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71 白羽——回想、霊廟、わたしの騎士は——
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◇
【白羽——回想】
城は不慣れなので、どうか案内してくれませんか。
波打つような金色の髪の、華やかで優美な騏驥にそう頼まれた時は、一瞬意味が解らなかった。
わたしと同じように、酒席に呼ばれた騏驥。
つまり五変騎の一頭だということは解っていたが、なにしろ会ったのは今日が初めて。そして話したのも、それが初めてのことだったのだ。
忍んでやってきてくれたサンファを部屋に残して、宴の席に呼ばれてからも、わたしはずっと沈んだ気分だった。侍女が来てくれたおかげで幾らか気を取り直したはずだったけれど、根本的な解決にはなっていなかったせいだろう。
他の客たちから向けられる好奇の目だけでも辛かったし、他の立派な騏驥たちに比べて、自分はなんと劣るのだろうと感じるたびに、場違いだと思わずにはいられなかった。
彼らは逞しく、凛々しく、まさに五変騎の名に相応しい騏驥ばかりだった。
王子の騏驥はもちろん、始祖の血を引く黒い騏驥も、眩いばかりの金の髪の騏驥も、なんらかの事情で馬の姿でいた緑の騏驥ですら。
そして、彼らはその素晴らしい見た目に加え、なによりも騎士との深い絆が感じられていた。どの騎士も、形や態度こそ少しずつ違えど、自分の騏驥をとても強く信じているのがとてもよく伝わってきたのだ。ふとした視線、気遣い。そういうものが、たびたび二人の——一人と一頭の強固な繋がりを感じさせた。
そういうものは、わかるものなのだ。
それは、わたしがティエンさまから頂いてたものと同じだったから。
けれど、今のわたしにはそれがなかった。
レイゾンさまは相変わらずわたしを避けていて、それはあからさまでわたしはとても恥ずかしく悲しかった。
ここに呼ばれた騏驥たちの中で、ただ一頭、騎士から求められていない自分が。
それでも、頭の隅でそれは仕方のないことだとも思っていた。
なにしろ、わたしは彼が求めていたような騏驥ではないのだ。彼はもっと力強く逞しい騏驥を求めていたようだったから。なにより、自分で騏驥を選ぶことを望んでいたなら、わたしのように「押し付けられた」騏驥は心から求められなくても仕方がないと思っていた。
そして……わたし自身、以前の主を別れられない騏驥だ。そんな騏驥は、今の主である騎士に必要とされなくても仕方がないと思っていた。自業自得なのだ、仕方ないのだ、と。
ただ、彼は騎士としての技術に優れ、騎乗に優れ、そして騏驥に対して誠実だった。
決して自ら望んで得た騏驥ではないわたしに対しても、日々の調教では真摯に接してくれた。こちらの日々の体調を考慮しつつ、よりよく駆けられるように工夫した調教を施してくれていた。だから少しぐらい身体が辛くても彼に乗られることは嫌ではなかったし、弱音は吐きたくないと思って頑張っていた。
ここ数日、以前にも増して距離を置かれるようになってからも、彼の騎士としての態度には信頼を感じていた。それを感じていたから、贅沢は言うまいと——そう思っていたのだ。
思っていた——のに——。
【白羽——霊廟】
王家の霊廟。聖なる静謐——。
白羽は、自分がまだここに来ることができたことに心底ほっとしながら、静かに足を進めた。
素足に触れる冷たい床石は、魔術師たちが魔術を用いて磨いたという百白石だ。月を閉じ込めたような青白い輝きを放ち、辺りを光の波に染めている。玻璃の柩の周りには、枯れることを知らない白い花々。この中の幾つかは白羽が供えたものだ。
ティエンが死んでから城を出るまでの間、白羽は何度か、ここを訪れていた。
美しい月を見たとき。可憐な花を見たとき。季節を感じさせる鳥の声を聞いたとき。
なにかのはずみでふとティエンを思い出し、寂しくて堪らなくなったとき、独りひっそりとここを訪れ、彼を悼んでいたのだった。
本来、王族の廟は縁の者しか立ち入れないよう、魔術師が結界を巡らせている。
が——。
白羽は不思議とここへ辿り着くことができたのだ。ティエンの面影を求め、彼を想い、彼との記憶を辿ると、いつも自然とここへ辿り着くことができた。
おそらく——。おそらくだがティエンが持っていた強い魔術力がいつしか白羽にも伝播したのだろう。もちろん白羽は魔術を使うことはできないが、移り香のようにティエンの気配が染み付いているのか、王族でもない身ながら、なぜかここを訪れることはできていた。
とはいえ、ティエンのもとにやってくることは、白羽にとって後ろめたいことでもあった。
会いたいけれど——どんな姿の彼とでも会いたいけれど、それは白羽が彼の最期の言葉を守っていない証明になってしまうためだ。
城を出ろと言い遺したティエン。けれど白羽はその言葉を守らず——ティエンを想う故に守ることができず、ずっと城に留まり続けて……。
だがそれも、現王の命令でレイゾンの元に行くことになり、それ以降はもうここを訪れることもないだろうと思っていた。
思い出は全て胸の中だけに留まり、もう二度とティエンの側に来ることはないと——思っていたのに。
「………………」
白羽は玻璃越しにティエンを見つめる。
魔術師が何をしたのかは知らない。わからない。これが本当のティエンの身体なのか——そうでないのかもわからない。わかっているのは、豪奢な衣に身を包み、目を瞑って横たわっているその姿は、ただ眠っているだけのようにも見えるということだ。
思い出の中のティエンと変わらない、貴やかなその姿。優しい面差し。
「ティエンさま……」
白羽はティエンの亡骸を見つめたまま、震える声で呟く。
戻りたい。
ここへ戻りたい。
城に、ティエンの側に。
もう二度と目覚めない人でも——そうわかっていても、自分もここに留まりたい。
戻りたい。ここでこのまま彼の姿を見つめたまま死んでしまっても構わない。いいえ——いっそ死んでしまいたい。
ティエンが遺した言葉の全てを裏切ることになるけれど、もう——もう自分は彼の側から離れたくない。
レイゾンのもとには行きたくない。
行きたくないのだ。
国王陛下が、低劣な戯れを思いつかれたのはやむを得ないことだと諦めていた。
薄々予想していたのだ。
ティエンの生前から、現王は長兄であるティエンのことをなんとなく嫌っていたから。
もしかしたら、嫌うというより嫉んでいたか羨んでいたのかもしれないけれど、とにかくあまりいいとはいえない兄弟仲だったように見受けられていたから。
世情に疎い白羽の目からしても。
だから白羽を蔑むような言動をするかもしれないだろうことは、予想していたことだった。そんな風に、機会があれば死後のティエンをも蔑むような王だと、薄々察していたからだ。
けれど。
そんな国王陛下からの言葉を受けてちらりとわたしを見たときのレイゾンさまの瞳を、わたしはまだ覚えている。
忘れられない。
迷うような、彼の瞳。
どうしてわたしを見るの?
わたしの胸の中はその言葉でいっぱいだった。
断ってほしかった。もちろん。すぐに。
断ると思っていた。もちろん。すぐに。
彼は騎士で、わたしは彼の騏驥としてこの場にいる。
確かに元は踊り子だけれど、今は騏驥としてここにいるのだ。騏驥だからここにいるのだ。
なのに彼はそうせず、わたしを見つめていた。戸惑うように。
わたしは彼を見つめ返した。
断ってほしかった。けれどわたしの立場でそれを言葉にすることはできない。
だが、彼はまだ迷っていた。
挙句——。彼は諦めて従おうとするような素振りを見せた。
その瞬間のわたしの絶望。
彼は。
彼は——わたしを売るのだ。
彼は。
彼は——自分の保身のために騏驥を売る……。
彼は騏驥を売る騎士……。
…………正直なところ、それから暫くは記憶がない。
だから金の騏驥から声をかけられたときは、とても驚いたのだ。
びっくりして見ると、彼は微笑んで扉に向けて顎をしゃくった。
『出ましょう。大丈夫。わたしの主があなたも部屋から出られるように取り計らってくれています』
『…………』
『こんなところにいるべきではない。……そうでしょう? 幸い、みな、あの二人の立ち合いに夢中になっています。わたしたちがいなくなったところで気付きません』
あの二人? と目を瞬かせるわたしの耳に、剣がぶつかり合う音が聞こえてきた。
驚いてそちらを見ると、黒い騏驥と見慣れない騏驥が剣を持って立ち合っていた。
三つの「輪」でわかった。あれは「緑」だと。
どうしてあの二頭が、とわたしは戸惑ったが、金の騏驥に『さあ』と促された。
わたしはわけがわからないまま、しかしそろそろと立ち上がった。ここから出られる? 本当に?
一瞬——ほんの一瞬レイゾンさまのことが気になったけれど、金の騏驥は『大丈夫』と微笑んだ。そして——その言葉通り、彼は騏驥同士の立ち合いにすっかり夢中になっている様子だった。
さっきまでの苦悩などなかったかのように、わたしに何をさせようとしていたのかなど、忘れたかのように……。
そうして、わたしは酒席をあとにした。
金の騏驥は、そのままわたしを控室まで送ってくれた。
道中、わたしが、一体どうして二頭の騏驥が立ち合うことになったのか尋ねると、彼はわたしが何も見ていなかったこと、聞いていなかったことに少し驚いた顔を見せたが、すぐに同情するかのように眉を寄せ、かい摘んで教えてくれた。
わたしを気遣ってくれた黒い騏驥、その意を汲んだ主。また、シィンさまが庇ってくれたことも——そう……畏れ多く申し訳ないことだ。緑の騏驥もその主も、いきなりのことできっと戸惑っただろう。
事の経緯を知ったとき、わたしは恥ずかしさと申し訳なさでいたたまれなかった。
部屋に戻ってからもずっと、レイゾンさまのことが頭から離れなかった。
あの瞳が。わたしを突き放そうとした、彼。
金の騏驥は、宴席が終わればレイゾンさまが迎えに来るだろうと話してくれた。
けれど、わたしは、もう、彼の側にはいたくないと思った。
そして気付けばサンファの姿はなく、わたしは控室を飛び出したのだった。
——ティエンさまの元に——わたしの騎士のもとに戻るために。
【白羽——回想】
城は不慣れなので、どうか案内してくれませんか。
波打つような金色の髪の、華やかで優美な騏驥にそう頼まれた時は、一瞬意味が解らなかった。
わたしと同じように、酒席に呼ばれた騏驥。
つまり五変騎の一頭だということは解っていたが、なにしろ会ったのは今日が初めて。そして話したのも、それが初めてのことだったのだ。
忍んでやってきてくれたサンファを部屋に残して、宴の席に呼ばれてからも、わたしはずっと沈んだ気分だった。侍女が来てくれたおかげで幾らか気を取り直したはずだったけれど、根本的な解決にはなっていなかったせいだろう。
他の客たちから向けられる好奇の目だけでも辛かったし、他の立派な騏驥たちに比べて、自分はなんと劣るのだろうと感じるたびに、場違いだと思わずにはいられなかった。
彼らは逞しく、凛々しく、まさに五変騎の名に相応しい騏驥ばかりだった。
王子の騏驥はもちろん、始祖の血を引く黒い騏驥も、眩いばかりの金の髪の騏驥も、なんらかの事情で馬の姿でいた緑の騏驥ですら。
そして、彼らはその素晴らしい見た目に加え、なによりも騎士との深い絆が感じられていた。どの騎士も、形や態度こそ少しずつ違えど、自分の騏驥をとても強く信じているのがとてもよく伝わってきたのだ。ふとした視線、気遣い。そういうものが、たびたび二人の——一人と一頭の強固な繋がりを感じさせた。
そういうものは、わかるものなのだ。
それは、わたしがティエンさまから頂いてたものと同じだったから。
けれど、今のわたしにはそれがなかった。
レイゾンさまは相変わらずわたしを避けていて、それはあからさまでわたしはとても恥ずかしく悲しかった。
ここに呼ばれた騏驥たちの中で、ただ一頭、騎士から求められていない自分が。
それでも、頭の隅でそれは仕方のないことだとも思っていた。
なにしろ、わたしは彼が求めていたような騏驥ではないのだ。彼はもっと力強く逞しい騏驥を求めていたようだったから。なにより、自分で騏驥を選ぶことを望んでいたなら、わたしのように「押し付けられた」騏驥は心から求められなくても仕方がないと思っていた。
そして……わたし自身、以前の主を別れられない騏驥だ。そんな騏驥は、今の主である騎士に必要とされなくても仕方がないと思っていた。自業自得なのだ、仕方ないのだ、と。
ただ、彼は騎士としての技術に優れ、騎乗に優れ、そして騏驥に対して誠実だった。
決して自ら望んで得た騏驥ではないわたしに対しても、日々の調教では真摯に接してくれた。こちらの日々の体調を考慮しつつ、よりよく駆けられるように工夫した調教を施してくれていた。だから少しぐらい身体が辛くても彼に乗られることは嫌ではなかったし、弱音は吐きたくないと思って頑張っていた。
ここ数日、以前にも増して距離を置かれるようになってからも、彼の騎士としての態度には信頼を感じていた。それを感じていたから、贅沢は言うまいと——そう思っていたのだ。
思っていた——のに——。
【白羽——霊廟】
王家の霊廟。聖なる静謐——。
白羽は、自分がまだここに来ることができたことに心底ほっとしながら、静かに足を進めた。
素足に触れる冷たい床石は、魔術師たちが魔術を用いて磨いたという百白石だ。月を閉じ込めたような青白い輝きを放ち、辺りを光の波に染めている。玻璃の柩の周りには、枯れることを知らない白い花々。この中の幾つかは白羽が供えたものだ。
ティエンが死んでから城を出るまでの間、白羽は何度か、ここを訪れていた。
美しい月を見たとき。可憐な花を見たとき。季節を感じさせる鳥の声を聞いたとき。
なにかのはずみでふとティエンを思い出し、寂しくて堪らなくなったとき、独りひっそりとここを訪れ、彼を悼んでいたのだった。
本来、王族の廟は縁の者しか立ち入れないよう、魔術師が結界を巡らせている。
が——。
白羽は不思議とここへ辿り着くことができたのだ。ティエンの面影を求め、彼を想い、彼との記憶を辿ると、いつも自然とここへ辿り着くことができた。
おそらく——。おそらくだがティエンが持っていた強い魔術力がいつしか白羽にも伝播したのだろう。もちろん白羽は魔術を使うことはできないが、移り香のようにティエンの気配が染み付いているのか、王族でもない身ながら、なぜかここを訪れることはできていた。
とはいえ、ティエンのもとにやってくることは、白羽にとって後ろめたいことでもあった。
会いたいけれど——どんな姿の彼とでも会いたいけれど、それは白羽が彼の最期の言葉を守っていない証明になってしまうためだ。
城を出ろと言い遺したティエン。けれど白羽はその言葉を守らず——ティエンを想う故に守ることができず、ずっと城に留まり続けて……。
だがそれも、現王の命令でレイゾンの元に行くことになり、それ以降はもうここを訪れることもないだろうと思っていた。
思い出は全て胸の中だけに留まり、もう二度とティエンの側に来ることはないと——思っていたのに。
「………………」
白羽は玻璃越しにティエンを見つめる。
魔術師が何をしたのかは知らない。わからない。これが本当のティエンの身体なのか——そうでないのかもわからない。わかっているのは、豪奢な衣に身を包み、目を瞑って横たわっているその姿は、ただ眠っているだけのようにも見えるということだ。
思い出の中のティエンと変わらない、貴やかなその姿。優しい面差し。
「ティエンさま……」
白羽はティエンの亡骸を見つめたまま、震える声で呟く。
戻りたい。
ここへ戻りたい。
城に、ティエンの側に。
もう二度と目覚めない人でも——そうわかっていても、自分もここに留まりたい。
戻りたい。ここでこのまま彼の姿を見つめたまま死んでしまっても構わない。いいえ——いっそ死んでしまいたい。
ティエンが遺した言葉の全てを裏切ることになるけれど、もう——もう自分は彼の側から離れたくない。
レイゾンのもとには行きたくない。
行きたくないのだ。
国王陛下が、低劣な戯れを思いつかれたのはやむを得ないことだと諦めていた。
薄々予想していたのだ。
ティエンの生前から、現王は長兄であるティエンのことをなんとなく嫌っていたから。
もしかしたら、嫌うというより嫉んでいたか羨んでいたのかもしれないけれど、とにかくあまりいいとはいえない兄弟仲だったように見受けられていたから。
世情に疎い白羽の目からしても。
だから白羽を蔑むような言動をするかもしれないだろうことは、予想していたことだった。そんな風に、機会があれば死後のティエンをも蔑むような王だと、薄々察していたからだ。
けれど。
そんな国王陛下からの言葉を受けてちらりとわたしを見たときのレイゾンさまの瞳を、わたしはまだ覚えている。
忘れられない。
迷うような、彼の瞳。
どうしてわたしを見るの?
わたしの胸の中はその言葉でいっぱいだった。
断ってほしかった。もちろん。すぐに。
断ると思っていた。もちろん。すぐに。
彼は騎士で、わたしは彼の騏驥としてこの場にいる。
確かに元は踊り子だけれど、今は騏驥としてここにいるのだ。騏驥だからここにいるのだ。
なのに彼はそうせず、わたしを見つめていた。戸惑うように。
わたしは彼を見つめ返した。
断ってほしかった。けれどわたしの立場でそれを言葉にすることはできない。
だが、彼はまだ迷っていた。
挙句——。彼は諦めて従おうとするような素振りを見せた。
その瞬間のわたしの絶望。
彼は。
彼は——わたしを売るのだ。
彼は。
彼は——自分の保身のために騏驥を売る……。
彼は騏驥を売る騎士……。
…………正直なところ、それから暫くは記憶がない。
だから金の騏驥から声をかけられたときは、とても驚いたのだ。
びっくりして見ると、彼は微笑んで扉に向けて顎をしゃくった。
『出ましょう。大丈夫。わたしの主があなたも部屋から出られるように取り計らってくれています』
『…………』
『こんなところにいるべきではない。……そうでしょう? 幸い、みな、あの二人の立ち合いに夢中になっています。わたしたちがいなくなったところで気付きません』
あの二人? と目を瞬かせるわたしの耳に、剣がぶつかり合う音が聞こえてきた。
驚いてそちらを見ると、黒い騏驥と見慣れない騏驥が剣を持って立ち合っていた。
三つの「輪」でわかった。あれは「緑」だと。
どうしてあの二頭が、とわたしは戸惑ったが、金の騏驥に『さあ』と促された。
わたしはわけがわからないまま、しかしそろそろと立ち上がった。ここから出られる? 本当に?
一瞬——ほんの一瞬レイゾンさまのことが気になったけれど、金の騏驥は『大丈夫』と微笑んだ。そして——その言葉通り、彼は騏驥同士の立ち合いにすっかり夢中になっている様子だった。
さっきまでの苦悩などなかったかのように、わたしに何をさせようとしていたのかなど、忘れたかのように……。
そうして、わたしは酒席をあとにした。
金の騏驥は、そのままわたしを控室まで送ってくれた。
道中、わたしが、一体どうして二頭の騏驥が立ち合うことになったのか尋ねると、彼はわたしが何も見ていなかったこと、聞いていなかったことに少し驚いた顔を見せたが、すぐに同情するかのように眉を寄せ、かい摘んで教えてくれた。
わたしを気遣ってくれた黒い騏驥、その意を汲んだ主。また、シィンさまが庇ってくれたことも——そう……畏れ多く申し訳ないことだ。緑の騏驥もその主も、いきなりのことできっと戸惑っただろう。
事の経緯を知ったとき、わたしは恥ずかしさと申し訳なさでいたたまれなかった。
部屋に戻ってからもずっと、レイゾンさまのことが頭から離れなかった。
あの瞳が。わたしを突き放そうとした、彼。
金の騏驥は、宴席が終わればレイゾンさまが迎えに来るだろうと話してくれた。
けれど、わたしは、もう、彼の側にはいたくないと思った。
そして気付けばサンファの姿はなく、わたしは控室を飛び出したのだった。
——ティエンさまの元に——わたしの騎士のもとに戻るために。
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