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109 騎士の密かな期待は……
しおりを挟む良い(らしい)茶器で、良い(らしい)茶を堪能して白羽の部屋をあとにすると、レイゾンは自身の部屋へ戻りながら、一つ、小さくため息をついた。
白羽と過ごす時間は嫌なものではない。
彼が道具を使ってくれていることも嬉しい。——嬉しかった。
しかし今日は……。
レイゾンは先刻の白羽の手跡を思い出す。
相変わらず流麗な字だった。面差しに似た美しさ。
そんな美しい字で、わかりました——と彼は書いた。
お供します。と。
レイゾンとともに外出する、と。
それはまあ……よかったことだ。
街に出て刺激を受ければ、体調もよくなるかもしれない。声も出るようになるかもしれない。それは白羽にとっていいことだろうと本当に思っているから。
そういう意味では、彼が誘いに応じてくれたことはよかったことだ。
だが。
「普通だった……な……」
レイゾンは一人ごちる。
その頭の中に浮かんでいるのは、先刻の白羽の表情だ。
『鞭を……新しい鞭を買い求めたいと思っていてな』
レイゾンがそう言ったときの白羽の貌。
何か反応を示すかと思い、注意して見つめていたが……何も変わらなかった。
鞭のことを持ち出しても、なにも。
何度思い返しても、それは同じだ。
レイゾンは溜息をついた。
◇
以前、リィの口から”白い騏驥のための鞭”の話を聞いてからというもの、レイゾンはずっとその件が胸の中にひっかかっていた。
彼の口から初めてその存在を知らされ、書架堂でレイゾンが読んだ本にも記されていたそれは、白い騏驥を従えた騎士だけが持っていたといわれている——らしい。
書架堂に遺されていた書物とはいえ、かなり昔に書かれたと思われる本だったため、その信憑性は少し怪しいものの(どうやら昔は、「書いて遺す」ことそのものに重点が置かれていたようで、その内容の精査まではしっかりとしていなかったようだ)、それを目にしてしまえば、やはりレイゾンは落ち着かなくなってしまったのだ。
なんとかして、自分がそれを手にすることはできないか、と。
それは騎士としての意地のようなものでもあった。
本意ではなかったとはいえ五変騎の一頭である白い騏驥を側に置くことになったのなら、当然その鞭も自分が手にして然るべきなのだから、と。
そして逆に、白い騏驥を側に置きながら、それほど大切な特別なものが手元にないことを知られたくなかったという理由もある。
鞭について手っ取り早く詳細を知り入手するには、白い騏驥自身に——白羽自身にその件を問うのが一番だろうことはわかっていたが、彼を避けていた以前はそんな風に彼に頭を下げることは嫌で、一人で何とかしようと思っていたのだ。
白羽は隠しているつもりか知らないが、ならば鞭についてきちんと知ったうえで問い詰めようと思って。
だが。
そうこうしているうちに城での宴席があり、あんなことがあり、鞭どころではなくなってしまった。
白羽を自分の側に留めておく自身もなくなった今、彼のための鞭のことは優先順位がぐっと下がっていた。
とはいえ。
とはいえ、ずっと気がかりではあったのだ。
白い騏驥のための特別な鞭。それはいったい、どんなものなのか、と。
自分は一度も触れられないままなのだろうか、見ることも叶わないままなのだろうか、と。
そしてあんなことをしでかしてからは、虫のいいことこの上ないが、鞭があれば白羽との関係を好転できるかもしれない、と縋る思いでもあった。
未だ見ぬ「それ」を手中にできれば、すべてが好転するかもしれない——と。
……馬鹿な夢想だとわかっていても。
白羽の以前の主は前王だから、それはもしかしたら特別な立場の者しか触れられないものなのかもしれない。だからなかなか表に出ず、記録も遺されていないのかもしれないが……。
それでも白羽なら——白い騏驥自身なら何か反応を見せるのではと思ったのだ。
それとなく鞭の話を持ち出してみたときに。
彼に尋ねられる、唯一の機会だと思って、だから鞭のことを口にしてみた。
しかし……。
——普通だった。
何も変わらなかった。
何も変わらな過ぎて、彼は何も知らないのではと思ったほどだ。
(それともまさか……)
本当に何も知らないのだろうか?
それとも、”白い騏驥のための特別な鞭”という話自体が眉唾なのか……?
(いや……)
鞭はあったのだ。
そういう特別な鞭はあった——ようだ。ただ詳細がはっきりしないだけで、それがあったことは遺されているのだから。だとすれば、前の主も何か話はしていただろう。白羽がほとんど騎士を乗せて走ったことがないことは知っているが、それでも騏驥だ。
しかも特別な騏驥なのだ。
主として、その価値を失わせるほど秘密にしていたとは思えない。
それとも、貴人は——それも王ともなれば騏驥の扱いも一介の騎士とは違うのだろうか……。
そう言えば、レイゾンは結局前王のことを知らないままなのだ。
白羽のことを噂でしか知らなかったように、彼の以前の主のことも。
会ったことはなかったし(そもそも自分は騎士ではなかったのだから姿を見ることもできなかっただろう)、白羽から話を聞いたりもしていない。
だから騎士であってもほとんど何も知らないのだ。
白羽を大切にして白羽に今も愛されている——その男のことを。
(むしろ聞きたくなかったからな……)
嫉妬していたから。
白羽の口から以前の主との関係を聞きたくなかった。その人柄も聞きたくなかったのだ。自分とは比べものにならないほど優れていたに違いない、その騎士の話を。
いずれにせよ、白羽の反応はなかった。
鞭のことを持ち出しても、彼は何も変わらなかった。
ならば仕方がない。
彼に提案したように、彼の気分転換のことだけを考えて出かけよう。
——二人で出かける最後の機会になるかもしれないのだから。
レイゾンは足を止めると天を仰ぐ。
ややあって、顔を戻すとため息をつき自身の鞭に触れる。
愛着はあるが決して特別なものではない普通の——それに触れる。
騎士の証である——それに触れる。
「まあ——いい」
レイゾンは自分に言い聞かせるようにそう言うと、再び歩き始める。
全て自分の愚かさが招いたことだ。
ならばその報い全て自分が引き受けるべきなのだろうと、そう思いながら。
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