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56 宴
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◇
目の前に並ぶ香り高い酒と数多の山海の珍味。
奏でられている音楽も美しく、宴は王城でのそれらしく小規模ながら趣のあるものだ。
しかしその場に招かれた一人であるレイゾンは、緊張のあまりそんな宴をほとんど楽しめずにいた。
それは予想していた通りのことだったが——予想以上だ。
レイゾンは杯に注がれた酒をちびちびと飲みながら、そっと辺りの様子をうかがう。
自分と同じ騎士と、それを囲むように座っている他の客たち。皆々はこうした宴でも楽しめているのだろうか。
——楽しめているのだろうな。
(俺よりは慣れているだろうからな……)
騎士学校で礼儀や基本的な立ち居振る舞いは習ったものの、所詮は付け焼刃だ。場数の違う他の騎士たち——貴族たちとレイゾンとではまるで違うだろう。
事実、レイゾンの左右に座る騎士たちも、宴の美酒や美食を楽しみつつ程よく他の客と言葉を交わしている。
そんな中、レイゾンだけが居心地の悪さを感じ続けていたのだった。
◇
今夜、宴の会場としてレイゾンたちが通されたのは、清宮と呼ばれているらしい王の住まいに近い、比較的私的な宮の一室だった。
当然レイゾンはそんなところまで足を踏み入れたことはなく、滑らかな乳白色に塗られた磨かれた床を一歩一歩歩くだけで緊張したものだった。
部屋も、広さはさほどではないものの、大きな窓からは緑の美しい庭が窺えたり、高い天井には色鮮やかな絵が描かれていたり、そしてなんと室内に小川が流れ心地よい水音が聞こえていたりと細かいところまで凝った作りだ。
おそらく、なにげなく、さりげなく置かれている灯り一つとっても、田舎育ちのレイゾンからすればとんでもなく高価だったり高名な職人が作ったものだったり歴史のあるものだったりするのだろう。
騎士学校で出会った貴族の子弟の持ち物がそうだったように。
そんな部屋で、いまレイゾンたちは王と王太子を囲むようにして酒席を共にしている。
本来、騎士は全て同格——とはいえ国を統治しているのは王である以上、こうした席ではそこに上下が存在する。
そんなわけで、王は部屋の上の席に鎮座し、王太子であるシィン殿下はレイゾンたちと同じ場所ではあるものの、やや王の近くに座っている。そしてレイゾンと黒い騏驥を従えた騎士、そして金の騏驥を従えた騎士三人は、王に対してゆるく半円を描くような格好で並んで座っているのである。
——レイゾンを真ん中にして。
(…………)
それもまた、レイゾンが緊張を強いられている理由の一つだった。
(なぜ俺が真ん中なのだ)
並びに特に意味はない、とレイゾンたちを案内した者は言っていたけれど、だったらせめて端にしてほしかったとレイゾンは思う。他の二人はさして気にしていないようだから本当に意味はないのかもしれないが、この位置では王の正面になる。離れているとはいえ向かいに国王と思うと、ただでさえ落ち着けないのが一層だ。
そもそも——この宴に招待された時からレイゾンは困っていた。
あの招待が命令だということぐらいはレイゾンにも解った。だから断ることは考えられなかったし、そのための白羽の衣装も用意した。……ユゥの助言を受けながら。
(彼はあの侍女の影響か、いつの間にか城での作法や貴族たちのことにレイゾンよりも詳しくなっていた。今日宴に参城するにあたっての格好も、彼が考えてくれたものだ。おかげで(?)なのか、今日は城の中を歩いていても以前ほど周りから見られることはなかった気がする)
ただ——招待の詳細——騏驥とともにという一文に、レイゾンは一層困惑したのだ。
白羽と一緒にいたくなかったから。
レイゾンは、白羽が譫言で前王を呼んだあの日からというもの、彼を避けていた。
そしてそれは白羽にも伝わっていただろう。調教の時以外は顔を合わせることもなかったし、調教の時も殆ど話をしなかったのだから。
我ながら騎士としていいふるまいではないことはわかっていた。
わかっていたが——頭と理性ではそうわかっていたが、心と感情はどうしてもそれを正せずにいたのだ。
その上、例の鞭の件もあった。
リィから鞭の話を聞いてからというもの、レイゾンは何度か白羽にそのことを問おうかと思った。問い詰め、その鞭をさっさと出せ、と。
けれど結局、それは口にできないままだ。
もしかしたら、リィが勘違いをしている可能性もある。鞭に詳しいといっても、その全てに精通しているわけではないのだから、もう一度確認してからにしよう——そう思って。
だが。
改めて考えれば、それは自分に対しての言い訳なのかもしれなかった。
リィに確かめるとしても、その前に白羽に尋ねてもいいはずなのだ。なのにそれをしなかった——できなかったということは、事実を知るのを畏れているためなのだろう。
白羽は心の底では自分を拒否していると、はっきりと思い知らされることを。
心が未だ前王にあるだけでも、今の主としてやりきれないというのに、身体まで——騏驥としての能力まで自分に全て明かす気はないのかと思うと、それを思い知らされると、甚だ惨めに思えて……。
だから未だにそれは問えず、そのため以前よりももっと白羽を避けるようになっていた。
そういう経緯だから、今日、城にやって来たのも一人でだ。白羽は屋敷の助手に任せた。元々、白羽は城に慣れている。一人で来たところで困らないだろう。
宴まで過ごすようにと通された部屋にも騏驥の姿はなく、レイゾンはどこかほっとしたものだった。
だがその一方で、その部屋に他の騎士たちと一緒にいなければならなかったことには緊張した。
今夜、呼ばれていた騎士は五人。他にも、王に親しい者が何名か同席するようだが、騎士として呼ばれたのは五変騎それぞれの騎士たちだけ。そしてレイゾンに面識があったのはリィだけだった。
だからリィがその場にいてくれたことにはほっとしたし、偶然とはいえ先日書架堂で会えていたこと、ツェンリェンが彼を紹介してくれていたことには感謝しかなかった。
リィは前に見た時と同様、騎士らしい毅然とした佇まいだった。そして以前よりいくらか華やかな装いだった。華美になりすぎず、しかし宴のために参城したとわかる洗練されたいでたちだ。
そして彼の方もレイゾンを覚えていてくれたらしく『またお会いしましたね』と笑顔で気持ちよく挨拶してくれた。思っていたよりも早く再会したことをお互いに驚き合い、突然の宴であることに戸惑い合い……。
そんな風にして宴までの時間をとりとめなく過ごしながら、レイゾンはそれとなく鞭のことを尋ねようとしたのだが……。
残念ながら、別の騎士がやってきてしまったことによって、それは叶わなかったのだった。
目の前に並ぶ香り高い酒と数多の山海の珍味。
奏でられている音楽も美しく、宴は王城でのそれらしく小規模ながら趣のあるものだ。
しかしその場に招かれた一人であるレイゾンは、緊張のあまりそんな宴をほとんど楽しめずにいた。
それは予想していた通りのことだったが——予想以上だ。
レイゾンは杯に注がれた酒をちびちびと飲みながら、そっと辺りの様子をうかがう。
自分と同じ騎士と、それを囲むように座っている他の客たち。皆々はこうした宴でも楽しめているのだろうか。
——楽しめているのだろうな。
(俺よりは慣れているだろうからな……)
騎士学校で礼儀や基本的な立ち居振る舞いは習ったものの、所詮は付け焼刃だ。場数の違う他の騎士たち——貴族たちとレイゾンとではまるで違うだろう。
事実、レイゾンの左右に座る騎士たちも、宴の美酒や美食を楽しみつつ程よく他の客と言葉を交わしている。
そんな中、レイゾンだけが居心地の悪さを感じ続けていたのだった。
◇
今夜、宴の会場としてレイゾンたちが通されたのは、清宮と呼ばれているらしい王の住まいに近い、比較的私的な宮の一室だった。
当然レイゾンはそんなところまで足を踏み入れたことはなく、滑らかな乳白色に塗られた磨かれた床を一歩一歩歩くだけで緊張したものだった。
部屋も、広さはさほどではないものの、大きな窓からは緑の美しい庭が窺えたり、高い天井には色鮮やかな絵が描かれていたり、そしてなんと室内に小川が流れ心地よい水音が聞こえていたりと細かいところまで凝った作りだ。
おそらく、なにげなく、さりげなく置かれている灯り一つとっても、田舎育ちのレイゾンからすればとんでもなく高価だったり高名な職人が作ったものだったり歴史のあるものだったりするのだろう。
騎士学校で出会った貴族の子弟の持ち物がそうだったように。
そんな部屋で、いまレイゾンたちは王と王太子を囲むようにして酒席を共にしている。
本来、騎士は全て同格——とはいえ国を統治しているのは王である以上、こうした席ではそこに上下が存在する。
そんなわけで、王は部屋の上の席に鎮座し、王太子であるシィン殿下はレイゾンたちと同じ場所ではあるものの、やや王の近くに座っている。そしてレイゾンと黒い騏驥を従えた騎士、そして金の騏驥を従えた騎士三人は、王に対してゆるく半円を描くような格好で並んで座っているのである。
——レイゾンを真ん中にして。
(…………)
それもまた、レイゾンが緊張を強いられている理由の一つだった。
(なぜ俺が真ん中なのだ)
並びに特に意味はない、とレイゾンたちを案内した者は言っていたけれど、だったらせめて端にしてほしかったとレイゾンは思う。他の二人はさして気にしていないようだから本当に意味はないのかもしれないが、この位置では王の正面になる。離れているとはいえ向かいに国王と思うと、ただでさえ落ち着けないのが一層だ。
そもそも——この宴に招待された時からレイゾンは困っていた。
あの招待が命令だということぐらいはレイゾンにも解った。だから断ることは考えられなかったし、そのための白羽の衣装も用意した。……ユゥの助言を受けながら。
(彼はあの侍女の影響か、いつの間にか城での作法や貴族たちのことにレイゾンよりも詳しくなっていた。今日宴に参城するにあたっての格好も、彼が考えてくれたものだ。おかげで(?)なのか、今日は城の中を歩いていても以前ほど周りから見られることはなかった気がする)
ただ——招待の詳細——騏驥とともにという一文に、レイゾンは一層困惑したのだ。
白羽と一緒にいたくなかったから。
レイゾンは、白羽が譫言で前王を呼んだあの日からというもの、彼を避けていた。
そしてそれは白羽にも伝わっていただろう。調教の時以外は顔を合わせることもなかったし、調教の時も殆ど話をしなかったのだから。
我ながら騎士としていいふるまいではないことはわかっていた。
わかっていたが——頭と理性ではそうわかっていたが、心と感情はどうしてもそれを正せずにいたのだ。
その上、例の鞭の件もあった。
リィから鞭の話を聞いてからというもの、レイゾンは何度か白羽にそのことを問おうかと思った。問い詰め、その鞭をさっさと出せ、と。
けれど結局、それは口にできないままだ。
もしかしたら、リィが勘違いをしている可能性もある。鞭に詳しいといっても、その全てに精通しているわけではないのだから、もう一度確認してからにしよう——そう思って。
だが。
改めて考えれば、それは自分に対しての言い訳なのかもしれなかった。
リィに確かめるとしても、その前に白羽に尋ねてもいいはずなのだ。なのにそれをしなかった——できなかったということは、事実を知るのを畏れているためなのだろう。
白羽は心の底では自分を拒否していると、はっきりと思い知らされることを。
心が未だ前王にあるだけでも、今の主としてやりきれないというのに、身体まで——騏驥としての能力まで自分に全て明かす気はないのかと思うと、それを思い知らされると、甚だ惨めに思えて……。
だから未だにそれは問えず、そのため以前よりももっと白羽を避けるようになっていた。
そういう経緯だから、今日、城にやって来たのも一人でだ。白羽は屋敷の助手に任せた。元々、白羽は城に慣れている。一人で来たところで困らないだろう。
宴まで過ごすようにと通された部屋にも騏驥の姿はなく、レイゾンはどこかほっとしたものだった。
だがその一方で、その部屋に他の騎士たちと一緒にいなければならなかったことには緊張した。
今夜、呼ばれていた騎士は五人。他にも、王に親しい者が何名か同席するようだが、騎士として呼ばれたのは五変騎それぞれの騎士たちだけ。そしてレイゾンに面識があったのはリィだけだった。
だからリィがその場にいてくれたことにはほっとしたし、偶然とはいえ先日書架堂で会えていたこと、ツェンリェンが彼を紹介してくれていたことには感謝しかなかった。
リィは前に見た時と同様、騎士らしい毅然とした佇まいだった。そして以前よりいくらか華やかな装いだった。華美になりすぎず、しかし宴のために参城したとわかる洗練されたいでたちだ。
そして彼の方もレイゾンを覚えていてくれたらしく『またお会いしましたね』と笑顔で気持ちよく挨拶してくれた。思っていたよりも早く再会したことをお互いに驚き合い、突然の宴であることに戸惑い合い……。
そんな風にして宴までの時間をとりとめなく過ごしながら、レイゾンはそれとなく鞭のことを尋ねようとしたのだが……。
残念ながら、別の騎士がやってきてしまったことによって、それは叶わなかったのだった。
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