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105 訪れた、そのわけは
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どうして。
どうしてあの魔術師が……。
戸惑う白羽をよそに、魔術師は当然のような顔で近づいてくる。滑るような足取りは音が全くしない。白羽のすぐ側まで来ると、彼はきゅっと口の端を上げて笑った。
「その様子では、吾が誰か解っているようだな。せっかく城を出るならとなるべく騎士らしく装ってみたのだが……ばれたか。さすがは白。目敏いことだ」
そして彼はくすくす笑うと、白羽を見つめて続けた。
「どうして吾がここに、という貌だな。お前の騎士に頼まれたのだ」
<…………?>
目を瞬かせる白羽に、魔術師は笑ったまま続ける。
「吾が今日ここへ来たのは、そこの騎士に頼み込まれたためだ、と言ったのだ。まったく——塔の魔術師をこうも荒く使う騎士などそうそうおらぬぞ。王や王子でももう少し遠慮しようというのに」
<!>
愚痴るような魔術師の言葉に、白羽は仰天した。
彼が来たのは彼の自発的な意志ではなく、レイゾンのため——否、レイゾンのせいだというのか。
そんな騎士、白羽だって聞いたことがない。
魔術に造詣が深く、また自身も魔術師に引けを取らない力を持っていたティエンだって、塔の魔術師たちにはさすがに遠慮する様子を見せていたし処遇について配慮していた。
王として借りを作りたくない意味もあったのかもしれないが、彼らに頼み込むような真似もしなければ、また強引に命令をすることもなかったはずだ。
それはどんな騎士も同じだろう。
そもそも、畏れて積極的に関わろうとしない。
なのに、この騎士は……。
(騎士らしくない方だと知ってはいたけれど……まさかそんなことまで……)
魔術師が機嫌を損ねていなければいいが、と白羽は不安になったが、彼はといえば妙に楽しそうだ。
言葉こそ不満そうだが、面白がっているような気配がある。
白羽は困惑する。が直後、彼を立たせたままであることに気づいた。
慌てて長椅子から立ち上がると、「こちらへ」と言うように畳敷きの一角へ案内する。魔術師に加えてレイゾンもいるなら、その方がいいと思ったのだ。
二人が腰を下ろし、白羽も座ると、サンファが皆のために茶を運んできた。といっても茶器はレイゾンから贈られたものではない。それらはまだ箱の中に仕舞われている。
と、
「なんだ、例の茶器ではないのだな」
それを見て、魔術師が言った。
(何故知って……?)
白羽はどきりとする。思わずレイゾンを見ると、いくらか離れて座っている彼は気まずそうに目を逸らす。代わりに口を開いたのは魔術師だった。彼は白羽に説明するように言った。
「城からの道すがら、あれこれと話を聞かせてもらったのだ。当然だろう。閑な吾を閑でなくさせるのだ。そのぐらいの楽しみは提供してもらわねば」
一口茶を飲んで、彼は続ける。
「この騎士は、わざわざ塔までやってきたのだぞ。約束も伝手もなくよく来れたものよ、相当に迷っただろうに。とはいえ、本来なら話も聞かぬ。面倒だからな。ただ頼みの内容が其のことであった故な……」
<!>
わたしの?
白羽は再びレイゾンを見る。魔術師を見る。魔術師が続けた。
「其は昨日、突然姿が変わったのだろう? この騎士はそれを気にして吾を訪ねてきたのだ」
<!!>
白羽は目を丸くしてレイゾンを見た。
そんな——それが理由でわざわざ魔術師を?
(わたしの……)
確かに白羽自身も不安だった。あんなことは初めてだったから。けれど自分のような「いずれいなくなる騏驥」がそんな不安を口にするのは憚られた。今後、彼の役に立てるとも思えない自分が。
なのに……彼はこちらの不安に気付いて、気遣って、わざわざ魔術師を連れてきたというのか。
昨日の今日で、それも、わざわざ塔を訪ねて。
(レイゾンさま……)
白羽はすぐに礼を言いたかった。感謝の気持ちがこみ上げている。けれど声が出せない。
あいにく紙も筆も手元にないうえ、レイゾンはこちらを見ようとしていない。
(どうして)
嫌われている——というわけではないのだろう。ならば白羽を気にしているのだろうか。目が合うと怖がると……そう思われているのだろうか。
(……違う……のに……)
白羽は、こちらを見ないレイゾンにじりじりする。魔術師はまだ話を続けていたが、耳に入ってこなかった。それよりも、なんとかしてレイゾンに気持ちを伝えたい。
(…………)
白羽はいくらか迷った結果、離れて座るレイゾンにそっと近寄る。すると彼は驚いた顔をしたばかりか、慌てた様子で座ったまま後ずさろうとする。白羽はそんなレイゾンの衣の端を、きゅっと掴んだ。
まさかそんなことをするとは思っていなかったのだろう。いつもは厳ついレイゾンの顔が——その鋭い目が丸くなっている。
それをなんだか可笑しく思いながら、白羽は彼を見つめ「ありがとうございます」と唇を動かした。
声は出ない。それでも気持ちだけはすぐに伝えたかったから。
わかるだろうかと不安だったが、どうやら伝わったようだ。それまで戸惑うような表情だったレイゾンの顔が柔らかくほどける。
そして彼は困ったような——照れたような顔で「うん」と言うように頷いた。
頬の傷跡も相まってか、普段は怖い顔なのに——身体も大きくて力も強くて愛想にも乏しいのに、そんな風にしているとなんだか可愛らしいとさえ感じてしまうほどで、白羽も思わず頬をほころばせた。
(そう言えば、この方は実直な方なのだ……)
良くも悪くも。
そう、改めて思う。
社交上手な——言い換えれば、実のない・上辺だけの・腹の探り合いと含みのある言い回しばかりが上手な貴族たちとは違う騎士——。
白羽は、顔を隠そうとしているのかしきりに髪をかき上げているレイゾンの衣を、ずっと掴んでいたそれをそっと放す。レイゾンの表情ばかりを見ていたせいで、掴んでいたことをすっかり忘れていた。
それに——。
(あっ)
他にも人がいた。
白羽はこの場に魔術師やサンファも居たことを思い出すと、慌てて元居た場所に戻る。
気を利かせて紙と筆を置いてくれたらしいサンファは、傍らに控えて「何も見ていません」という顔をしているが、魔術師は目を細めて笑いながらこちらを見ている。
恥ずかしさに頬が熱くなった。
騏驥が騎士に礼を言うことは珍しいことではないし、むしろ当然のことだが、その後の自分の態度は……。
(あまり……当然ではなかった気がする……)
レイゾンをじっと見つめてしまっていたのだ。しかも、自分でもどのくらいそうしていたかわからないぐらい。
それを思い返すと、羞恥で身の置き所がない。
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