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80 “誰か”
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◇
霊廟に辿り着いたとき同様の白い靄の中。前を行く二人(とダンジァが抱えている白羽)から離れないようにして歩きながら、レイゾンは今後についてぐるぐると考え続けていた。
一番気がかりなのはもちろん白羽のことだ。
今はダンジァの腕の中にいる彼。レイゾンから見えるのは彼の小さな足先ぐらいのものだ。ダンジァの歩に合わせて微かに揺れるそれを背後から見つめながら、レイゾンは顔を顰める。
あの騏驥の衰弱ぶりがどの程度なのか、医師に診せて治療をしてどの程度回復するのか……。
馬ならば、怪我も病気も目にしたことがある。レイゾン自身が治療したこともある。医師ではないものの、馬と接することの多い生活だったからなんとなく覚えたのだ。
完治した馬もいれば、残念ながらそのまま……という馬もいたが、そうした経験から、ある程度の具合の程度はわかるようになった。
だが騏驥は、まったく見当もつかない。しかも馬の姿ではなく人の姿。加えて、具合を悪くした原因が原因だ。
騎士学校で学んだ騏驥の馬体の知識や薬の知識など最低限のものだから役に立たないし、白羽が今後どうなるのかは、まさにこの迷路のような帰り道を抜けてからにかかっているのだった。
サンファは、相変わらず白羽を気にしている。
できることなら、レイゾンもダンジァの近づいて白羽の様子を窺いたいところなのだが、相変わらずあの侍女が警戒心露わで近づけそうにない。
強引なことをしたところで、騎士である自分を止められるものは誰もいないが、この期に及んで余計な揉め事は起こすまいと決めている。
同じ騏驥であるダンジァが診て、早く医師に診せた方がいいという判断だったということはまったく楽観視できないということだ。
騏驥は特別な——特殊な生き物だから、”生きていればいい”というものではない。
何かしらの理由で満足に走れなくなれば”処分”されることになる。
彼ら/彼女らはこの国で——大陸で最強の兵器だからこそ、国の宝と崇められている”異形”なのだから。
だからもし、白羽が”そう”でなくなってしまえば……。五変騎の一頭だからといって生かしておいてもらえる保証はないのだ。
(俺のせいで……あの騏驥が……)
処分される——かもしれない。
最悪の想像が脳裏をよぎり、レイゾンは一層大きく顔を歪める。
そのときだった。
前を歩いていた二人が、ぴく、と不自然に足を止める。
レイゾンははっと息を呑むと、思案にくれていた頭を一瞬で警戒状態に変え前方に目を凝らす。
と——。
二人の身体の向こうに、朧げに人影らしきものが見えた。
出口なのかもしれないが、何が現れたのかわからない。この場で武器を持っているのはレイゾンとダンジァで、しかしダンジァは両腕で白羽を抱えている。
何かあったときには応戦できない。
それを一瞬で判断すると、
「……下がってろ」
レイゾンは二人に向けて言い、ズイと一歩、二歩と踏み出す。
ダンジァも、サンファも大人しく従った。彼らが自分の背後に隠れたのを確認すると、レイゾンはまた一歩、じりっと踏み出す。
目の前の影に目を凝らし、辺りの気配を窺う。が、何の音もしない。香りもしない。しかしそこには”何か”がいる。
騏驥であるダンジァですら、直前まで気付けなかった”何か”。
攻撃できる間合いだが、相手の正体の確認もしないまま斬りかかるわけにはいかない。
(どうする……)
かといって戻る道もなく、このまま暫く相手の出方を見るしかないのだろうかと——そう思ったとき。
「!?」
辺りを取り巻いていた深い霧が——白い靄が、不意に音もなく薄くなっていく。
白羽がいたあの霊廟に着いた時のような、そんな感覚。
出られたのか?
城のどこかに、見覚えのある場所に戻ってこられたのだろうかと、レイゾンが期待した次の瞬間、
ひぅっ————。
——と。
突然、それまでまったく感じなかった風を感じ、思わず目元を庇ってしまう。
再び顔を上げた時。
完全に霧の晴れた目の前には、一人の——”誰か”が立っていた。顔は見えない。男か女か若いか年寄りなのかもわからない”誰か”。
辺りは——真っ暗だ。夜。夜の暗さ。外だ。風がある。気付けば木々の香りがする。草がそよぐ音。外だ。
遠くにはぽつりぽつりと灯りも見える。
が、周囲は暗くてここがどこかはわからない。
ただ、目の前に佇む”誰か”の周りだけはぼんやりと明るい。発光石だろうか? それとも——その”誰か”が纏っている長い衣のせいだろうか。
そう、その”誰か”は、長い衣をまとっていた。顔の見えないフードに、ずるずると尾を引くような長い衣。白色に見えるがそうでないようにも見える。銀色なのだろうか? 光っているのか光を反射しているのか……見えているのに見えづらい。
レイゾンが今まで見たことのない格好だ。
騎士とも、城の中で見た貴族や官吏たちとも違う……。
(誰だ?)
息を詰めたまま——全身を緊張させたままレイゾンはその”誰か”を見つめる。
正体を問うた方がいいのだろうかと、「誰だ」と口を開きかけた時。
「…………驚いた」
その”誰か”が先に口を開いた。
開いた——のだろう。深くかぶったフードのせいで口元は見えなかったが、声がした。初めて聞く声がした。男のそれのようだが、はっきりと判断しづらい。
「驚いた」という言葉ほど驚いていない声音で、その男——おそらく——は言った。
不意のことに戸惑うレイゾンに構わず、彼は続ける。
「こんなところに客が来るとは。しかもなんだ? 興味深い取り合わせだな」
滑らかすぎて印象に残りづらい声に僅かばかりの笑いを含んだ様子でそう言うと、彼はこちらに近づいてくる。ふわりと漂うような、滑るような足取り。
「来るな!」
レイゾンははっと身構える。
が、声を上げて腰の剣に手をかけるより早く、男はレイゾンの傍らをすり抜ける。
(!?)
どういうことだ?
どう動いた?
対してこちらは動けなかった。
動いたつもりで動けなかった。
唖然と振り返ったレイゾンの視線の先、男は興味深そうにダンジァに近づく。彼の腕の中の白羽の様子を窺っている。
「っ」
レイゾンは自分の頭に血が昇るのがわかった。
どうしてあの騏驥は——ダンジァは逃げないのだ!?
あんな得体の知れない者を白羽に近づけさせるな!
レイゾンは怒りが突き上げてくるのを感じながら、白羽を護ろうと足を踏み出そうとする。が——。
やはり身体が言うことをきかない。
(くそ……っ)
なぜ、と焦燥に駆られながら、レイゾンはサンファの姿を探した。白羽想いの彼女なら、あの男を追い払うだろうと思ったのだ。
だが、どうしてか彼女の姿は見つからない。
いや、違う。いつも「白羽さま、白羽さま」と煩いほどに騏驥を守ろうとしていたはずの彼女は、なぜか今、ダンジァの身体に隠れるようにして身を潜めていたのだった。まるで、突然現れた男から逃れようとするかのように。
霊廟に辿り着いたとき同様の白い靄の中。前を行く二人(とダンジァが抱えている白羽)から離れないようにして歩きながら、レイゾンは今後についてぐるぐると考え続けていた。
一番気がかりなのはもちろん白羽のことだ。
今はダンジァの腕の中にいる彼。レイゾンから見えるのは彼の小さな足先ぐらいのものだ。ダンジァの歩に合わせて微かに揺れるそれを背後から見つめながら、レイゾンは顔を顰める。
あの騏驥の衰弱ぶりがどの程度なのか、医師に診せて治療をしてどの程度回復するのか……。
馬ならば、怪我も病気も目にしたことがある。レイゾン自身が治療したこともある。医師ではないものの、馬と接することの多い生活だったからなんとなく覚えたのだ。
完治した馬もいれば、残念ながらそのまま……という馬もいたが、そうした経験から、ある程度の具合の程度はわかるようになった。
だが騏驥は、まったく見当もつかない。しかも馬の姿ではなく人の姿。加えて、具合を悪くした原因が原因だ。
騎士学校で学んだ騏驥の馬体の知識や薬の知識など最低限のものだから役に立たないし、白羽が今後どうなるのかは、まさにこの迷路のような帰り道を抜けてからにかかっているのだった。
サンファは、相変わらず白羽を気にしている。
できることなら、レイゾンもダンジァの近づいて白羽の様子を窺いたいところなのだが、相変わらずあの侍女が警戒心露わで近づけそうにない。
強引なことをしたところで、騎士である自分を止められるものは誰もいないが、この期に及んで余計な揉め事は起こすまいと決めている。
同じ騏驥であるダンジァが診て、早く医師に診せた方がいいという判断だったということはまったく楽観視できないということだ。
騏驥は特別な——特殊な生き物だから、”生きていればいい”というものではない。
何かしらの理由で満足に走れなくなれば”処分”されることになる。
彼ら/彼女らはこの国で——大陸で最強の兵器だからこそ、国の宝と崇められている”異形”なのだから。
だからもし、白羽が”そう”でなくなってしまえば……。五変騎の一頭だからといって生かしておいてもらえる保証はないのだ。
(俺のせいで……あの騏驥が……)
処分される——かもしれない。
最悪の想像が脳裏をよぎり、レイゾンは一層大きく顔を歪める。
そのときだった。
前を歩いていた二人が、ぴく、と不自然に足を止める。
レイゾンははっと息を呑むと、思案にくれていた頭を一瞬で警戒状態に変え前方に目を凝らす。
と——。
二人の身体の向こうに、朧げに人影らしきものが見えた。
出口なのかもしれないが、何が現れたのかわからない。この場で武器を持っているのはレイゾンとダンジァで、しかしダンジァは両腕で白羽を抱えている。
何かあったときには応戦できない。
それを一瞬で判断すると、
「……下がってろ」
レイゾンは二人に向けて言い、ズイと一歩、二歩と踏み出す。
ダンジァも、サンファも大人しく従った。彼らが自分の背後に隠れたのを確認すると、レイゾンはまた一歩、じりっと踏み出す。
目の前の影に目を凝らし、辺りの気配を窺う。が、何の音もしない。香りもしない。しかしそこには”何か”がいる。
騏驥であるダンジァですら、直前まで気付けなかった”何か”。
攻撃できる間合いだが、相手の正体の確認もしないまま斬りかかるわけにはいかない。
(どうする……)
かといって戻る道もなく、このまま暫く相手の出方を見るしかないのだろうかと——そう思ったとき。
「!?」
辺りを取り巻いていた深い霧が——白い靄が、不意に音もなく薄くなっていく。
白羽がいたあの霊廟に着いた時のような、そんな感覚。
出られたのか?
城のどこかに、見覚えのある場所に戻ってこられたのだろうかと、レイゾンが期待した次の瞬間、
ひぅっ————。
——と。
突然、それまでまったく感じなかった風を感じ、思わず目元を庇ってしまう。
再び顔を上げた時。
完全に霧の晴れた目の前には、一人の——”誰か”が立っていた。顔は見えない。男か女か若いか年寄りなのかもわからない”誰か”。
辺りは——真っ暗だ。夜。夜の暗さ。外だ。風がある。気付けば木々の香りがする。草がそよぐ音。外だ。
遠くにはぽつりぽつりと灯りも見える。
が、周囲は暗くてここがどこかはわからない。
ただ、目の前に佇む”誰か”の周りだけはぼんやりと明るい。発光石だろうか? それとも——その”誰か”が纏っている長い衣のせいだろうか。
そう、その”誰か”は、長い衣をまとっていた。顔の見えないフードに、ずるずると尾を引くような長い衣。白色に見えるがそうでないようにも見える。銀色なのだろうか? 光っているのか光を反射しているのか……見えているのに見えづらい。
レイゾンが今まで見たことのない格好だ。
騎士とも、城の中で見た貴族や官吏たちとも違う……。
(誰だ?)
息を詰めたまま——全身を緊張させたままレイゾンはその”誰か”を見つめる。
正体を問うた方がいいのだろうかと、「誰だ」と口を開きかけた時。
「…………驚いた」
その”誰か”が先に口を開いた。
開いた——のだろう。深くかぶったフードのせいで口元は見えなかったが、声がした。初めて聞く声がした。男のそれのようだが、はっきりと判断しづらい。
「驚いた」という言葉ほど驚いていない声音で、その男——おそらく——は言った。
不意のことに戸惑うレイゾンに構わず、彼は続ける。
「こんなところに客が来るとは。しかもなんだ? 興味深い取り合わせだな」
滑らかすぎて印象に残りづらい声に僅かばかりの笑いを含んだ様子でそう言うと、彼はこちらに近づいてくる。ふわりと漂うような、滑るような足取り。
「来るな!」
レイゾンははっと身構える。
が、声を上げて腰の剣に手をかけるより早く、男はレイゾンの傍らをすり抜ける。
(!?)
どういうことだ?
どう動いた?
対してこちらは動けなかった。
動いたつもりで動けなかった。
唖然と振り返ったレイゾンの視線の先、男は興味深そうにダンジァに近づく。彼の腕の中の白羽の様子を窺っている。
「っ」
レイゾンは自分の頭に血が昇るのがわかった。
どうしてあの騏驥は——ダンジァは逃げないのだ!?
あんな得体の知れない者を白羽に近づけさせるな!
レイゾンは怒りが突き上げてくるのを感じながら、白羽を護ろうと足を踏み出そうとする。が——。
やはり身体が言うことをきかない。
(くそ……っ)
なぜ、と焦燥に駆られながら、レイゾンはサンファの姿を探した。白羽想いの彼女なら、あの男を追い払うだろうと思ったのだ。
だが、どうしてか彼女の姿は見つからない。
いや、違う。いつも「白羽さま、白羽さま」と煩いほどに騏驥を守ろうとしていたはずの彼女は、なぜか今、ダンジァの身体に隠れるようにして身を潜めていたのだった。まるで、突然現れた男から逃れようとするかのように。
応援ありがとうございます!
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