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「あっ!」
痛いほど掴まれた訳ではない。けれど突然のことに驚き、高い声が口をつく。
次の瞬間、白羽は足を取られたせいで寝台の上に仰向けに転がり、一方の脚はレイゾンに掴まれたまま彼の膝の上に、そしてもう一方はだらりと寝台の端から下りたままという、あられもない格好になってしまった。
「レ、レ、レ、レイゾンさま……っ!」
白羽は慌てて起き上がると、乱れた衣を掻き合わせる。
が、片足を取られたままでは当然脚は閉じられない。内股がすうすうする。真っ赤になったまま狼狽えたが、
「うるさい。暴れるな」
レイゾンにピシャリと言われた。
「騏驥が俺のやることに文句をつけるな。じっとしていろ。さっさと終わらせるぞ。それともなんだ、俺には『触るな』とでも言う気か」
「…………」
意識しているのかしていないのか。白羽の気持ちを乱すような言い回しをすると、彼は「もう言い合う気はない」と言うように、取り出していた容器を開けて中の軟膏のようなものを掬う。
そして、白羽の脚——膝上から脛へと塗っていく。
サンファが施してくれた湿布と少し似た感じの香りだが、こちらの方が甘い。花か果物の香りのようだ。そしてなんだか不思議な感触だ。ひんやり気持ちいいような……けれど温かいような。
白羽はまだ逃げたくて堪らないものの、これ以上抵抗すればなにをされるかわからない。やむを得ずされるままになっていると、レイゾンは適宜軟膏を足しながら、白羽の脚の足首まで、さらにはつま先にまで丁寧にそれを塗っていく。思っていたよりもずっと柔らかな触れ方だ。太く、節くれ立った無骨で大きな手なのに、指先は優しい。
彼の騎乗の時の、手綱を持つ繊細さと同じだ。
そう思うと、恥ずかしさはともかく、怖さは薄らいでいく。
「ぁ、の……レイゾンさまは、こうしたことをどこで……」
白羽は沈黙を避けるように、控えめにおずおずと尋ねる。
わざわざ騏驥の脚を揉む騎士など稀だ。おそらく。できるとしても、わざわざしてやったりはしない。なのにそれをするということは、そんなつもりはなかったにせよ、レイゾンが「他の騎士」たちとは違うと言っているようなものだ。
しかしレイゾンは特に気を悪くした様子もなく「『どこで』と言うほどのことでもない」と応じた。
「馬の多い部族で暮らしていたからな。馬のことにせよ人のことにせよ、脚のことには自然と詳しくなった。騏驥も大して変わらないだろう。触れて様子を確かめて、治療する。……同じだ」
「…………」
「他の騎士はやらないことなのか?」
逆に尋ねられ、白羽は「多分……」と答える。白羽も詳しくはないが、おそらく、ここまで騏驥に手をかける騎士はそういないだろう。それこそ——そう、五変騎の騎士か始祖の血を引く騏驥を愛騏にしている騎士ぐらいだと思う。普通は、騏驥の体調管理は全て厩務員に任せるだろうから。
するとレイゾンは、くっと笑い「俺は育ちが悪いからな」とふざけているのか自嘲しているのか判断できない声で言う。
白羽が応えられずにいると、その代わりのように彼が続ける。
「俺は、南の辺境育ちだ。知っての通り貴族でもない。なのに騎士になれたのは、辛うじて魔術力の欠片があったから——俺の父親の父親の父親の……そういう昔の誰かに、貴族との落とし胤らしき人がいたらしいからだ。田舎に立ち寄った貴人が、ひとときの交わりを持つ……そこでできたのが俺の父親の父親の父親の……と言うわけだ。その遠い先祖は少しばかりの不思議な力があったらしくてな。だからそれが、巡り巡って俺に表れたんだろうと言われた」
「…………」
「騎士になりたいと思ってからは、とにかく師を探した。馬で半日近くかかる街に住む魔術師の元へ行って勉強し、どこかへ騎士が来ると聞けば、何とかして彼らに会いに行った。半分は相手にされなかったけれど、稀に力になってくれる人もいて……。そうこうしていたら、親父が知り合いの騎兵の人を紹介してくれた。俺が本気で騎士になりたがっていると気づいたんだろう。それからは、その人の領地に通って色々と練習した。そこには大きな馬がいて……馬だったけど、何だか騏驥みたいで……。その結果、何とか成り上がって騎士になった」
「…………」
「俺にとって騏驥は初恋のようなものだ。もしくは熱病。騏驥に乗るのが当たり前の貴族たちにはわからないかもしれないがな」
彼も、黙ったままは気まずく感じていたのだろうか。
彼にしては珍しく饒舌に、思い出すような口ぶりで自身の生い立ちを語る。
と、
「少しはリラックスしてきたか? だがもう少し力を抜け。硬くなっていては、俺がせっかく薬を塗ってやっている意味がないだろう」
指で、掌で白羽の脚をさすりながらレイゾンはぼやくように言う。
その口調の素っ気なさに白羽は一瞬身体を強張らせたものの、脚に触れる彼の力加減は相変わらず絶妙だ。
そのためか、身を任せていると自然と身体も解けていくようだ。
緊張していた足腰からも、徐々に力が抜けるのがわかる。それでもやはり、どこか遠慮があって、彼の手に足を委ねられずにいると、
「楽にしろ」
再びレイゾンの声がした。
「妙に抵抗されている方がやり辛い。お前も早く終わったほうがいいだろう。なら黙って従え」
彼は白羽の顔を見ず、自分の手元を見ながら話す。口調は荒い。が、手つきは真逆だ。
そして白羽から見える側の彼の横顔に、印象的なあの傷はない。
そのためか、いつもより少し柔和な雰囲気だ。と言っても、相変わらず気軽に話しかけられるような雰囲気とはほど遠いのだが……。
太い眉、険しい眦、焼けた肌、骨格のしっかりとした頬の稜線、逞しい首といった特徴は、今は頼り甲斐のある要素として映る。
「…………」
白羽は意を決すると、レイゾンに撫でられている脚の力を徐々に抜いていく。彼の脚の上にそれをすっかり乗せてしまうと、触れられることで感じられる心地よさが二倍、三倍になる気がする。
(気持ちいい……)
白羽はうっとりと息をついた。
白羽の体調管理に慣れているサンファの施術ももちろん気持ちいいのだが、今は薬のためなのかそれともレイゾンのやり方が巧みなのか、それよりも心地がいいと思えるほどだ。
彼に触れられるたび、脚が軽くなっていくようだ。疲れやだるさ、重みや嫌な火照りがスゥッと引いていく気がする。
あまりの心地よさに、うっかりすると妙な声を出してしまいそうになる。気を遣っていると、
「どうだ、脚の具合は」
白羽の脹脛をさすりながら、レイゾンが言った。
相変わらず白羽のことは見ない。白羽はそれに半分の寂しさを、そして半分の安堵を感じながら「気持ちがいいです」と思っているままに答えた。
先刻、わざとこちらを刺激するような言い回しをされた時に感じたモヤモヤは未だ胸の中に残っているものの、脚が気持ちがいいのは本当だ。
「軽くなるようです。……ありがとうございます」
「……礼は医師に言え。騏驥が騏驥がと煩いやつだったが、薬の調合は確かなようだな。薬師以上の腕ならば大したものだ。……お前が会うことがあるのかどうかは知らないが」
相変わらずぶっきらぼうに言うレイゾンを見ながら、白羽は「いいえ」と胸の中で首を振った。
確かに、医師のおかげというのは間違っていない。医師が渡してくれたという薬は、今までのどんな薬よりも効き目があるようだ。今までサンファが使ってくれていたものよりも、この屋敷にいる医師が出してくれたものよりも。
けれど、白羽が今感じている気持ちよさは、きっと薬のせいだけじゃない。
何より——。
(これを……貰ってきて下さったのだ……)
そう。そのよく効く薬を求めてくれたのは、何よりもレイゾンの配慮からだ。医師がどれほどいい薬を持っていようが、当たり前だがそれを誰かが入手しなければ白羽に使われることはない。
つまりレイゾンがその薬を手に入れてくれたから——白羽のために入手したいと思ってくれて医師の元へ赴いてくれたから、今のこの心地よさがある。
感謝すべきはレイゾンに対してだ。
(それに、そのおかげであの猫も……)
白羽は猫の姿を探したが、彼は——もしくは彼女はまだ部屋を探検中のようだ。もしくはどこかで眠っているのかもしれない。
痛いほど掴まれた訳ではない。けれど突然のことに驚き、高い声が口をつく。
次の瞬間、白羽は足を取られたせいで寝台の上に仰向けに転がり、一方の脚はレイゾンに掴まれたまま彼の膝の上に、そしてもう一方はだらりと寝台の端から下りたままという、あられもない格好になってしまった。
「レ、レ、レ、レイゾンさま……っ!」
白羽は慌てて起き上がると、乱れた衣を掻き合わせる。
が、片足を取られたままでは当然脚は閉じられない。内股がすうすうする。真っ赤になったまま狼狽えたが、
「うるさい。暴れるな」
レイゾンにピシャリと言われた。
「騏驥が俺のやることに文句をつけるな。じっとしていろ。さっさと終わらせるぞ。それともなんだ、俺には『触るな』とでも言う気か」
「…………」
意識しているのかしていないのか。白羽の気持ちを乱すような言い回しをすると、彼は「もう言い合う気はない」と言うように、取り出していた容器を開けて中の軟膏のようなものを掬う。
そして、白羽の脚——膝上から脛へと塗っていく。
サンファが施してくれた湿布と少し似た感じの香りだが、こちらの方が甘い。花か果物の香りのようだ。そしてなんだか不思議な感触だ。ひんやり気持ちいいような……けれど温かいような。
白羽はまだ逃げたくて堪らないものの、これ以上抵抗すればなにをされるかわからない。やむを得ずされるままになっていると、レイゾンは適宜軟膏を足しながら、白羽の脚の足首まで、さらにはつま先にまで丁寧にそれを塗っていく。思っていたよりもずっと柔らかな触れ方だ。太く、節くれ立った無骨で大きな手なのに、指先は優しい。
彼の騎乗の時の、手綱を持つ繊細さと同じだ。
そう思うと、恥ずかしさはともかく、怖さは薄らいでいく。
「ぁ、の……レイゾンさまは、こうしたことをどこで……」
白羽は沈黙を避けるように、控えめにおずおずと尋ねる。
わざわざ騏驥の脚を揉む騎士など稀だ。おそらく。できるとしても、わざわざしてやったりはしない。なのにそれをするということは、そんなつもりはなかったにせよ、レイゾンが「他の騎士」たちとは違うと言っているようなものだ。
しかしレイゾンは特に気を悪くした様子もなく「『どこで』と言うほどのことでもない」と応じた。
「馬の多い部族で暮らしていたからな。馬のことにせよ人のことにせよ、脚のことには自然と詳しくなった。騏驥も大して変わらないだろう。触れて様子を確かめて、治療する。……同じだ」
「…………」
「他の騎士はやらないことなのか?」
逆に尋ねられ、白羽は「多分……」と答える。白羽も詳しくはないが、おそらく、ここまで騏驥に手をかける騎士はそういないだろう。それこそ——そう、五変騎の騎士か始祖の血を引く騏驥を愛騏にしている騎士ぐらいだと思う。普通は、騏驥の体調管理は全て厩務員に任せるだろうから。
するとレイゾンは、くっと笑い「俺は育ちが悪いからな」とふざけているのか自嘲しているのか判断できない声で言う。
白羽が応えられずにいると、その代わりのように彼が続ける。
「俺は、南の辺境育ちだ。知っての通り貴族でもない。なのに騎士になれたのは、辛うじて魔術力の欠片があったから——俺の父親の父親の父親の……そういう昔の誰かに、貴族との落とし胤らしき人がいたらしいからだ。田舎に立ち寄った貴人が、ひとときの交わりを持つ……そこでできたのが俺の父親の父親の父親の……と言うわけだ。その遠い先祖は少しばかりの不思議な力があったらしくてな。だからそれが、巡り巡って俺に表れたんだろうと言われた」
「…………」
「騎士になりたいと思ってからは、とにかく師を探した。馬で半日近くかかる街に住む魔術師の元へ行って勉強し、どこかへ騎士が来ると聞けば、何とかして彼らに会いに行った。半分は相手にされなかったけれど、稀に力になってくれる人もいて……。そうこうしていたら、親父が知り合いの騎兵の人を紹介してくれた。俺が本気で騎士になりたがっていると気づいたんだろう。それからは、その人の領地に通って色々と練習した。そこには大きな馬がいて……馬だったけど、何だか騏驥みたいで……。その結果、何とか成り上がって騎士になった」
「…………」
「俺にとって騏驥は初恋のようなものだ。もしくは熱病。騏驥に乗るのが当たり前の貴族たちにはわからないかもしれないがな」
彼も、黙ったままは気まずく感じていたのだろうか。
彼にしては珍しく饒舌に、思い出すような口ぶりで自身の生い立ちを語る。
と、
「少しはリラックスしてきたか? だがもう少し力を抜け。硬くなっていては、俺がせっかく薬を塗ってやっている意味がないだろう」
指で、掌で白羽の脚をさすりながらレイゾンはぼやくように言う。
その口調の素っ気なさに白羽は一瞬身体を強張らせたものの、脚に触れる彼の力加減は相変わらず絶妙だ。
そのためか、身を任せていると自然と身体も解けていくようだ。
緊張していた足腰からも、徐々に力が抜けるのがわかる。それでもやはり、どこか遠慮があって、彼の手に足を委ねられずにいると、
「楽にしろ」
再びレイゾンの声がした。
「妙に抵抗されている方がやり辛い。お前も早く終わったほうがいいだろう。なら黙って従え」
彼は白羽の顔を見ず、自分の手元を見ながら話す。口調は荒い。が、手つきは真逆だ。
そして白羽から見える側の彼の横顔に、印象的なあの傷はない。
そのためか、いつもより少し柔和な雰囲気だ。と言っても、相変わらず気軽に話しかけられるような雰囲気とはほど遠いのだが……。
太い眉、険しい眦、焼けた肌、骨格のしっかりとした頬の稜線、逞しい首といった特徴は、今は頼り甲斐のある要素として映る。
「…………」
白羽は意を決すると、レイゾンに撫でられている脚の力を徐々に抜いていく。彼の脚の上にそれをすっかり乗せてしまうと、触れられることで感じられる心地よさが二倍、三倍になる気がする。
(気持ちいい……)
白羽はうっとりと息をついた。
白羽の体調管理に慣れているサンファの施術ももちろん気持ちいいのだが、今は薬のためなのかそれともレイゾンのやり方が巧みなのか、それよりも心地がいいと思えるほどだ。
彼に触れられるたび、脚が軽くなっていくようだ。疲れやだるさ、重みや嫌な火照りがスゥッと引いていく気がする。
あまりの心地よさに、うっかりすると妙な声を出してしまいそうになる。気を遣っていると、
「どうだ、脚の具合は」
白羽の脹脛をさすりながら、レイゾンが言った。
相変わらず白羽のことは見ない。白羽はそれに半分の寂しさを、そして半分の安堵を感じながら「気持ちがいいです」と思っているままに答えた。
先刻、わざとこちらを刺激するような言い回しをされた時に感じたモヤモヤは未だ胸の中に残っているものの、脚が気持ちがいいのは本当だ。
「軽くなるようです。……ありがとうございます」
「……礼は医師に言え。騏驥が騏驥がと煩いやつだったが、薬の調合は確かなようだな。薬師以上の腕ならば大したものだ。……お前が会うことがあるのかどうかは知らないが」
相変わらずぶっきらぼうに言うレイゾンを見ながら、白羽は「いいえ」と胸の中で首を振った。
確かに、医師のおかげというのは間違っていない。医師が渡してくれたという薬は、今までのどんな薬よりも効き目があるようだ。今までサンファが使ってくれていたものよりも、この屋敷にいる医師が出してくれたものよりも。
けれど、白羽が今感じている気持ちよさは、きっと薬のせいだけじゃない。
何より——。
(これを……貰ってきて下さったのだ……)
そう。そのよく効く薬を求めてくれたのは、何よりもレイゾンの配慮からだ。医師がどれほどいい薬を持っていようが、当たり前だがそれを誰かが入手しなければ白羽に使われることはない。
つまりレイゾンがその薬を手に入れてくれたから——白羽のために入手したいと思ってくれて医師の元へ赴いてくれたから、今のこの心地よさがある。
感謝すべきはレイゾンに対してだ。
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