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51 王城での宴へ(2)
しおりを挟むティエンが存命のころは、彼に恥をかかせることのないようにと、学べることは全て学んできた。学ぶたび、自分が何も知らないと思い知らされ、本来なら彼の側に居られるような者ではないと思い知らされ、そのたび恥ずかしく悲しい思いをした。それでも彼の側にいたかったから耐えられた。
彼を亡くしてからもだ。悲しみは大きく、何度も後を追うことを考えた。けれど彼の最後の言葉を思うと、それを裏切ることはどうしてもできなかった。
ただでさえ、彼が口にしてもいないことを口にしたと周囲に嘘をつき、城に留まり続けたのだからなおさらだ。それ以上、彼の意に反することはできなかった。
たとえ死んでしまっても、ティエンは白羽の主であり続けたから。白羽の特別な人であり続けたから。
自分を助け出してくれた人。伸ばされた優しい手。穏やかな声。眩しい人。そして彼は、そんなにも貴い人でありながら、いつも縋るように白羽を抱きしめて眠った。寂しい、と怖い、と自分の立場と運命を畏れながら。
彼の求めで白羽が舞うと、彼はいつも眩しいものを見るように目を細めていた。
届かぬものを見るように。まるで——憧れるものを見るかのように。白羽が彼を見ているときと同じような貌で。
そう。
この城で、この場所で、わたしは彼に求められていた。
心から彼に求められていた。騏驥になってからも。
彼は心底からわたしを愛しんでくれた。心を開き、寛いで、わたしを側に置いてくれたのだ。
わたしは、「愛」の正しい定義を知らない。人のどういう言動が愛の証なのか知らない。けれどわかっていることもある。ティエンさまはわたしを愛してくれていたということ。
わたしたちはここで、城の奥のさらに奥の箱庭のようなここで、愛だけを絆にしてつつましく過ごした。家族のように兄弟のように。主と騏驥として。そしてティエンさまとわたしとして。
ここは、彼に誘われて生まれ変わることができたわたしの世界の全てだった。
だからここを離れなければならないと決まったときは、身を裂かれるように辛かった。けれど同時に、ならば全て胸の中に収めておこうと思ったのだ。もう訪れることはないだろう場所ならば、美しいものだけを胸に留めて蓋をして、大切に仕舞っておこう、と。
そして時折それらを思い出し、愛されていた日々を思い出し、いずれ死んでしまう時まで生きていくのだ、と。
(なのに……)
こんなにも早く、ここへ戻ってくることになるとは……。
まるで、生乾きの瘡蓋を無理に剝がされているようなものだ。
白羽は溜息をつく。
このまま、ただ呼ばれるのを待つばかりなのだろうか。
五変騎の五頭(とその騎士たち)は全て集められているのだろうが(なにしろそれが陛下のお望みなのだから)、今夜の宴に集められているのがそれだけなのか、それとも他に人がいるのかもわからない。
なにも。
レイゾンさまは何も教えてくださらなかった。もしかしたら、彼も知らされていないのかもしれないけれど……。
いずれにせよ、なにが起こるのかまったくわからない。
王城にいたといっても、自分は彼に言われるまま彼の側だけで暮らしていた身だ。他の人たちと親しく交わったことなど、ないに等しい。宴に出たことも。
せめて、サンファでも側にいてくれればと思うが、彼女は城までは付いてきてくれたものの、清宮に渡るところで止められてしまった。引き離されてからの彼女がどうしてるのかも、白羽にはわからない。
心細さに涙が滲みそうになるのを懸命に堪える。
泣きはらした顔で人前に出ては笑いものになってしまう。レイゾンだってきっと呆れるだろう。「騎士と離れていたぐらいで泣き出すなど、やはり囲われていただけの騏驥だ」と揶揄するに違いない。白羽を。ひいてはティエンを。
それに、むしろ彼の方が余裕がないかもしれない。
騎士になって日が浅く、まだ城内のしきたりにも疎い彼だ。戸惑っているかもしれないし、苛立っているかもしれない。
(何事も起こらないといいけれど……)
そう考え、白羽はふと自分に向けて苦笑した。
こんな時に騎士の心配をしてしまうなんて、これはやはり騏驥だからだろうか。嫌われていても、自ら望んだものではないとしても、新しい主となった相手に対しては、なにかしらの親しみを持ってしまうのだろうか……。
愛想はなくとも、朝の調教ではずっと乗ってもらっているから?
それとも、彼に優しくしてもらったときのことがまだ心に残っているからだろうか。
気紛れだったとしても、あの時限りのことだったとしても……。
寂しさを紛らわせるかのように、過日に想いを馳せていたその時だった。
コツコツ……と、軽く扉が叩かれる音が聞こえた。
白羽はびくりと身を竦ませる。
行かなければならないのだろうか。
しかしそう身構えた白羽が向けた視線の先、扉が開いたかと思うと姿を見せたのは、先ほど別れたはずの侍女、サンファだった。
「白羽さま……!」
彼女は声を抑えつつもそう叫ぶと、白羽に向けて駆け寄ってくる。
目の前にやって跪いた彼女にひしと手を取られ、白羽もようやっと安堵の息を零した。
「……サンファ……」
「白羽さま……ああ……よかった……」
ここがどういう場所か、サンファも良く知っているからだろう。
彼女は白羽の顔を見るや否や、ほっとしたように声を零し、確かめるように強く弱く何度も手を握ってくる。
「よかったです……よかった……ご無事で……」
ティエンを思い出し、彼の後を追うとでも思われていたのだろう。しきりに「よかった」と繰り返す彼女の手を、白羽はそっと握り返した。
「馬鹿なことはしないから、安心して。それだけはしないと決めているから大丈夫だよ。確かに……ここにいるのは辛いけれど……」
白羽が言うと、「ええ、ええ」とサンファは頷く。
「わざわざここへ白羽さまを留め置くなんて、あ」
あんまりです、と言いかけただろう侍女の言葉を、白羽はやんわりと制する。誰が聞いているかわからない。しかしそう思ったとき、肝心なことにはたと気付いた。
「で、でもどうしてここへ? さっきサンファは清宮へは入れないと……」
「は、はい。実は——」
サンファも思い出したように言いかけたとき。
白羽は、部屋にもう一人いる気配に気づき、息を呑む。
驚いて目を向ければ、サンファの背後。扉を背にして佇んでいたのは、過日、城から出たあの日に初めて会った騏驥。
シィンの騏驥であるダンジァだった。
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