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97 騏驥の気持ち、騎士の気持ち(1)
しおりを挟む白羽が黙って俯いてしまうと、レイゾンがこちらを向いた気配があった。白羽はサンファが渡してくれた衣を、身体を隠すように抱きしめる。いや、何かに縋るように。
と、
「……俺が触れたからか?」
レイゾンがぽつりと言った。はっと見た白羽の目に、寂しそうな笑みを浮かべるレイゾンの姿が映った。
「部屋に来てみたら、侍女がお前はあの放牧場にいると言う。待っていたら、お前は馬の姿で戻ってきた。どうやら駆けてくれたらしいと知って、嬉しくてつい……馬の姿ならいいかと思って触れてしまったが……そのせいか?」
<………………>
白羽は応えられない。応えられなかった。わからない。自分でもよくわからないのだ。
「そうです」と言うのは簡単だろう。そしてそう言えば——そう言ってレイゾンのせいにすれば、彼はもう二度と白羽に触れようとはしないだろう。
なら、そうしてもいいはずなのだ。
頷くだけでいい。
あんなことをした彼に触れられたくない——そんな気持ちもあるのだから。
けれど……。
白羽は応えられなかった。頷けなかった。
傍らのサンファからは「どうして応えないのですか」という気配を感じるが、それでも。
だって先刻、白羽に触れたレイゾンの手は優しく、温かで愛しむような触れ方だった。
騏驥を大切にしている騎士の触れ方のように感じられたのだ。だから堪らなく心地よかった。嫌じゃなかったのだ。
そして今しがただって……白羽を抱えてくれた彼の手は、腕は、力強く、委ねていると安堵できた。この手に乱暴に組み伏せられたことを覚えていても、それでも。
白羽は逃げるように顔を逸らす。と、その視線の先に見慣れないものが映った。
こまごまとしたお茶の道具。碁盤に碁石。
ティエンから譲られたものとは違うものだが、こうした道具は今日までこの部屋にはなかった。
懐かしいものだが、しばらくは——城を出てからは見ることがなかったものだ。
城を出るときにすべて置いてきたもののはず。
身の回りのものはシィンが幾らかは持たせてくれたが、こうしたものは、もう使うこともないだろうと思っていたのに……。
(どうして……)
(まさか、レイゾンさまが……?)
白羽は戸惑いつつ改めてレイゾンを見る。と、目が合った彼は白羽の意を察したように小さく頷く。そして控えめな口調で続けた。
「今日、こうして部屋を訪ねてきたのはこれらのせいもあるのだ。話せば長くなるが……少し前に城で魔術師に会った。お前も知る、あの魔術師だ。あの御仁はどうやら魔術師にしては珍しく、しょっちゅう塔を出ては人に紛れているらしいな。それで……お前の話になった」
<…………>
思い出すような顔で、レイゾンは続ける。
「具合を尋ねられて……まあ、正直に答えた。幸いにして身体の方は治ってきているようだが、声は出ないままだとな。よくよく考えてみれば、今もお前はあの御仁の調合した薬を飲んでいるようだし、魔術師はお前の具合など先刻承知で……それをお前の騎士である俺が知っているかを確認したかったのだろう。意地が悪いが、まあわからなくもない」
白羽は、気付けばサンファに衣を着せかけられていた。
されるままになりながら、レイゾンの話に一心に耳を傾ける。彼は続ける。
「だがそんなこともあって……お前の容体について改めて考えたのだ。薬の他に、俺に何かできることはないか、と。それで……まあ、なにかの気晴らしになれば……と思ってな。……お前が声を失くした直接的な原因は、あの日の俺の愚行だったのだろうが、それ以前からでも、お前にとっては慣れない暮らしだっただろう? 住む場所も変わって調教も始まって……なのに俺はお前にとって癒しになるものを何一つ揃えてやっていなかったからな……。それどころか、考えてみればお前が何を好きかすら知らぬ始末だ。まったく、これで騎士としてどうのこうのとよく言えたものだ……」
レイゾンの声は、自嘲するような響きだ。しかしなぜかその声音は、白羽の胸をも軋ませる。
思わず顔を曇らせてしまうと、白羽のそんな様子をなにか勘違いしたのだろう。
レイゾンは慌てた様子で「だが心配するな」と続けた。
「これらの物は確かだ。お前の好みではないかもしれぬが、これらは全てツェンリェン殿に見立ててもらったものだ。だから物は間違いないはずだ。俺はあいにくこういう物には疎いが、殿下に仕えて長いツェンリェン殿なら、城の中の様子やそこに住まう方々の好みや流行にも詳しいだろうと思って……色々と相談に乗ってもらったのだ。お前が気に入りそうなものをいくつか挙げてもらって、その中から俺が選んだ。だから、質の悪いものではない。それでも気に入らなければ、そこいらにでも置いておけばいい。目障りなら部屋の外にでも出しておけ」
<…………>
そう言われて、白羽は改めて置かれている品々に目を向けた。
どれも、確かに間違いなく良い品だ。
以前白羽が愛用していたものは別として(なにしろティエンから贈られた・譲られたものだ。世に一つの逸品ばかりだった)、どこに出しても褒められるものばかりだろう。
ツェンリェンが揃えた幾つかの中からレイゾンが選んだという言葉の通りを示すように、どの品も華やかというよりは質実な作りで一見は地味だ。だが、装飾に凝っていない分、物自体の上質さは際立っていて、茶道具それぞれの素朴な姿かたちといい、碁盤の木目の美しさ、碁石の粒ぞろいの様子といい、名品と評して余りある良いものばかりだ。
これらをわざわざ揃えたというのか。
ツェンリェンに相談してまで、わざわざ……。
(わたしのために……?)
いずれ手放す騏驥のために?
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