前王の白き未亡人【本編完結】

有泉

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24 一方、昼を過ぎての騏驥の部屋では 疲労困憊

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 ◇   ◇   ◇



「……大丈夫ですか……? 白羽さま……」

「ん……」

 ぐったりと枕に突っ伏したまま、辛うじて白羽は頷く。
 もちろん大丈夫ではない。
 疲労困憊の身体を押して無理に走ったためか、今日は回復が遅く、昼を過ぎても白羽は寝台から起き上がれずにいた。
 朝の調教を何とか終え、屋敷付きの獣医師に馬体を診てもらったところまでは記憶にあるが、その後はなにをしていたのか——どうやって部屋まで戻ってきたのかも覚えていない。いつ人の姿に戻ったのか、いつ着替えたのかもだ。
 きっとサンファが全て整えて、抱えるようにして連れて帰ってくれたのだろう。そしてきっとそのまま寝台に倒れ込み、食事も取らないまま今に至る——である。
 食べなければとわかっていても、疲れ過ぎて食欲がない。

 騏驥の命とも言うべき脚は、サンファが丁寧にケアしてくれている。おかげで調教終了直後よりは随分いい。それでもまだ重だるいが、湿布がひんやり心地いい。
 しかし全身の疲労は白羽を寝台に縛り付けていた。
 
(こんなに疲れたことなんて……今まであっただろうか……)

 騏驥になる前——ティエンに請われて王都へ——彼の元へ来るずっと前。踊り子だった昔ですら、こんなに疲れたことはなかった気がする。
 それとも、もう忘れてしまっただけだろうか。
 ティエンとの暮らしで、彼のお陰で、それ以前の辛さは忘れられて……。

 疲れのせいで上手く目も開けていられず、かといって神経は昂っているせいで眠ることもできない白羽の伏せがちな目に、サンファの心配そうな顔が映る。
 寝台の傍ら、床に膝をつき白羽の顔を覗き込んできている彼女は、不安そうに眉を寄せている。
 大丈夫だから、と言いたいのに声が出ない。

 するとややあって、サンファの視線が、ちら、と寝台脇の小卓に流れる。白羽も連れるように目だけを向ける。
 そこでコポコポと小さな音をたてて煎じられているのは、体力回復のための飲み薬だ。医師からもらった薬だった。
 そのために、今、部屋には草の——つまり苦そうな香りが漂っている。馬の姿の時なら草は大好物だが、人の姿の時は……どうだろうか?
 
 白羽はため息をつく。それは枕に吸い込まれていく。
 今日までは、何とか疲労を隠せていた。調教後の馬体の検査の時も「異常なし」という診断をされていた。
 だが流石に今日は隠せなかった。
 その結果——医師が慌てて処方してくれたのがこの薬——薬湯、と言うわけだ。

「もう少しですね」

「うん……」

 サンファの声に、再び、白羽は頷く。
 もう少ししたら煎じ終わる。そうなれば、たとえ苦くても飲まなければ。白羽に何かあれば、きっと医師まで罰を受けてしまう。自分のせいで誰かに迷惑をかけたくはない。
 そう思った時、

「そうだ、お礼は言った?」

 別の「誰か」を思い出し、白羽は言った。

「お礼……? ですか?」

 目瞬かせるサンファに、横になったまま「そう」と頷く。

「脚の……装具の」

「! もしかして、あの騎士の従者に、ですか? それはもちろん、もらった時にはお礼を言いましたけれど……」

「実際に使って、とても役に立ったことも伝えておいてくれないかな」

「……わざわざ言う必要がありますでしょうか?」

 サンファは訝しそうだ。白羽はそんな侍女に頷いて見せた。

「あるよ。あれがなかったらきっともっと酷い状態になってた。だからお礼を言っておいたほうがいい」

「……はあ……。……え……もしかして、今、ですか?」

「お礼は早いに越したことはないよ」

「…………」

「頼むよ、サンファ。礼儀も知らないと思われたくないんだ」

 白羽がさらに言うと、サンファも思うところがあったのだろう。なるほどというような表情を見せると、「承知いたしました」と頷いた。

「確かに……あの騎士から従者に話が伝わっている可能性がある以上、早い方がいいやもしれませんね。『使ってくれたんだね』と言われてからお礼を言うのは少々……間が悪いと申しますか……」

 従者の口真似をして言うサンファに、白羽もつい笑ってしまう。
 
「うん……。では、頼むよ。ああ——もちろん私が”こんな状態”になっていることは言わなくていいからね。ただ『とても役に立った』と」

「かしこまりました。もしまたあの従者が、何か役に立ちそうなものを持っているようなら、せしめて参ります」

「せし……サンファ……」

 悪戯っぽく言うサンファに、白羽は苦笑する。冗談混じりだが、彼女の美貌と口の達者さを持ってすれば、本当に色々なものを巻き上げてきそうだから始末が悪い。
 白羽は、「わかっていると思うけれどねだるようなことはしないように」とサンファに釘を刺すと、ついでに何か食べてくるといいよ、と促す。
 ずっと白羽に付きっきりだった彼女も、ろくに食事を摂ってないだろう。
 食べたくても食べる気になれない白羽と違い、彼女はお腹が空いているに違いない。

 するとサンファは「ありがとうございます」と丁寧に礼を述べて立ち上がると、横たわっている白羽の足元に静かに移動する。
 そして自分の仕事を全うするかのように、改めて白羽の脚——太腿からつま先までに丁寧に触れ、致命傷になるような問題はないこと(ただ、疲労はまだ抜けていない状態であること)を確認すると、服を整えて白羽の前に立った。

「では行ってまいります。なるべく早く戻って参りますので、ご無理はなさらないでくださいね。安静になさっていてくださいませ。薬湯は一旦冷まして飲まれた方が飲みやすいですが、あまり冷まされますと効能が落ちるようですのでお気をつけください」

「ん……。大丈夫。この状態では無理もできないよ。ずっとここで大人しくしているから安心して行っておいで。薬湯もちゃんと飲むから」

 出かける直前でもこまごまと世話を焼こうとするサンファに白羽が微苦笑しつつそう言うと、彼女はようやく「では」とその場を後にする。

 サンファが部屋を出て、扉の閉まる音がしたのとほぼ同時。
 気心の知れた侍女とはいえ他人がいたことで張っていた緊張が、ふ、と切れる。
 気づかぬうちに、白羽は眠りに落ちていた。
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