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103 従者の、侍女の、騏驥の気持ち(4)
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(…………)
白羽はレイゾンが贈ってくれた品々に目を向ける。
頼まれたツェンリェンは快く応じてくれたかもしれないが、頼む側だったレイゾンはそれはそれは緊張しただろう。それでも、これらの品をここに贈ってくれるために彼は気を遣ってくれたのだ。抱きしめている猫の香りに混じって、草の香りがする。これはきっと白羽自身の香りだ。さっきまで駆けまわっていた草原の香り——。
「……白羽さま……?」
匙を置いた白羽が、いつまで待っても食事を再開せずに猫を抱いているからだろう。
傍らに控えていたサンファが戸惑ったように目を瞬かせる。
白羽は彼女を見つめると、意を決し、抱いていた猫を放して立ち上がる。
そして紙と筆を置いている卓に足を向けた。
今——伝えておかなければと思ったのだ。
今すぐに。もう時を置くことなく。
すぐに彼女に伝えておきたい、と。
白羽は再び筆を手にすると、慌てた様子のサンファを視界の端にしつつ、
[レイゾンさまのことについて、やはりはっきりさせておきたいと思う]
と書いて彼女に見せる。
サンファはますます目を丸くした。
また持ち出すなどどうしてだろうと思ったのだろう。けれど白羽にとっては大切なことだった。もう——もうこれからは少しでもレイゾンに対して礼を欠く態度をとってほしくなかったのだ。ユゥの話を聞いてしまった以上は、少しでも早くサンファの態度を改めさせたかった。
白羽は時間をかけて——しかし迷うことなく自らの思いと希望を書き終えると、それをサンファに見せる。
これでもわかってもらえなければ——。そんな気持ちで。
すると、彼女はしばしそれを見つめたのち——。
「…………もしかして……白羽さまはこのお部屋をお出になりましたか?」
控えめながら鋭く尋ねてきた。
驚く白羽に、彼の聡い侍女は小さく笑む。そして白羽の手を取り椅子にかけさせると、その前に膝をついた。懐から手絹を取り出すと、白羽の足をそっと拭く。
「汚れてらっしゃることが、ずっと気になっていたのです。お出になられたのですね」
<…………>
「お一人で出歩かれると、慣れぬ屋敷では迷い、思いがけない場面に出くわすこともございましょう。……話を聞かれていらっしゃいましたか? わたくしと、あの従者の」
<…………!>
立ち聞きしていたことまで言い当てられ、白羽は恥ずかしさに頬を染める。
どう応じればいいのだろうかと困っていると、白羽の脚をふき終えたサンファは、顔を上げて微笑んだ。
「ではわたしが戻ってくるのが遅くなった本当の理由もご承知だったのですね。お人の悪い」
そして、一層慌てる白羽を尻目に立ち上がると、筆と紙を持って戻ってくる。
白羽はそれを受け取ると、
[聞くつもりはなかったのだけれど……]
と書いて見せた。
我ながら言い訳がましい……と羞恥に頬を染めていると、サンファが楽しそうにくすりと笑った。
「お気になさらないでくださいませ。むしろ、聞かれていたからこそのこのお言葉なのだろうと納得がいくというものです」
彼女は、白羽が先ほど書いた紙を手に取り、改めて読み直している。
黙ったまま、白羽の思いの綴られたそれを見つめて——どのくらい経っただろうか。
「わたしは、白羽さまのためにお側におります。ご安心ください。白羽さまの御心を悩ませるようなことは致しません」
紙から顔を上げたサンファは言った。
穏やかに。特に表情を変えることもなく、けれどどことなく微笑んで見える貌で。
「信じて頂けませんか?」
<!>
悪戯っぽく言うサンファに、白羽は慌てて首を振る。信じていないわけじゃない。彼女の忠心は誰より良く知るところだ。
(けれど……)
だから不安にもなる。そんな気持ちが伝わったのだろうか。白羽の手に、そっとサンファの手が重ねられる。
驚く白羽を、サンファは柔らかく目を細めて見上げた。
「確かに……わたくしの立場からすれば、主を傷つけられた恨みや怒りもございます。ですが白羽さまご自身があの騎士と——レイゾンさまと新たなお気持ちで接するというなら、その決心をなさったなら、その方が大切なのです。わたしにとっての第一は白羽さまなのですから」
<…………>
「一つの想いを持ち続けることも一つの方法なら、その時その時に応じて新しく思い直した気持ちで接することもまた一つの方法なのでしょう。白羽さまが書かれたように……。それに……」
サンファは、少し考えるような間を開けて続けた。
「それに……わたくしもあの騎士に関して、いくらかは考えを改めなければならないかもしれないと……そんな思いを抱き始めております。理由は白羽さまもご存じかと……」
ユゥとの会話のことを言っているのだろう。噛み締めるようにサンファは言う。
先刻、彼と話をしたことで——彼の話を聞いたことで、彼女の中にも変化があったようだ。気にしていない様子だったけれど、実はそうではなかったということだろう。静かに彼女は続ける。
「白羽さまに対して乱暴な振る舞いをしたことについて未だ許せない思いがあるとしても……騎士であるレイゾン……さまには相応の敬意を払うべきなのだろう……と……」
そして彼女は、白羽の手に重ねた自らの手に、ゆっくりと力を込める。
しばし見つめあうと、サンファは微笑んだまま、僅かに小首をかしげて見せた。
「思い返せば……今まで相当に失礼なことを申し上げておりましたね……。それは謝ったほうがよろしいでしょうか」
<…………>
白羽は苦笑して首を振った。
今までは今まで。これから気を付けてくれればそれでいい。そんな気持ちを込めて。
[今までのことは、わたしも忘れていない。悲しかったことも全部。けれど、今のレイゾンさまは今までのレイゾンさまとは違っているとも思っている。もしかしたら一時のことかもしれないけれど、それでも以前と変わろうとなさっているなら、わたしたちも変わるべきだと思う。たとえ些細であっても、変わろうとして下さっているなら、そのお気持ちがわたしは嬉しい。騎士であるレイゾンさまがそうして下さっているなら、騏驥としてそのお気持ちに応えたい。いずれ離れてしまうのなら、なおさらそうしたいと思う]
サンファに書いて見せた、今の素直な気持ちそのままに。
白羽はレイゾンが贈ってくれた品々に目を向ける。
頼まれたツェンリェンは快く応じてくれたかもしれないが、頼む側だったレイゾンはそれはそれは緊張しただろう。それでも、これらの品をここに贈ってくれるために彼は気を遣ってくれたのだ。抱きしめている猫の香りに混じって、草の香りがする。これはきっと白羽自身の香りだ。さっきまで駆けまわっていた草原の香り——。
「……白羽さま……?」
匙を置いた白羽が、いつまで待っても食事を再開せずに猫を抱いているからだろう。
傍らに控えていたサンファが戸惑ったように目を瞬かせる。
白羽は彼女を見つめると、意を決し、抱いていた猫を放して立ち上がる。
そして紙と筆を置いている卓に足を向けた。
今——伝えておかなければと思ったのだ。
今すぐに。もう時を置くことなく。
すぐに彼女に伝えておきたい、と。
白羽は再び筆を手にすると、慌てた様子のサンファを視界の端にしつつ、
[レイゾンさまのことについて、やはりはっきりさせておきたいと思う]
と書いて彼女に見せる。
サンファはますます目を丸くした。
また持ち出すなどどうしてだろうと思ったのだろう。けれど白羽にとっては大切なことだった。もう——もうこれからは少しでもレイゾンに対して礼を欠く態度をとってほしくなかったのだ。ユゥの話を聞いてしまった以上は、少しでも早くサンファの態度を改めさせたかった。
白羽は時間をかけて——しかし迷うことなく自らの思いと希望を書き終えると、それをサンファに見せる。
これでもわかってもらえなければ——。そんな気持ちで。
すると、彼女はしばしそれを見つめたのち——。
「…………もしかして……白羽さまはこのお部屋をお出になりましたか?」
控えめながら鋭く尋ねてきた。
驚く白羽に、彼の聡い侍女は小さく笑む。そして白羽の手を取り椅子にかけさせると、その前に膝をついた。懐から手絹を取り出すと、白羽の足をそっと拭く。
「汚れてらっしゃることが、ずっと気になっていたのです。お出になられたのですね」
<…………>
「お一人で出歩かれると、慣れぬ屋敷では迷い、思いがけない場面に出くわすこともございましょう。……話を聞かれていらっしゃいましたか? わたくしと、あの従者の」
<…………!>
立ち聞きしていたことまで言い当てられ、白羽は恥ずかしさに頬を染める。
どう応じればいいのだろうかと困っていると、白羽の脚をふき終えたサンファは、顔を上げて微笑んだ。
「ではわたしが戻ってくるのが遅くなった本当の理由もご承知だったのですね。お人の悪い」
そして、一層慌てる白羽を尻目に立ち上がると、筆と紙を持って戻ってくる。
白羽はそれを受け取ると、
[聞くつもりはなかったのだけれど……]
と書いて見せた。
我ながら言い訳がましい……と羞恥に頬を染めていると、サンファが楽しそうにくすりと笑った。
「お気になさらないでくださいませ。むしろ、聞かれていたからこそのこのお言葉なのだろうと納得がいくというものです」
彼女は、白羽が先ほど書いた紙を手に取り、改めて読み直している。
黙ったまま、白羽の思いの綴られたそれを見つめて——どのくらい経っただろうか。
「わたしは、白羽さまのためにお側におります。ご安心ください。白羽さまの御心を悩ませるようなことは致しません」
紙から顔を上げたサンファは言った。
穏やかに。特に表情を変えることもなく、けれどどことなく微笑んで見える貌で。
「信じて頂けませんか?」
<!>
悪戯っぽく言うサンファに、白羽は慌てて首を振る。信じていないわけじゃない。彼女の忠心は誰より良く知るところだ。
(けれど……)
だから不安にもなる。そんな気持ちが伝わったのだろうか。白羽の手に、そっとサンファの手が重ねられる。
驚く白羽を、サンファは柔らかく目を細めて見上げた。
「確かに……わたくしの立場からすれば、主を傷つけられた恨みや怒りもございます。ですが白羽さまご自身があの騎士と——レイゾンさまと新たなお気持ちで接するというなら、その決心をなさったなら、その方が大切なのです。わたしにとっての第一は白羽さまなのですから」
<…………>
「一つの想いを持ち続けることも一つの方法なら、その時その時に応じて新しく思い直した気持ちで接することもまた一つの方法なのでしょう。白羽さまが書かれたように……。それに……」
サンファは、少し考えるような間を開けて続けた。
「それに……わたくしもあの騎士に関して、いくらかは考えを改めなければならないかもしれないと……そんな思いを抱き始めております。理由は白羽さまもご存じかと……」
ユゥとの会話のことを言っているのだろう。噛み締めるようにサンファは言う。
先刻、彼と話をしたことで——彼の話を聞いたことで、彼女の中にも変化があったようだ。気にしていない様子だったけれど、実はそうではなかったということだろう。静かに彼女は続ける。
「白羽さまに対して乱暴な振る舞いをしたことについて未だ許せない思いがあるとしても……騎士であるレイゾン……さまには相応の敬意を払うべきなのだろう……と……」
そして彼女は、白羽の手に重ねた自らの手に、ゆっくりと力を込める。
しばし見つめあうと、サンファは微笑んだまま、僅かに小首をかしげて見せた。
「思い返せば……今まで相当に失礼なことを申し上げておりましたね……。それは謝ったほうがよろしいでしょうか」
<…………>
白羽は苦笑して首を振った。
今までは今まで。これから気を付けてくれればそれでいい。そんな気持ちを込めて。
[今までのことは、わたしも忘れていない。悲しかったことも全部。けれど、今のレイゾンさまは今までのレイゾンさまとは違っているとも思っている。もしかしたら一時のことかもしれないけれど、それでも以前と変わろうとなさっているなら、わたしたちも変わるべきだと思う。たとえ些細であっても、変わろうとして下さっているなら、そのお気持ちがわたしは嬉しい。騎士であるレイゾンさまがそうして下さっているなら、騏驥としてそのお気持ちに応えたい。いずれ離れてしまうのなら、なおさらそうしたいと思う]
サンファに書いて見せた、今の素直な気持ちそのままに。
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