前王の白き未亡人【本編完結】

有泉

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30 接触 患部に触れて確かめる?

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「…………」

 しかし苦い。
 予想していたがそれ以上の苦さだ。思わず顔を顰めそうになる。しかしそれを表に出せばレイゾンにまたなにを言われるかわからない。
 白羽は懸命に堪えて飲み干そうとしたが——できなかった。

「~~~~~~~~」

 最後の一口で堪らず眉を寄せてしまうと、レイゾンがくくっと笑う。
 白羽は恥ずかしさに頬を染めながら、気まずく俯く。すると、その目の前に水差しが差し出された。部屋にあったものだ。

「こっちも飲んでおけ」

 そして彼は、口直しのための水を注いでくれる。思わぬ優しさに戸惑いながらも、白羽はありがたく口にした。
 しかし一口飲んだんだところで、

「さっきこれがあるのに気づいていれば、この水をぶっかけて冷やしてやれたんだがな……」

 などと、レイゾンが、本気かふざけているのかわからない乱暴なことを言うから、含んでいた水を危うく零してしまいそうになった。
 さりげなく口元を押さえ、何とかみっともないところを見せずに口中のものを飲み終える。
 しかし——。

「飲んだか? なら脚を出せ」

 彼の次の言葉は全く予想もしていなかったことで、思わず、杯に残っていた水を零してしまった。

「……は……? え……あの……」

「脚を出せ、と言ったんだ。お前の脚をこっちに寄越せ」

 そして彼は言うなり、白羽と並ぶようにして寝台の端に腰掛けてくる。
 もしかして……座っている彼の脚の上に脚を出せ、と言っているのだろうか。
 見えるように? 見せるように?
 何故!?

「あ……あの、レイゾンさま……」

 白羽は持っている杯を慌てて小卓に置くと、濡れた衣や寝具のことは後回しで尋ねた。彼はなにを言っているの?
 すると、レイゾンはいかにも不満そうに顔を歪め、懐から小さな袋を取り出す。その中に入っていたのは練香入れのような……小さな容器だ。レイゾンはそれを、大きな掌の上で弄ぶように転がす。

「……薬だ。厩舎地区にいた騏驥の医師が、コズミにはこれを使え、と。塗って患部を揉んでやれと言われた。俺は薬だけ手に入れられればよかったのだが」

「…………」

「わかったら足を出せ。お前の侍女は肝心な時にいないな」

「…………」

 ええと。
 要するに、彼が持っているものは騏驥のための薬で。彼はそれを獣医師からもらってきたようだ。そしてそれを白羽に使おうとしていて……。

(まさか……手ずから塗ってくれようとしてる!?)

「い——いえ、レイゾンさま、そんなわけには……!」

 慌てて、白羽は首を振った。
 騎士にそんな手間をかけさせるなんて、とんでもない。いや——これが他の騎士なら、また話は違っただろう。そんな騎士がいるかどうかは知らないが、少なくとも彼よりは白羽のことを気に入ってくれている騎士なら。
 しかし今、白羽に薬を塗ってくれようとしているのはレイゾンだ。強い騏驥を求め、だから白羽を貰い受けることにずっと抵抗感を示していた騎士。今だって白羽を側に置くことに納得していない騎士。
 そんな彼に世話を焼いてもらったりしたら、なにを思われるかわかったものではない。

(それに、あ——脚を見せるなんて……)

 想像しただけで、白羽は赤面する。
 そんなこと、滅多にしたことがないのだ。
 
 他の騏驥は——普通の騏驥は、人から「騏驥」になった時——つまり、ある日突然「人から馬の姿に変わる生き物」になってしまった後、皆、例外なく育成施設に送られるのだという。
 そこで騏驥としての訓練を受け、騏驥として生活していけるように慣らされるらしい。
 人の姿から馬の姿に変わると、身につけていたものは破れてしまう。だから逆に、馬の姿から人に戻る時は全裸だ。馬服を着せてもらっていれば別だが、そうでなければ牡も雌も全裸で人の姿に戻ることになる。
 それに慣れるため、育成施設では身につけるものを与えてもらえない期間もあるようなのだ。
(ひどい、白羽は思うがそういう決まりになっているらしい)

 だが白羽は、その経験がない。
 ティエンの求めで城に入ってから騏驥になったためだ。そしてティエンの保護のもと、育成施設へ送られることもなかった。
 ティエン以外の者とはほとんど交流がなく、また、彼を乗せるための馬の姿になったこともなかった白羽は、だから人前で肌を晒すことにも慣れていない。脚も然りだ。
 馬の姿の時なら「そういうもの」と思えるから羞恥もないが、人の姿の時は違う。
 白羽は「いいえいいえ」と首をふりながら、ジリジリと後ずさる。

「お、お気持ちは大変ありがたく……もったいないほどです。感謝いたしております。ですが、騎士であるレイゾンさまのお手を煩わせるわけにはまいりません。サンファが戻ってきたら、彼女にやらせます。ですからどうかお薬だけ分けていただければ……」

「俺もそうしたいのは山々だ。だからお前の侍女を待ったのだ。が、治療は早いほうがいい。もう既に時間を無駄にしている。これ以上は待てぬ」

「…………」

「それにな、実は医師から『お前がやれ』と言われている。ああ……もちろんこんな言い方ではなかったが、内容はそういうことだ。『騎士の方がちゃんと世話しないと騏驥は応えてくれない』とか何とか言っていたな……。若くて小さいのに、何だか随分偉そうだったぞ。お前を貰い受けた時にいた獣医師だ」

 思い出しているのか、レイゾンは嫌そうに顔を顰める。

「俺としては、それでもお前の侍女にやらせるつもりだったのだがな……。戻ってこないなら仕方がない」

 再び憮然と扉の方を見やるレイゾンに、白羽は「だからサンファのことを気にしていたのか」と納得する。同時に、自身の運の悪さを呪った。
 いつもなら、サンファは白羽の側にいる。なのに今日に限って……なんてタイミングの悪い……。
 このままでは、レイゾンの言う通りにするしかなくなってしまう。

「レイゾンさま……ではせめて馬の姿で……。すぐに変わりますので、どうか——」

 白羽は何とか抵抗を試みるが、

「医師に『人の姿の時に塗るように』と念を押された」

 レイゾンは舌打ちせんばかりの顔で言う。

「馬の姿の時は手綱を通さなければ意思の疎通ができないだろう。それでは上手く患部を探れず、だから十分に薬効を得られない——らしい。詳しくは知らん。が、そう言われた。文句はあの医師に言え。……わかったらさっさとしろ」

「…………」

 それでも白羽は「何か他の方法は……」と最後まで抵抗するように考えながら後ずさる。
 しかし、そうしながらサンファが戻らないだろうかと期待を込めて扉へ目を向けたとき——。

「ああもう——面倒なやつだな」

 苛立ち混じりの声がしたかと思うと、いきなり足を掴まれた。
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