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100 従者の、侍女の、騏驥の気持ち(1)
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? どこから?
近くじゃない。少し遠い。少し離れたところからだ。でも……どこから?
しかもその声音は、棘のある冷たいそれだった。
いったい、彼女は誰と何を話しているのか。
白羽は慌てて声がしたと思しき方へ向かう。だが屋敷が入り組んでいるからか、彼女の姿はなかなか窺えない。せめてもう一言だけでも話してくれればと思っていると、
「…………で……ない……から……」
ぼそぼそとした、くぐもったような声が聞こえた。
サンファのものではない声音。男の声のようだが、あまり聞いたことがない声だ。けれど彼女の声がした方から聞こえてきた。サンファの話し相手だろうか。
白羽は方向に目星をつけると、一層足を速める。そうしていると思いがけず庭へ出た。中庭……というより裏庭のような少し寂しい庭だ。
(ここ……?)
白羽はそろそろと足を進める。すると、
「なんと仰られても、あなた方には借りを作りたくないから、それをお渡ししたのです。いらないというなら、好きにして下さい。それで終わりです。そしてわたしにはもう話しかけないでくださいね」
素っ気ない、突き放すようなサンファの声がした。はっと見ると、少し離れた建物の陰に、隠れるように彼女の姿があった。そしてその前には……。
(…………あれは……)
横顔しか見えないが、そこにいたのはレイゾンの従者——あの青年だった。確か、名前はユゥと言っていたはずだ。ついさっき思い出した、あの青年。
二人はなんだかただならない様子——揉めている様子だ。
(どうして……)
なにがあったのだろう?
近くの柱の陰に隠れるようにして、白羽は息を詰めて様子を窺う。
と、サンファが踵を返して立ち去ろうとした寸前、
「待って!」
ユゥが声を上げ、その腕を捕まえた。
急に掴まれて驚いたのか、サンファが短く悲鳴を上げる。ユゥは「ごめん!」と慌てて手を離した。
「ごめん! でも——」
「いきなり腕を掴むなんて、礼儀知らずもいいところです。忙しいと言っているのにこんなところまで連れてこられただけでも迷惑なのに、つまらない話に付き合わせた挙句……なんのつもりですか!?」
「だ、だってまだ話は終わってな——」
「もう終わっています。そんなこともわからずに力に訴えようとするとは……。力ずくでどうこうしようとするとは、野蛮もいいところです。だから嫌なのですよ。貴方も、貴方の主も!」
「!」
(!)
ユゥがぐっと怯んだ様子を見せた。白羽も息を呑む。サンファは続けた。
「そういう乱暴さのせいで、わたしの主人である白羽さまはとてもとても嫌な思いをなさったのです。不快な、悲しい思いをなさったのです。お怪我もなさった。そんな状況なのに、あなたと親しく話せるわけがないでしょう。頂いていたものも全てお返し致しますし、今まで使わせていただいたものについては、代金をお支払い致しました。だからそれはあなたのものですし、今後は二度と話しかけないで下さい」
サンファの言葉に、白羽は目を凝らす。どうやら、今ユゥが手にしているものは、元々は彼女のもののようだ。話からしてお金かそれに類するものだろう。
強い言葉での拒絶に、ユゥは無言のままがっくり項垂れる。すると、それを可愛そうに感じたのだろうか? サンファは少し口調を緩めて続けた。
「……あなたは……真面目なようですから申し訳ないとは思いますが……。でも、真面目ならなおさら主人を選んだほうがよろしいのでは? あんな騎士と一緒にいれば、従者のあなたまで——」
「サンファさん」
だがそのとき。ユゥの口から出た声は、思いのほかしっかりとしたものだった。
一瞬、サンファが戸惑うような顔を見せる。白羽も息を詰める。
ユゥはサンファを真っ直ぐに見つめて続けた。
「……レイゾンさまがサンファさんの大切な人に——あの騏驥の方に嫌なことをしたのは、すまないと、僕も思います。申し訳ないことだと思います。僕が謝ったところで、あの騏驥の方もサンファさんも気が済むわけじゃないだろうけど……。でもレイゾンさまと一緒に謝ります。レイゾンさまの謝罪で足りないなら僕も謝ります。ただ……」
僅かに言葉を切り、彼は続ける。
「ただそれでも、レイゾンさまは僕にとっては大切なご主人です。なにがあっても、僕はレイゾンさま以外にはお仕えする気はありません」
「!」
丁寧だが毅然とした口調で言うユゥに、サンファは目を丸くする。
それは白羽も同じだった。
白羽は、このユゥという青年のことはほとんど知らない。
顔を見たのも数度だし、しっかりと声を聞いたのは初めてに近い。
それでも、彼がいつもこざっぱりとした身なりで印象が良く、気が利いて聡明であることはなんとなく知っていた。サンファを通じて、そしてレイゾンの様子を通じて。
レイゾンは、身なりも立ち居振る舞いも王都に長くいる騎士にはほど遠かった。
白羽は、自身が王城内で嫌な思いをしたことも多々あるため、決して「とにかく王都で生まれ育った騎士の方がいい」とは決して思わないが、それでもレイゾンはいわゆる「騎士らしい洗練された立ち居振る舞い」からはほど遠かった。騎士学校を経ていてもだ。
それはある意味、彼の、彼なりの矜持だったのだと今ならわかるけれど——とにかく、彼は見た目からして騎士らしくない騎士だったのだ。
——出会った頃は。
けれどそんな彼も、日が経つにつれて次第に変わっていった。
調教の時に姿を見るたびに、なんとなく感じていたのだ。着るものやその着方、身に着けているものが、少しずつ”騎士らしいもの”になっていっている、と。
それは決して華美になっているとか気取ったものになっていっているとかいうことではなく、彼らしい雰囲気を持ちつつも少しずつ質の良いもの・洒落たものに変わっていっていたということだ。
例えば、髪型が。纏う衣の色味が。例えば剣を帯びるための剣帯をはじめとした、それとなく身を飾る、こまごまとした物が。
そしてそれらは全てあの従者が気を遣い、考えて選んでいる——というのがサンファから聞いた話だった。
おそらくレイゾンに付いて回る際に、彼は他の騎士たちの様子を見て学んだのだろう。もしくは、サンファにも尋ねたのかもしれない。そして知ってそれらをレイゾンの個性と上手く取り合わせて、少しずつ自らの主人を立派にしていっているのだ。
技術はあるものの騎士としての振る舞いに不慣れなレイゾンにしてみれば、心強い従者だろう。そしてそんな風に主人を助けられるユゥは、優れた従者なのだ。どういう理由でレイゾンに仕えているのかはわからないにせよ。
——そんな風に、白羽は理解していた。
昨日までは。つい先ほどまでは。
近くじゃない。少し遠い。少し離れたところからだ。でも……どこから?
しかもその声音は、棘のある冷たいそれだった。
いったい、彼女は誰と何を話しているのか。
白羽は慌てて声がしたと思しき方へ向かう。だが屋敷が入り組んでいるからか、彼女の姿はなかなか窺えない。せめてもう一言だけでも話してくれればと思っていると、
「…………で……ない……から……」
ぼそぼそとした、くぐもったような声が聞こえた。
サンファのものではない声音。男の声のようだが、あまり聞いたことがない声だ。けれど彼女の声がした方から聞こえてきた。サンファの話し相手だろうか。
白羽は方向に目星をつけると、一層足を速める。そうしていると思いがけず庭へ出た。中庭……というより裏庭のような少し寂しい庭だ。
(ここ……?)
白羽はそろそろと足を進める。すると、
「なんと仰られても、あなた方には借りを作りたくないから、それをお渡ししたのです。いらないというなら、好きにして下さい。それで終わりです。そしてわたしにはもう話しかけないでくださいね」
素っ気ない、突き放すようなサンファの声がした。はっと見ると、少し離れた建物の陰に、隠れるように彼女の姿があった。そしてその前には……。
(…………あれは……)
横顔しか見えないが、そこにいたのはレイゾンの従者——あの青年だった。確か、名前はユゥと言っていたはずだ。ついさっき思い出した、あの青年。
二人はなんだかただならない様子——揉めている様子だ。
(どうして……)
なにがあったのだろう?
近くの柱の陰に隠れるようにして、白羽は息を詰めて様子を窺う。
と、サンファが踵を返して立ち去ろうとした寸前、
「待って!」
ユゥが声を上げ、その腕を捕まえた。
急に掴まれて驚いたのか、サンファが短く悲鳴を上げる。ユゥは「ごめん!」と慌てて手を離した。
「ごめん! でも——」
「いきなり腕を掴むなんて、礼儀知らずもいいところです。忙しいと言っているのにこんなところまで連れてこられただけでも迷惑なのに、つまらない話に付き合わせた挙句……なんのつもりですか!?」
「だ、だってまだ話は終わってな——」
「もう終わっています。そんなこともわからずに力に訴えようとするとは……。力ずくでどうこうしようとするとは、野蛮もいいところです。だから嫌なのですよ。貴方も、貴方の主も!」
「!」
(!)
ユゥがぐっと怯んだ様子を見せた。白羽も息を呑む。サンファは続けた。
「そういう乱暴さのせいで、わたしの主人である白羽さまはとてもとても嫌な思いをなさったのです。不快な、悲しい思いをなさったのです。お怪我もなさった。そんな状況なのに、あなたと親しく話せるわけがないでしょう。頂いていたものも全てお返し致しますし、今まで使わせていただいたものについては、代金をお支払い致しました。だからそれはあなたのものですし、今後は二度と話しかけないで下さい」
サンファの言葉に、白羽は目を凝らす。どうやら、今ユゥが手にしているものは、元々は彼女のもののようだ。話からしてお金かそれに類するものだろう。
強い言葉での拒絶に、ユゥは無言のままがっくり項垂れる。すると、それを可愛そうに感じたのだろうか? サンファは少し口調を緩めて続けた。
「……あなたは……真面目なようですから申し訳ないとは思いますが……。でも、真面目ならなおさら主人を選んだほうがよろしいのでは? あんな騎士と一緒にいれば、従者のあなたまで——」
「サンファさん」
だがそのとき。ユゥの口から出た声は、思いのほかしっかりとしたものだった。
一瞬、サンファが戸惑うような顔を見せる。白羽も息を詰める。
ユゥはサンファを真っ直ぐに見つめて続けた。
「……レイゾンさまがサンファさんの大切な人に——あの騏驥の方に嫌なことをしたのは、すまないと、僕も思います。申し訳ないことだと思います。僕が謝ったところで、あの騏驥の方もサンファさんも気が済むわけじゃないだろうけど……。でもレイゾンさまと一緒に謝ります。レイゾンさまの謝罪で足りないなら僕も謝ります。ただ……」
僅かに言葉を切り、彼は続ける。
「ただそれでも、レイゾンさまは僕にとっては大切なご主人です。なにがあっても、僕はレイゾンさま以外にはお仕えする気はありません」
「!」
丁寧だが毅然とした口調で言うユゥに、サンファは目を丸くする。
それは白羽も同じだった。
白羽は、このユゥという青年のことはほとんど知らない。
顔を見たのも数度だし、しっかりと声を聞いたのは初めてに近い。
それでも、彼がいつもこざっぱりとした身なりで印象が良く、気が利いて聡明であることはなんとなく知っていた。サンファを通じて、そしてレイゾンの様子を通じて。
レイゾンは、身なりも立ち居振る舞いも王都に長くいる騎士にはほど遠かった。
白羽は、自身が王城内で嫌な思いをしたことも多々あるため、決して「とにかく王都で生まれ育った騎士の方がいい」とは決して思わないが、それでもレイゾンはいわゆる「騎士らしい洗練された立ち居振る舞い」からはほど遠かった。騎士学校を経ていてもだ。
それはある意味、彼の、彼なりの矜持だったのだと今ならわかるけれど——とにかく、彼は見た目からして騎士らしくない騎士だったのだ。
——出会った頃は。
けれどそんな彼も、日が経つにつれて次第に変わっていった。
調教の時に姿を見るたびに、なんとなく感じていたのだ。着るものやその着方、身に着けているものが、少しずつ”騎士らしいもの”になっていっている、と。
それは決して華美になっているとか気取ったものになっていっているとかいうことではなく、彼らしい雰囲気を持ちつつも少しずつ質の良いもの・洒落たものに変わっていっていたということだ。
例えば、髪型が。纏う衣の色味が。例えば剣を帯びるための剣帯をはじめとした、それとなく身を飾る、こまごまとした物が。
そしてそれらは全てあの従者が気を遣い、考えて選んでいる——というのがサンファから聞いた話だった。
おそらくレイゾンに付いて回る際に、彼は他の騎士たちの様子を見て学んだのだろう。もしくは、サンファにも尋ねたのかもしれない。そして知ってそれらをレイゾンの個性と上手く取り合わせて、少しずつ自らの主人を立派にしていっているのだ。
技術はあるものの騎士としての振る舞いに不慣れなレイゾンにしてみれば、心強い従者だろう。そしてそんな風に主人を助けられるユゥは、優れた従者なのだ。どういう理由でレイゾンに仕えているのかはわからないにせよ。
——そんな風に、白羽は理解していた。
昨日までは。つい先ほどまでは。
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