前王の白き未亡人【本編完結】

有泉

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101 従者の、侍女の、騏驥の気持ち(2)

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 しかし彼とレイゾンの絆は、白羽が思っていたよりも強い——そして深いもののようだ。
 立ち聞きなど……と気は引けるものの、ユゥがあれほど真摯に、強くサンファに言い返した様子を見てしまうと、どうしても気になってしまう。
 身を隠すようにして、固唾をのんで見る白羽の前で、先に口を開いたのはサンファだった。
 彼女は怯んだことが悔しかったのか、ことさらユゥを挑発するように見ると、きつい口調で言い返す。 

「騏驥に……白羽さまに酷いことをした騎士と知っても、まだ仕える——仕え続けると? それをわかっていて? ならばあなたもあの騎士と同じというわけですね。真面目などと思ったわたしが愚かでした。これで一層話しかけてほしくなくなりましたし、教えて下さって感——」

「僕にとっては、恩人だから」

 すると、ユゥはサンファの言葉が終わらぬうちに言葉を継いだ。穏やかだがきっぱりとした声だ。

「恩? あんな乱暴な——」

 すぐさまサンファが言い返す。

「それでも」

 ユゥは続けた。

「それでも恩人なんだ。僕には」

 しっかりとサンファを見つめて言うその声音からは、彼の信念のようなものが伝わってくる。
 端から——それもこっそりと見ている白羽にもそれが伝わってくるぐらいだから、サンファは一層だろう。何か言い返そうとして——しかし結局黙ってしまう。
 ややあって、

「あの騎士にどれほどの恩があると?」

 サンファは冷たく、けれど気になっているような口調で言う。
 するとユゥは、静かに話し始める。
 それは、彼が今よりももっと若く、まだ少年だったころの話——レイゾンに仕える前の話だった。

 それによれば、彼は幼いころに両親を失い、年老いた家族との暮らしだったようだ。しかもそれは決して楽なものではなく、両親が抱えていた金銭問題のことでずいぶん苦労し、挙句、あまり良くないことにも手を染めていた……らしい。

「……まあ、他人を直接傷付けるようなことはしなかったけどさ。何ていうか……いわゆる置き引きとかかっぱらいとか……掏摸っぽいこととかさ……」

 それまで解りやすく話していた彼の声が、ふっと小さくなる。悔やんでいるような恥じているような面持ちだ。
 サンファは嫌悪も露な顔だが、それでもその場を離れないのは、続きが気になるからだろう。
 ユゥは続ける。

「そうこうしてるうちに、ばぁちゃんが具合悪くなっちゃったんだ。もう歳だったし。医者には診てもらったけど、なかなか良くならなくて……。なんとか元気になってもらいたくて食べ物とか薬とか色々買おうとしたんだ。でも売ってくれなくてさ。まぁ……それまでがそれまでだったから仕方ないんだけど……。それで……喧嘩みたいになっちゃったんだ。市場で果物売ってた人と」
「そうしたら、その人がその晩に強盗に遭って……売り上げ全部獲られて大怪我したらしくてさ。捕まっちゃったわけ、僕が」

 サンファが息を呑んだのが伝わってくる。白羽も見入り、聞き入ってしまっていた。
 ユゥが語る過去の彼の姿は、今の明朗で感じの良い彼からは全く想像もつかないものだった。
 そして同時に、白羽にはどこか昔の自分を思い出させるものだった。
 生きるために他人の物を奪っていた彼と、芸と身体を売っていた自分。
 そして白羽の視線の先で、ユゥは泣きそうに眉を寄せて続ける。当時のことを思い出しているのかもしれない。

「僕は、そんなことしてなかった。ただ、ちょうど事件があった時分には誰とも会ってなかったんだ。いつもつるんでた仲間とも。だからやってないことを……街にいなかったことを証明できなかった。『薬を買いに隣の村に行こうとしてた』って説明したんだけど、そんなの信じてもらえなくて。捕まったときはもうほとんど犯人扱いで……正直諦めてた。ただでさえ悪いことばかりしてるって思われてた上に、喧嘩してるところを大勢に見られてたしさ。……でも……」

 噛み締めるように、ユゥは続けた。

「でも、たまたまそこにレイゾンさまが通りがかって……捕まってる僕を見て、足を止めてくれたんだ」

 あとで訊いたら、頼まれた仕事の帰り道だったんだって。
 少しお金が入ったから、家族にお土産でも買おうと思って、僕が住んでた街に立ち寄ったらしいんだ。だから本当に偶然。
 懐かしそうに言って、ユゥは続ける。

「役人は『お前はいつも悪いことばかりしていて、今回もやったに決まってる』って言って……だから僕の話なんか誰も聞いてくれなかったんだけど……レイゾンさまは違ってて」
「何の得もないのに、話を全部ちゃんと聞いてくれたんだ。その上、役人に『調べ直したほうがいい』とまで言ってくれてさ」
「『この子が今まで悪いことをしていたとしても、今回も彼が犯人だとは限らない』って……そう言ってくれて……」

 当時を思い出しているのだろう、ユゥの瞳が潤む。声が震える。安堵したような感激しているような——まさにレイゾンに出会い救われた時のような表情で、ユゥは続ける。

「役人はそれでも俺がやったと思ってたみたいで、レイゾンさまのことも疎ましく思ってたみたいだけど……レイゾンさまは引かなくて。『もしこの子が犯人じゃなかったら本当の犯人を野放しにしておくことになるぞ』とまで言ってくれて……」
「そこまで言われたからか、役人もしぶしぶでもいろんなことを調べなおしたみたいでさ。そうしたら別の男が——犯人が捕まって……。俺は無罪放免になったわけ」

 ほっとしたな、あのときは。

 ユゥは、本当にほっとしているような口調で言うと淡く微笑んだ。

「それから少ししてばあちゃんが死んで……色々片付けてからレイゾンさまのところに行ったんだ。助けてもらったときに、住んでるのは山を二つ越えて川を越えたところだって聞いてたからさ。で、そのまま押しかけ従者になったってわけ。……助けられたときから、絶対にそうしようって決めてた。この人に助けてもらったから、これから先はこの人の役に立とう、この人の側に仕えようって思って。……幸い追い返されることもなくて、それからずっとお仕えしてる。これからもそのつもりだよ。変わらない。サンファさんにとっては嫌な人でも、僕にとっては恩人で大切な方で……だから僕は離れない」

 最後は晴れ晴れと、しかし強い決意を感じさせる声で言うと、ユゥは真正面からサンファを見る。
 まさかそんないきさつがあったとは予想もしていなかったのだろう。
 サンファは戸惑ったような顔を見せつつ、ユゥの視線を受け止める。ややあって、小さく咳払いしたかと思うと、ゆっくりと口を開いた。

「……今の話だけなら、立派な方かもしれないですね。でもそんなものは、たまたまだったのでは? あなたはその『たまたま』にでくわし、幸運だったのかもしれませんが、あなたの知らないあの騎士は、とても嫌な奴かもしれませんよ。いえ、そちらが本性かも」

「レイゾンさまは色々な方に慕われてます。だから、本性だって悪い人じゃないはずです。貴族の方々には……嫌われているみたいだけど」

 ユゥはあくまでレイゾンを庇う。サンファがふん、と鼻を鳴らした。

「『悪い人じゃない』……? 白羽さまに対しては最初から偏見だらけだったご様子でしたけれど?」

 強調されたサンファの声に、ユゥは目を瞬かせる。ほどなく、はっと息を呑んだ。

「も、もしかして初めて会った日のこと……とか? お城で話してたのが聞こえてたの!?」

「ええ——それはもう。一言一句すぺて、それはそれは綺麗に聞こえておりました。聞き間違いもできないぐらいにはっきりと」

「! ご、ごめん。これも僕が謝って済むことじゃないけど……。けど、聞いてたならレイゾンさまが騏驥に対してすごくすごく期待していたのも知ってる……よね? レイゾンさまは、騎士になるために凄く苦労したんだ。僕が仕えるようになってからだけでも、相当……。僕に愚痴なんか言ったりはしないけど、でも端から見ててもわかるぐらい色々とあって……」

 ユゥは言葉を濁す。おそらく騎士学校でのことや他の騎士との軋轢のことだろう。それぐらいは、白羽にも想像がつく。
 ユゥは微かに眉を寄せて続けた。
 
「だから……その分も騏驥に期待してたと思うんだ。すごく——」

「白羽さまは期待外れだったと——」

「違うって! そうじゃなくて……騏驥に乗ることを楽しみにしていたって言うか……。騎士として色々な騏驥に乗って……たくさんの騏驥に乗って……そういうのを楽しみにしてたと思うんだ。騏驥に乗るために騎士になったんだから! ずっと乗り続ける騏驥を選ぶとしても、それからだったんだと思う。なのに、まだ騎士になったばかりで、ろくに騏驥にも乗っていないうちから急に騏驥を任されたら……それも前の王様の騏驥だったような凄い騏驥を任されたら混乱しちゃうだろ!? そういう……ことだと思う……」

「……随分とあの騎士に都合のいい言い訳ですこと」

「そ……うかもしれない……けど……でも、戸惑ってらしたんだ。とっても。城のことなんて右も左もわからないのに、いきなり呼びつけられて王様に会って……しかも騏驥を下賜? されて……。 ……やっと騎士になって『これから頑張ろう』って思いが強かった分、ショックだったんだと思う。だってそんな凄い騏驥を任されたら、もう他の騏驥のことは選べなくなっちゃうんだから。乗るのだって、調教の時だけになっちゃうんでしょう?」

「……ええ——まあ。そうなるでしょうね。そうなっているはずだわ。なにしろ白羽さまの騎士になったのだから」

「うん……。だから……それを突然命じられて……混乱してたんだと思う。それまで一回も乗ったことのない騏驥だし、他のこともほとんど知らなかったわけだし……」

 噂以外は——。

 とは、ユゥは口にしなかった。
 サンファも敢えて。

 だがそれ「だけ」は耳にしてしまっていたことが、今にして思えば、そもそもの釦の掛け違いの始まりだったのだろう。
 ユゥは続ける。

「だから……レイゾンさまが不満を口にしてしまった気持ちもわかるって言うか……。もちろん、したことや言ったことで、騏驥やサンファさんに嫌な思いをさせたのは悪いことだと思うよ。僕からも謝りたいと思う。それ以外の、レイゾンさまがした悪いことも。でも……レイゾンさまはそのぐらい騏驥に思い入れがあるって言うか……騎士に思い入れがあるって言うか……」

「……」

「僕は、そういうレイゾンさまのことが好きなんだ。ガサツっぽく見えて……実際ガサツな面も多いんだけど、強いのに要領悪くて、自分の得にならないことでも頑張っちゃうところがあったり……。……そういう方だからお仕えしてる。なんでもできる方だったら、ぼくなんかいらないだろ? でも、変なところで生真面目で一生懸命でさ。僕でもお役に立てることがあるかも、って思えるから」

「…………」

「それに、なにがあっても僕にとってレイゾンさまは恩人で、それは変わらない。それが『僕にとっては』だったとしても、仕え続ける理由ならそれで十分だと思うんだ」

 ユゥの言葉に、サンファがぐっと押し黙った。
 彼女に刺さる言葉だったのだろう。彼女もまた、白羽が周囲からどんなに悪く言われていても、仕え続けてくれている。周りがどうであろうが、『彼女にとって』白羽は仕えるべき相手なのだ。それがティエンの命ゆえだとしても、もしくは、いつしか芽生えた白羽への忠誠心ゆえだとしても。
 
 と——。サンファは何も言わず——言い返さず、ふいと顔を逸らすと、その場を離れて厨房へ向かう。
 白羽のための食べ物をもらってくるのだろう。ユゥは、言いたいことは言ったと感じているのか、もう追わなかった。引き留めない。
 白羽は、静かにその場を離れた。
 サンファが戻る前に、部屋に戻らなければ。

 けれどその道すがらも、二人のやり取りが、まだ頭の中を巡っていた。
 まさかあんな話を聞くことになってしまうとは思ってもいなかった。
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