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110 外出
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◇ ◇ ◇
屋敷を出て、どれほど経っただろう。
次第に——ゆっくりと空気の気配が変わっていうのを感じながら、白羽はレイゾン、サンファとともに軒車に揺られながら、流れていく景色を眺める。
レイゾンのように騏驥を住まわせている屋敷——いわゆる”騏驥を抱える騎士の屋敷”は、騏驥が馬の姿の時に自由に運動するための放牧場や調教のための馬場が必要なため、普通の屋敷よりも更に広い敷地が必要になり、おのずと住まいは王都中心から少し離れた場所になる。
裕福な貴族はそうした屋敷と別に、城近くにもう少し小規模の家を持ち、利便性の高いそこを主な生活の場にするようなのだが、レイゾンはそうではなかった。
白羽としては思い出のある王城から離れることが寂しいのが半分、そこにいられなくなったならいっそ新たな気持ちで生活をしたほうがいいのかもしれないという思いが半分だったため、決して今住んでいる屋敷が嫌なわけではないのだが(むしろ屋敷自体は本当に素晴らしいものなのだ)、街までの道中、レイゾンはその距離をしきりに気にし続けていた。
白羽の身体を気遣ってくれてのことのようだが、長い距離であったとしても徒歩というわけではない。
車に揺られているだけのことなのだが、それでもレイゾンは白羽が気がかりらしい。
街に出るのは初めてだと——そう言ったためなのだろう。
…………過保護だ。
(心配してくださっているのだろうけれど……)
かえって戸惑ってしまう。
この騎士は、馬の姿のときの騏驥を扱うのは上手いのに、人の姿のときにはその上手さがどこかへ吹き飛んでしまうようだ。
それとも、自分が相手だからだろうか……。
白羽は思う。
彼が選び、望んだ騏驥だったならそんなこともないのかもしれない。
(次はどんな騏驥をお選びになるのだろう……)
考えても仕方のないことをふっと考えてしまったとき、道の悪いところを通ったのか、車が揺れ、傍らのレイゾンにとん、とぶつかってしまった。
<……! もうしわけありません>
白羽は声にならない声で謝る。と、その唇の動きから白羽の意を察したレイゾンは「大丈夫だ」となんでもなかったことを示すような声で言った。が——次の瞬間、改めて白羽をじっと見つめてきた。
近い距離からの視線に、白羽は戸惑ってしまう。
衣越しのレイゾンの体温も、なんとなく伝わってくるかのようだ。
どうしたのかと、白羽が尋ねようとしたとき。
「……っ……お、お前は……どこか行きたいところはないのか。せっかくの街だろう。店や……他の……色々と……」
<…………>
「……例えば……その姿に似合う髪飾りや簪や……そういう……」
<……!>
白羽は慌てて首を振る。
これ以上、何一つ物を増やす気はない。レイゾンにもそう言っていたはずなのに。
するとレイゾンは、ばつが悪そうに視線を彷徨わせる。車内に沈黙が広がった。
(その姿……とは……)
白羽は自分の装いを確かめるように、そっとあちこちに視線を向ける。袖、胸元……。
外出にあたり纏っているのは、あまり今まで身に着けなかった色合いの衣だ。
城にいた時もレイゾンのもとに来てからも、どちらかと言えばあまり色味のない物を纏っていた。月氷晶、淡乳白、薄灰といった白っぽいものが基調で、あとは仄かに色味を添えるだけのような。
それは、城にいたころはティエンが選んでくれたものをそのまま着ていたからだったし、今の屋敷に来てからも、それ以外を特にほしいと思わなかったからだ。
ティエンから贈られたものは全て城に置いて行くつもりだったが、シィンの計らいで屋敷に運び込むことが出来た。だからあるものをそのまま着ていただけ——。
それが、紙も肌も白い自分の姿を目立たなくさせているのか、より際立たせているのかすら、さして気にしておらず、ただある物を纏い続けていた。思い出を纏い続けるように。
違っていたのは……記憶にある限りでは、あの城での宴の時ぐらいだろう。
レイゾンが用意してくれた……あの衣。
だが今はあの時とも違う。
城にいた頃は白を基調とした装いの多かった白羽だが、それでも季節に合わせて、もしくは祝い事の折には、それ相応の少し華やいだ装いをすることがあった。今日は、その際に似た、華やかな色味のものを多めに合わせたような格好なのだ。
白に映える春桃に空瑠璃、朧萌……。
白羽にしてみれば、あまり経験のない格好だ。
強いて似たようなものを思い出すなら、「踊り子だったころのような」とでも言えるだろうか。
華やかで、色の多い装い。
(もっとも、それは踊り子として舞台に立っていた時、という意味ではなく、着るものなど選べず、誰かのおさがりやお古、それもあちこちの継ぎのあるくたびれた衣ばかりで、纏えば否応なく派手な格好になっていた普段の姿のことなのであるが)
らしくない装い。
それは、今の白羽が普段のその姿ではなく、髪を柔らかな胡桃色に染め、片側の瞳が隠れるように髪型を整え、肌はほんのりと色づくように粧っているためだった。
◇ ◇ ◇
「………………」
屋敷を出発する少し前。
外出の用意が終わった白羽がレイゾンの前に姿を見せると、彼は目を丸くして絶句した。
(やっぱり……まずかった……?)
白羽は狼狽しながら傍らのサンファを見た。今日は、彼女が付き添ってくれることになっている。そして、その外出にあたり白羽の”準備”をしてくれたのも彼女だった。
準備。
それは、白羽の目立つ髪と瞳、そして肌を出来る限り隠すことだった。
【注】
服や建物などの色や素材については、実在のものと造語を混ぜています。
屋敷を出て、どれほど経っただろう。
次第に——ゆっくりと空気の気配が変わっていうのを感じながら、白羽はレイゾン、サンファとともに軒車に揺られながら、流れていく景色を眺める。
レイゾンのように騏驥を住まわせている屋敷——いわゆる”騏驥を抱える騎士の屋敷”は、騏驥が馬の姿の時に自由に運動するための放牧場や調教のための馬場が必要なため、普通の屋敷よりも更に広い敷地が必要になり、おのずと住まいは王都中心から少し離れた場所になる。
裕福な貴族はそうした屋敷と別に、城近くにもう少し小規模の家を持ち、利便性の高いそこを主な生活の場にするようなのだが、レイゾンはそうではなかった。
白羽としては思い出のある王城から離れることが寂しいのが半分、そこにいられなくなったならいっそ新たな気持ちで生活をしたほうがいいのかもしれないという思いが半分だったため、決して今住んでいる屋敷が嫌なわけではないのだが(むしろ屋敷自体は本当に素晴らしいものなのだ)、街までの道中、レイゾンはその距離をしきりに気にし続けていた。
白羽の身体を気遣ってくれてのことのようだが、長い距離であったとしても徒歩というわけではない。
車に揺られているだけのことなのだが、それでもレイゾンは白羽が気がかりらしい。
街に出るのは初めてだと——そう言ったためなのだろう。
…………過保護だ。
(心配してくださっているのだろうけれど……)
かえって戸惑ってしまう。
この騎士は、馬の姿のときの騏驥を扱うのは上手いのに、人の姿のときにはその上手さがどこかへ吹き飛んでしまうようだ。
それとも、自分が相手だからだろうか……。
白羽は思う。
彼が選び、望んだ騏驥だったならそんなこともないのかもしれない。
(次はどんな騏驥をお選びになるのだろう……)
考えても仕方のないことをふっと考えてしまったとき、道の悪いところを通ったのか、車が揺れ、傍らのレイゾンにとん、とぶつかってしまった。
<……! もうしわけありません>
白羽は声にならない声で謝る。と、その唇の動きから白羽の意を察したレイゾンは「大丈夫だ」となんでもなかったことを示すような声で言った。が——次の瞬間、改めて白羽をじっと見つめてきた。
近い距離からの視線に、白羽は戸惑ってしまう。
衣越しのレイゾンの体温も、なんとなく伝わってくるかのようだ。
どうしたのかと、白羽が尋ねようとしたとき。
「……っ……お、お前は……どこか行きたいところはないのか。せっかくの街だろう。店や……他の……色々と……」
<…………>
「……例えば……その姿に似合う髪飾りや簪や……そういう……」
<……!>
白羽は慌てて首を振る。
これ以上、何一つ物を増やす気はない。レイゾンにもそう言っていたはずなのに。
するとレイゾンは、ばつが悪そうに視線を彷徨わせる。車内に沈黙が広がった。
(その姿……とは……)
白羽は自分の装いを確かめるように、そっとあちこちに視線を向ける。袖、胸元……。
外出にあたり纏っているのは、あまり今まで身に着けなかった色合いの衣だ。
城にいた時もレイゾンのもとに来てからも、どちらかと言えばあまり色味のない物を纏っていた。月氷晶、淡乳白、薄灰といった白っぽいものが基調で、あとは仄かに色味を添えるだけのような。
それは、城にいたころはティエンが選んでくれたものをそのまま着ていたからだったし、今の屋敷に来てからも、それ以外を特にほしいと思わなかったからだ。
ティエンから贈られたものは全て城に置いて行くつもりだったが、シィンの計らいで屋敷に運び込むことが出来た。だからあるものをそのまま着ていただけ——。
それが、紙も肌も白い自分の姿を目立たなくさせているのか、より際立たせているのかすら、さして気にしておらず、ただある物を纏い続けていた。思い出を纏い続けるように。
違っていたのは……記憶にある限りでは、あの城での宴の時ぐらいだろう。
レイゾンが用意してくれた……あの衣。
だが今はあの時とも違う。
城にいた頃は白を基調とした装いの多かった白羽だが、それでも季節に合わせて、もしくは祝い事の折には、それ相応の少し華やいだ装いをすることがあった。今日は、その際に似た、華やかな色味のものを多めに合わせたような格好なのだ。
白に映える春桃に空瑠璃、朧萌……。
白羽にしてみれば、あまり経験のない格好だ。
強いて似たようなものを思い出すなら、「踊り子だったころのような」とでも言えるだろうか。
華やかで、色の多い装い。
(もっとも、それは踊り子として舞台に立っていた時、という意味ではなく、着るものなど選べず、誰かのおさがりやお古、それもあちこちの継ぎのあるくたびれた衣ばかりで、纏えば否応なく派手な格好になっていた普段の姿のことなのであるが)
らしくない装い。
それは、今の白羽が普段のその姿ではなく、髪を柔らかな胡桃色に染め、片側の瞳が隠れるように髪型を整え、肌はほんのりと色づくように粧っているためだった。
◇ ◇ ◇
「………………」
屋敷を出発する少し前。
外出の用意が終わった白羽がレイゾンの前に姿を見せると、彼は目を丸くして絶句した。
(やっぱり……まずかった……?)
白羽は狼狽しながら傍らのサンファを見た。今日は、彼女が付き添ってくれることになっている。そして、その外出にあたり白羽の”準備”をしてくれたのも彼女だった。
準備。
それは、白羽の目立つ髪と瞳、そして肌を出来る限り隠すことだった。
【注】
服や建物などの色や素材については、実在のものと造語を混ぜています。
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