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63 宴(8) 騎士の祝福
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(しかもそんな適当な選び方をして……)
それで大丈夫なのだろうか?
リィは俄かに湧きあがった不安を感じながら、ちらりとレイ=ジンを見る。
彼の腰には、それなりに選んだだろう剣がある。いつも彼が帯びているものとは違うが、少なくとも提示されたものの中から吟味しただろう剣が。
彼の剣の腕はリィも知らない。だが”始祖の血を引く騏驥”である彼は、他の騏驥と違って幼少期から——生まれた時から騏驥としての振る舞いを躾けられている。当然剣術もだ。
それに、彼が主に選んだGDの剣術の腕前は騎士の中でも指折りだ。そんなGDから指南を受け続けていたなら、彼の腕前も相当だろう。
そんなレイ=ジンを相手に、適当に選んだ剣で立ち合うなんて……。
しかしそんなリィの不安をよそに、ルーランはにっこり微笑む。
自信があるのか——それとも暴れられる機会だから、ただ楽しんでいるのか。
そうしているうちに、部屋は更に片付けられていく。真ん中に、ちょっとした立ち合いどころか、立派な試合ができそうな広さができている。
と、いつしか近寄ってきていたGDに「ありがとう」と挨拶された。
「無理を言ってしまって申し訳ない。が……レイ=ジンの望みをかなえてやりたくてね」
レイ=ジンの望み。
やはり、控室で起こったらしい揉め事の落とし前をつけたいということだろうか。
「ああ……うん。いや……その……こちらこそ……」
ルーランがすまない、とリィが言いかけたとき。
それを止めるように、GDが小さく首を振った。微かに、リィにしかわからないように。
戸惑うリィに、彼は声を落として言う。
「多分、きみが心配しているようなことじゃない」
「……え……?」
リィが目を丸くすると、GDは小さく笑った。
「わたしたちも互いの騏驥の戦いぶりを楽しもうということだよ。ああ、そうだ。こういう席だから、特に判者は置かないが……構わないな?」
「ん……えっ!?」
「不要だろう。王の御前だ。当然お互い正々堂々。ならば判者は無粋だ。——だろう?」
「…………」
そう言われてしまえば、否とは言えない。確かにこういう場での立ち合いだから、どちらの騏驥もお互い卑怯なことはしないだろう。負けた時は潔くそれを認めるに違いない。
が……。
リィは不安になる。
判者は確かに勝敗の判定を下す者だが、同時に、立ち合う二人の一番に近くにいる者でもあるのだ。つまり——万が一の時に二人を止められる位置に。
その判者抜きでの立ち合いなんて、どちらかが怪我をするようなことにならなければいいが……。
(本当に大丈夫なのかな……)
挑まれて応じないわけにはいかなかったとはいえ、不安が高まっていく。
思いたくはないけれど、こんなことを言い出したレイ=ジンを少し恨んでしまいそうだ。
「どうしたの」
するとルーランが声をかけてきた。
そろそろ始まりそうな雰囲気なのに、彼は相変わらずリラックスしている。
いきなり立ち合うことになったことも、それを大勢に見られることも、適当に選んだ剣のことも、判者がいないことも気にしていないようだ。
いつもと変わらず自分を見つめてくる蜂蜜色の瞳。
リィはそんなルーランを暫く見つめ、「なんでもない」と首を振った。
「騏驥同士での立ち合いなんて、わたしもあまり見たことがなかったなと思っていただけだ。それも五変騎同士なんて……。確かにこんな機会でもなければ叶わなかったことだろう」
「そうだね。まあ、俺は相手が誰でも勝つけど」
ルーランは言うと、にっこり笑う。
軽口も相変わらずだと、リィが苦笑しかけた次の瞬間——。
(え……)
不意に足元に跪いたルーランに、リィは瞠目した。
「ル、ルーラン!?」
周囲からの視線も感じる。当然だ。部屋に入ったときから彼は注目されていた。ずっと。
リィは慌てるが、ルーランは片膝をついたまま立ち上がろうとしない。
さっきまでとは別人のような真摯な貌でリィを見て——見上げて——待っている。
待っている、のだ。
(わたしの言葉を……)
それに気付いた時、リィの背筋を、言葉にできない悦びが突き抜けた。
周囲がざわついている。「どうしたのだ」「なにがあったのだ」「まだ始まらぬのか」と誰かに尋ねている王の声も聞こえる。
戸惑う。
躊躇う。
けれどリィは心を決めると、帯びている鞭に指を伸ばす。
それを取ると、その先を、目の前に跪くルーランの肩にそっと置く。静かに触れる。
ルーランが、頭を垂れる。
リィはゆっくりと深呼吸すると、
「我が愛騎に告る——」
そのまま、震える唇で言葉を紡いだ。
今は亡き王国——馬とともに在り、馬とともに生きた古千国の、その王族だけが口にすることを許されている寿ぎの言葉。
馬への——ともに戦いへ赴く最愛のものへの、祈りと祝福の言葉。
汝 尊く猛き栄えあるものよ 永久に 我は汝とともにあり
その血 その脈 その命 汝悉くは我が誇り
その瞳 その鬣 その蹄 あまねく全ては我が誇り
駆けよ 天地の出会う果て 天地の尽きし更に果て
我が愛騎 光を宿し風よりも疾く花冠を頂きしかみなきものよ
駆けよ 翔けよ
汝は我とともに在り
リィは、国が亡びた時のことは知らない。
生まれるずっと昔の話だからだ。
だがずっと、この言葉は伝え聞いていた。父から。ずっと昔から。
古千国にとって、馬は人民と同じくらいに大切なものなのだと。いやむしろ——言葉が話せない分、もっともっと愛しんでやるものなのだと。
喜んで戦いに向かう馬などいないのだから——と。彼らは我々闘う者のために命を落とすのだから、と。
だからせめて心からの祝福を与え、その言葉が、戦いに赴く彼らの誇りとなるようにするのだと。
だが、まさか。
(ここで口にすることになるなんて……)
彼が、これを知っていたなんて。
辺りが静まり返る中、リィは触れた時同様、静かにルーランの肩から鞭を離す。
ルーランが顔を上げる。神妙な面持ちだ。が、目が合うと、彼は幸せそうに微笑んだ。
そのまますらりと立ち上がると、満たされたように大きく息をつく。
リィは人前で大仰な儀式をしてしまったことに、今更ながらに恥ずかしくなる。耳が熱くなるのを感じながら、リィは小声の早口でルーランに言った。
「……お前がどうして”これ”を知っていたのか知らないが、たかが立ち合いで大げさだろう」
しかも——こんな場だ。
ことの成り行きだって、王がレイゾンに絡んでいたとき、GDが……。
(あ……)
そこで、はっとリィは気付いた。何となく感じた——察したといった方がいいかもしれない。まさかと思うが、それならさっきのGDの言葉とも辻褄が合う。
だとしたら、この立ち合いは……。
(ルーランは、わかっているのだろうか?)
見つめるリィに、ルーランは飄々としたていで言う。
「そう? そんなことはないよ。見ている側はどうあれ、やる側は勝負なんだ。勝たなきゃ意味ない」
「…………」
その様子と口調からは、彼がどう思っているのか窺えない。
リィは自分の想像を伝えようか迷った。
GDに確認したわけじゃない。もし違っていたらルーランが隙を作ってしまうことになりかねない。
どうしようかと迷うリィに、ルーランは笑った。
「あんたの騏驥は無敵だ。馬の時でも人の時でも。走ろうが戦おうが剣だろうが。どんなときでも。そしてあんたは、そんな無敵の騏驥を従える騎士だ。誰よりも立派で綺麗な、俺の騎士」
「……ルー……ラン……」
「あんたは最高なんだから、俺も最強じゃなきゃ。——そうだろう? だったらおくれを取るわけにはいかない。誰にも。どんな時も。だから俺にとっては立派な戦いだよ、リィ。だから——あんたの祝福が必要だった。——ありがとう。これで俺が勝つのは決まったようなもんだ」
まあ、前から決まってたけどね。
ルーランは楽しげにそう言うと、自信たっぷりな顔で踵を返す。
リィはその背を見つめ、送り出しながら、彼が命を懸けて自分を守ってくれたことを思い出す。弱音一つ吐かず、辛かっただろうにリィを安心させるように微笑んで。
そうだ——彼は、誰よりも強い騏驥。ならば彼は今回もきっと勝つだろう。こんな宴席での立ち合いですら、仮に——真の目的が何だろうとしても。ルーランもまたそれを察していたとしても。
彼が、リィのために勝利を捧げてくれると、そういうなら。
「わたしの騏驥……」
リィはその言葉を噛み締めるように言うと、どちらも怪我をしませんようにと心の中で願った。
それで大丈夫なのだろうか?
リィは俄かに湧きあがった不安を感じながら、ちらりとレイ=ジンを見る。
彼の腰には、それなりに選んだだろう剣がある。いつも彼が帯びているものとは違うが、少なくとも提示されたものの中から吟味しただろう剣が。
彼の剣の腕はリィも知らない。だが”始祖の血を引く騏驥”である彼は、他の騏驥と違って幼少期から——生まれた時から騏驥としての振る舞いを躾けられている。当然剣術もだ。
それに、彼が主に選んだGDの剣術の腕前は騎士の中でも指折りだ。そんなGDから指南を受け続けていたなら、彼の腕前も相当だろう。
そんなレイ=ジンを相手に、適当に選んだ剣で立ち合うなんて……。
しかしそんなリィの不安をよそに、ルーランはにっこり微笑む。
自信があるのか——それとも暴れられる機会だから、ただ楽しんでいるのか。
そうしているうちに、部屋は更に片付けられていく。真ん中に、ちょっとした立ち合いどころか、立派な試合ができそうな広さができている。
と、いつしか近寄ってきていたGDに「ありがとう」と挨拶された。
「無理を言ってしまって申し訳ない。が……レイ=ジンの望みをかなえてやりたくてね」
レイ=ジンの望み。
やはり、控室で起こったらしい揉め事の落とし前をつけたいということだろうか。
「ああ……うん。いや……その……こちらこそ……」
ルーランがすまない、とリィが言いかけたとき。
それを止めるように、GDが小さく首を振った。微かに、リィにしかわからないように。
戸惑うリィに、彼は声を落として言う。
「多分、きみが心配しているようなことじゃない」
「……え……?」
リィが目を丸くすると、GDは小さく笑った。
「わたしたちも互いの騏驥の戦いぶりを楽しもうということだよ。ああ、そうだ。こういう席だから、特に判者は置かないが……構わないな?」
「ん……えっ!?」
「不要だろう。王の御前だ。当然お互い正々堂々。ならば判者は無粋だ。——だろう?」
「…………」
そう言われてしまえば、否とは言えない。確かにこういう場での立ち合いだから、どちらの騏驥もお互い卑怯なことはしないだろう。負けた時は潔くそれを認めるに違いない。
が……。
リィは不安になる。
判者は確かに勝敗の判定を下す者だが、同時に、立ち合う二人の一番に近くにいる者でもあるのだ。つまり——万が一の時に二人を止められる位置に。
その判者抜きでの立ち合いなんて、どちらかが怪我をするようなことにならなければいいが……。
(本当に大丈夫なのかな……)
挑まれて応じないわけにはいかなかったとはいえ、不安が高まっていく。
思いたくはないけれど、こんなことを言い出したレイ=ジンを少し恨んでしまいそうだ。
「どうしたの」
するとルーランが声をかけてきた。
そろそろ始まりそうな雰囲気なのに、彼は相変わらずリラックスしている。
いきなり立ち合うことになったことも、それを大勢に見られることも、適当に選んだ剣のことも、判者がいないことも気にしていないようだ。
いつもと変わらず自分を見つめてくる蜂蜜色の瞳。
リィはそんなルーランを暫く見つめ、「なんでもない」と首を振った。
「騏驥同士での立ち合いなんて、わたしもあまり見たことがなかったなと思っていただけだ。それも五変騎同士なんて……。確かにこんな機会でもなければ叶わなかったことだろう」
「そうだね。まあ、俺は相手が誰でも勝つけど」
ルーランは言うと、にっこり笑う。
軽口も相変わらずだと、リィが苦笑しかけた次の瞬間——。
(え……)
不意に足元に跪いたルーランに、リィは瞠目した。
「ル、ルーラン!?」
周囲からの視線も感じる。当然だ。部屋に入ったときから彼は注目されていた。ずっと。
リィは慌てるが、ルーランは片膝をついたまま立ち上がろうとしない。
さっきまでとは別人のような真摯な貌でリィを見て——見上げて——待っている。
待っている、のだ。
(わたしの言葉を……)
それに気付いた時、リィの背筋を、言葉にできない悦びが突き抜けた。
周囲がざわついている。「どうしたのだ」「なにがあったのだ」「まだ始まらぬのか」と誰かに尋ねている王の声も聞こえる。
戸惑う。
躊躇う。
けれどリィは心を決めると、帯びている鞭に指を伸ばす。
それを取ると、その先を、目の前に跪くルーランの肩にそっと置く。静かに触れる。
ルーランが、頭を垂れる。
リィはゆっくりと深呼吸すると、
「我が愛騎に告る——」
そのまま、震える唇で言葉を紡いだ。
今は亡き王国——馬とともに在り、馬とともに生きた古千国の、その王族だけが口にすることを許されている寿ぎの言葉。
馬への——ともに戦いへ赴く最愛のものへの、祈りと祝福の言葉。
汝 尊く猛き栄えあるものよ 永久に 我は汝とともにあり
その血 その脈 その命 汝悉くは我が誇り
その瞳 その鬣 その蹄 あまねく全ては我が誇り
駆けよ 天地の出会う果て 天地の尽きし更に果て
我が愛騎 光を宿し風よりも疾く花冠を頂きしかみなきものよ
駆けよ 翔けよ
汝は我とともに在り
リィは、国が亡びた時のことは知らない。
生まれるずっと昔の話だからだ。
だがずっと、この言葉は伝え聞いていた。父から。ずっと昔から。
古千国にとって、馬は人民と同じくらいに大切なものなのだと。いやむしろ——言葉が話せない分、もっともっと愛しんでやるものなのだと。
喜んで戦いに向かう馬などいないのだから——と。彼らは我々闘う者のために命を落とすのだから、と。
だからせめて心からの祝福を与え、その言葉が、戦いに赴く彼らの誇りとなるようにするのだと。
だが、まさか。
(ここで口にすることになるなんて……)
彼が、これを知っていたなんて。
辺りが静まり返る中、リィは触れた時同様、静かにルーランの肩から鞭を離す。
ルーランが顔を上げる。神妙な面持ちだ。が、目が合うと、彼は幸せそうに微笑んだ。
そのまますらりと立ち上がると、満たされたように大きく息をつく。
リィは人前で大仰な儀式をしてしまったことに、今更ながらに恥ずかしくなる。耳が熱くなるのを感じながら、リィは小声の早口でルーランに言った。
「……お前がどうして”これ”を知っていたのか知らないが、たかが立ち合いで大げさだろう」
しかも——こんな場だ。
ことの成り行きだって、王がレイゾンに絡んでいたとき、GDが……。
(あ……)
そこで、はっとリィは気付いた。何となく感じた——察したといった方がいいかもしれない。まさかと思うが、それならさっきのGDの言葉とも辻褄が合う。
だとしたら、この立ち合いは……。
(ルーランは、わかっているのだろうか?)
見つめるリィに、ルーランは飄々としたていで言う。
「そう? そんなことはないよ。見ている側はどうあれ、やる側は勝負なんだ。勝たなきゃ意味ない」
「…………」
その様子と口調からは、彼がどう思っているのか窺えない。
リィは自分の想像を伝えようか迷った。
GDに確認したわけじゃない。もし違っていたらルーランが隙を作ってしまうことになりかねない。
どうしようかと迷うリィに、ルーランは笑った。
「あんたの騏驥は無敵だ。馬の時でも人の時でも。走ろうが戦おうが剣だろうが。どんなときでも。そしてあんたは、そんな無敵の騏驥を従える騎士だ。誰よりも立派で綺麗な、俺の騎士」
「……ルー……ラン……」
「あんたは最高なんだから、俺も最強じゃなきゃ。——そうだろう? だったらおくれを取るわけにはいかない。誰にも。どんな時も。だから俺にとっては立派な戦いだよ、リィ。だから——あんたの祝福が必要だった。——ありがとう。これで俺が勝つのは決まったようなもんだ」
まあ、前から決まってたけどね。
ルーランは楽しげにそう言うと、自信たっぷりな顔で踵を返す。
リィはその背を見つめ、送り出しながら、彼が命を懸けて自分を守ってくれたことを思い出す。弱音一つ吐かず、辛かっただろうにリィを安心させるように微笑んで。
そうだ——彼は、誰よりも強い騏驥。ならば彼は今回もきっと勝つだろう。こんな宴席での立ち合いですら、仮に——真の目的が何だろうとしても。ルーランもまたそれを察していたとしても。
彼が、リィのために勝利を捧げてくれると、そういうなら。
「わたしの騏驥……」
リィはその言葉を噛み締めるように言うと、どちらも怪我をしませんようにと心の中で願った。
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