前王の白き未亡人【本編完結】

有泉

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98 騏驥の気持ち、騎士の気持ち(2)

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 白羽は当惑していた。
 いずれも値が張るだろうことは白羽にも簡単に想像がつく。
 放牧場といい、レイゾンはどうかしている。

 白羽は胸が引き絞られるような感覚を覚え、サンファに、

<書くものを>

 と視線で命じる。
 侍女が持ってきたそれらを使い、白羽はレイゾンに向けて想いを書き記した。
 
 声が出せないことがもどかしい。すぐに応答できないことがじれったい。
 そして——自分の気持ちがこの字でどれほど伝わるだろう?
 
 レイゾンは静かに待っている。白羽は書きながら、胸の中でもどかしさと格闘していた。
 書けば書くほど、「違う」という想いがこみ上げる。
 違う。こう言いたいのではない。こういうことを言いたいのではない。けれどどう書けばいいのかわからない。
 時間ばかりが過ぎる。焦る。もどかしい——。

 苦心した挙句、白羽は書いたものをレイゾンに渡した。

[ありがとうございます。素晴らしい品々を揃えて頂き、お気持ち嬉しく存じます]
[ですがもう、どうかわたしにはお構いなきよう。いずれ治ればレイゾンさまのお側を離れる身。手をかけて頂くほどの者ではありません。ありがたく思う反面、ご負担をおかけしてしまい心苦しく感じてしまいます]

 そうなのだ。
 自分たちはいずれ離れる間柄だ。だとすればこれらの品々や時間やお金は、次の騏驥に——彼が本当に望む騏驥に費やすべきだろう。
 自分たちは……もう——。
 もう疎遠になるだけの間柄なのだから。

 けれどその気持ちがきちんと伝えきれているだろうか。
 固唾を呑む白羽の前で、レイゾンが文面を読む。気配が伝わってくる。
 最初は息を呑むようにぱっと喜び、しかし次第にがっかりとしているような気配。

 やがて、レイゾンはふっと息をついて顔を上げた。そして少し考えるような顔をして、ゆっくりと口を開く。

「……わかった……と言いたいところだが……そうは言わぬ」

 噛み締めるような口調だった。

「既に手遅れだということはよくわかっている。俺は馬鹿で……いろんなことに気づくのが遅かった。いろんなことを誤魔化そうとして……挙句、お前をひどく傷つけた。これはどう謝ったところで許されることではないだろう。わかっているのだ。だから、これは償うためというわけではないし、お前に許しを乞うているわけでもない。お前に構うのは、ただの俺の自己満足だ。以前も話したが……俺の騏驥に対して、本当ならしてやりたかった事……そういうことを遅ればせながらしているだけだ。付き合わされるお前は不愉快だろうが、そこは騎士の我儘を通させてもらう。ただ、お前は俺の騏驥であってもそれは今や形だけのこと。俺の行為を迷惑に思ったとしても、それを咎めはせぬ。気に入れば用いるがいいし、気に入らなければ捨てればいい。……お前の自由だ」

<…………>

 淡々と語られる言葉は、だからこそ重たい。
 白羽は唇を噛んだ。
 レイゾンの行為が白羽の歓心を買おうと思ってのことではないことは既にわかっていたが、こんなにも彼の決心は硬いとは……。
 
 田舎からやってきて、貴族以外で初めて騎士になって。
 苦労した分の出世を望んでいるなら、もっと打算的なものなのではないだろうか。

 武骨で世慣れず、様々なことに不慣れな、騎士らしくない騎士。
 けれど彼のこの一本気な気質は、騎士であるための大切な一つの資質のようにも思えるほどだ。

 白羽は何も言えず唇を噛んだ。
 声が出ないせいで何も言えないのではなく、レイゾンに返すための言葉が見つからなかったのだ。
 彼は『そうは言わぬ』と言ったが、白羽もまたすんなりと「そうですかわかりました」というわけにはいかない。ここで断らなければ、彼は更に時間とお金を費やすかもしれない。そんなことはさせられない。

(どうすれば……)

 声が出せれば、もっともっと言葉を尽くせただろう。即座に。思ったままを。感じたままを。抱いた想いを、声音に乗せてより強く伝えられたかもしれない。
 でも——今は。

 俯いてしまった白羽を気にしたのか——それともこの話を続けたくなかったのか。
 レイゾンは部屋を出ようとする素振りを見せる。
 追いすがるように白羽が見ると、彼は安心させるかのように微かに目を細めて見せた。

「——そう不安そうな顔をするな。お前の言い分も心に留めておく。荷物を口実にたびたび俺に部屋に来られることも愉快ではないことだろうし、次からは届ける方法も考えるとしよう」

<…………>

 しかし聞こえてきた言葉は、白羽の想いとはまるで食い違っているものだ。
 話が全くかみ合っていないことに、白羽は悲しくなった。しかもレイゾンは白羽が彼をすっかり嫌っていると思っていて……。

(そう……だけれど……)

 それは間違っていないけれど。
 でも。

 でも——。

 白羽は自分の中にこみ上げる混乱に突き上げられるように立ち上がると、そのままレイゾンを見つめる。
 傍らのサンファが、視線の先のレイゾンが、白羽の突然の行動に驚いた顔をしているのがわかる。
 でも沸き起こる気持ちが止められなかった。

 彼に憤っている。
 彼を恨んでいる。
 
 でも。
 でも……?

「っ……」

 胸の中に溢れている多過ぎる想いを何か一つだけでも解放したくて、白羽は唇を開く。果実を思わせる唇が、細かくわななく。
 けれどやはり——声は出ない。
 白羽が顔を顰め、声なく大きく喘ぐ。
 と、 

「無理をするな」

 すぐさま、レイゾンからの気遣うような声がした。
 よろめいた白羽を支えようとして——躊躇うように足を止める。代わりに支えてくれたのは、傍らのサンファだった。
 侍女の腕に縋りながら、それでもレイゾンと話したくて彼を見つめる。するとレイゾンはほっとした様子で白羽を見つめて言った。

「おそらく、久しぶりに野を駆けたことで疲れたのだろう。なにか滋養のつくものを口にするといい。サンファ、厨房には話をしておくから、あとで取りに来い」

「畏まりました」

 レイゾンの指示に、サンファは珍しく素直に応じる。白羽のためになると判断したからだろう。けれど白羽はそんなことはどうでもよかった。
 食べ物よりも、もっと大切なことがあるのだ。レイゾンにもっと——もっとちゃんと自分の想いを……——。

 しかし声の出ない白羽が必死で見つめる視線の先、レイゾンはまるでここに居続けることが辛いとでもいうかのように足早に部屋を出て行ってしまう。
 閉まる扉を見つめながら、白羽はがっくりと肩を落とした。
 声が出ないことが——すぐに返事ができないことがこんなにじれったいなんて……。

「大丈夫ですか? 白羽さま」

 するとそんな白羽に、傍らから声がかかる。白羽がこくりと頷くと、サンファは白羽の身体を支えて、ゆっくりと寝台にかけなおさせてくれた。


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