少し一人で考えたいし……。だからお前ひとりで行くといいよ]
「…………」
しかし、そう書いて見せても、サンファは動こうとしない。忠実な侍女を嬉しく思いながらも、白羽は更に書いた。
[この辺りは革製品の工房が多いようだから、お前にとっては気になる店も多いと思うんだ。せっかくの機会なのだし、覗いておいで]
「……!」
すると、サンファはしばらくその文面を眺め——さっと頬を赤らめた。
白羽が何を言わんとしたかに気づいたのだろう。
サンファはここに着くまで、白羽の気を紛らわせるように色々と話をしてくれていた。
そのときに、たまたまレイゾンの従者であるユゥの話になったのだ。
レイゾンの外出なのに従者であるユゥの姿がないことをサンファが口にしたところ、レイゾンが『あいつは王立学校に通わせている』と応えたのだった。
どうやら、少し前から騎兵になるための課程に通わせているらしい。
ユゥが希望したのかレイゾンが命じたのかはわからないが、騎士の従者というユゥの立場なら、いざというときには騎兵として働けるようにしておくのは悪いことではない。
白羽にとっては、それだけのことだが、ユゥと親しいサンファにとっては違っていたようだ。
レイゾンからその話を聞いたとき、彼女は『そうだったのですか……』と少し驚いたような顔を見せていたから。
おそらく、初耳だったのだろう。
そしてその話を聞いた後に着いたのが、騎士や騎兵が使うための革製品の数々を作っている工房が何件か軒を連ねているここだ。
騏驥の侍女という立場上、騎士の従者であるユゥと比較的親しく、普段からなにかと世話になったり世話をしたりしている彼女にとってみれば、色々と思うところはあるだろう。
その意を込めてサンファを見つめると、いつも冷静な侍女はいくらか慌てているような表情で目を逸らした。
「……別に、わたしが気にするようなことは……なにも……」
そして小さな声でもごもごと言うが、どこかそわそわしている様子は隠せない。
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