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26 騎士、騏驥、そして猫 にゃん!!
しおりを挟むそれでも部屋から出ていくこともできず、白羽は二度三度と深く呼吸をして、自身の高揚が収まるのを待つ。
すると、そんな白羽の手に柔らかな温かな毛玉が触れる。さっきの猫だ。
甘えているのか、それとも慰めてくれようとしているのか。栗毛色の濃淡が可愛らしいその猫は、しきりに白羽の身体にじゃれかかってくる。
そっと撫でると、温もりが伝わってくる。
繰り返し撫でていると、気持ちも、いくらか落ち着いてくる。
それを確認すると、白羽は改めてそろりとレイゾンを見た。
彼はいつものような——彼らしい、見慣れた、無愛想な顔をしている。だが怒っている気配……ではない。
白羽はそろそろと寝台の端に移動すると、そこに腰かけ、
「ぁ……の……」
おずおずと切り出す。
と、
「落ち着いたか」
レイゾンは静かに尋ねてくる。白羽が自分の態度を恥じつつ頷くと、彼はふっと息をついた。
「……本当に扱いづらいな、お前は。しおらしいかと思えば、突然泣くわ反抗するわ……」
そして、くすりと笑う。笑ったが、白羽を馬鹿にしているような笑みではなかった。頬の傷が微かに歪んだが、それは見ていて不快なものではない。
彼は近くにあった椅子に腰を下ろす。
「そういう気性か? そんな話は聞いてなかったがな……」
「いえ……」
いえ、わたしは……。
白羽は俯いて首を振った。
突然涙を零してしまったり騎士に反抗したりなんて、今までしたことがなかった。確かに、ティエンを思い出して一人涙することはあったけれど、人前で突然泣いてしまうことなどなかったのに……。
(やはり、環境が変わったせいだろうか……)
仕方ないと思っていても、心の奥底では変化に戸惑い、抵抗していたのだろうか……。
白羽がそう思っていると、
「まあ、いい」
レイゾンが言った。
「そんなこともあるだろう。ならばなおさら、”それ”を貰ってきてよかったかもしれないな」
そして言いながら、彼がクイ、と顎で指し示す先には、例の小さな猫がいる。猫は自分の話をされていることに気づいたかのように近づいてきたかと思うと、小さな身体を伸ばし、「よいしょ」と言った様子で白羽の膝の上に乗ってくる。
白羽は一瞬驚いたものの、膝の上の小さな身体を包むように撫でる。そうしながら、戸惑いの瞳でレイゾンを見た。
「……レイゾン……さまが、この猫を……?」
「そうだ。厩舎地区で……まあ色々とあってな」
「…………」
「嫌いか? ならば誰か別の者に世話させよう。この部屋には寄らぬようにさせて——」
「い、いいえ」
白羽は首を振る。
「わたしが飼います!」
思わず隠すようにその猫を抱き上げると、レイゾンがくっと笑う。白羽は、子供っぽいことをしてしまった自分が恥ずかしくて、真っ赤になった。
「ぃえ……嫌いではありません……ので……」
むしろ好きだ。
と、レイゾンは「そうか」と頷いた。
「なら、ここに置いてやれ。飼うために必要なものがあれば誰かに言え。揃えさせる」
「はい……。でも、なぜ……」
わざわざ、猫を?
白羽が尋ねると、レイゾンは大きな身体を揺らす。ぎしりと椅子が鳴る。彼は脚を組んで言った。
「猫は馬と相性がいい。ならば騏驥ともいいのではないかと思ったのだ。お前の気晴らしになればと思った。まあ……少々予定外だったがな……」
猫を見つめて言いながら、レイゾンは厩舎地区でのことを思い出していた。
たまたま獣医師に出会ったところまでは良かった。しかし、その相手が、「見届け人」の一人だったことはよかったのか悪かったのか……。
猫だって、本当は連れて帰る気などなかったのだ。医師から欲しかったのは別のもので、猫のことなどまったく予定していなかった。
だから『厩舎地区で産まれた子たちなんだよね』と言われようが、『一匹貰ってもらえないかなあ』と言われようが、最初は貰うつもりはなかった。
けれど、求めていたものを得て帰ろうとして……白羽の顔が頭を過ぎった時、気が変わった。
調教師と話した時のことを思い出したせいもあるだろう。
厩舎地区で他の騏驥たちと暮らしている騏驥ですら、調教の内容が変われば体調を崩すこともある。白羽は、彼らと比べ物にならないほど大きく環境が変わった。住まいも、生活も。
ならば……気持ちの面でも何かしてやったほうがいいのかもしれないと——そう思って。
白羽は、白羽の膝の上、手の中の猫を黙って見つめているレイゾンをそっと見つめる。
大きな身体。厳つい顔つき。白羽のことはろくに見もしないか、見ている時はいつも不本意そうな怒ったような顔をしていた騎士。貴族以外からの初めての騎士。
声が大きく、無骨で、愛想がいいわけでもなく、ティエンのような優美さも典雅さもなく、むしろ時には無礼で失礼で、怖いような近寄り難いような騎士。
前の主人とは欠片も似ていない人。
嫌いなのに——嫌われているのに。
なのに。
馬の姿に変わり、彼を背にして駆けるのは、嫌ではないのだ。慣れていないせいで辛いけれど、嫌ではない。
そして——。
それだけでなく、人の姿の時も。
こうして彼を見ている時間が嫌でないのは、なぜだろう?
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