28 / 239
24 一方、昼を過ぎての騏驥の部屋では 疲労困憊
しおりを挟む◇ ◇ ◇
「……大丈夫ですか……? 白羽さま……」
「ん……」
ぐったりと枕に突っ伏したまま、辛うじて白羽は頷く。
もちろん大丈夫ではない。
疲労困憊の身体を押して無理に走ったためか、今日は回復が遅く、昼を過ぎても白羽は寝台から起き上がれずにいた。
朝の調教を何とか終え、屋敷付きの獣医師に馬体を診てもらったところまでは記憶にあるが、その後はなにをしていたのか——どうやって部屋まで戻ってきたのかも覚えていない。いつ人の姿に戻ったのか、いつ着替えたのかもだ。
きっとサンファが全て整えて、抱えるようにして連れて帰ってくれたのだろう。そしてきっとそのまま寝台に倒れ込み、食事も取らないまま今に至る——である。
食べなければとわかっていても、疲れ過ぎて食欲がない。
騏驥の命とも言うべき脚は、サンファが丁寧にケアしてくれている。おかげで調教終了直後よりは随分いい。それでもまだ重だるいが、湿布がひんやり心地いい。
しかし全身の疲労は白羽を寝台に縛り付けていた。
(こんなに疲れたことなんて……今まであっただろうか……)
騏驥になる前——ティエンに請われて王都へ——彼の元へ来るずっと前。踊り子だった昔ですら、こんなに疲れたことはなかった気がする。
それとも、もう忘れてしまっただけだろうか。
ティエンとの暮らしで、彼のお陰で、それ以前の辛さは忘れられて……。
疲れのせいで上手く目も開けていられず、かといって神経は昂っているせいで眠ることもできない白羽の伏せがちな目に、サンファの心配そうな顔が映る。
寝台の傍ら、床に膝をつき白羽の顔を覗き込んできている彼女は、不安そうに眉を寄せている。
大丈夫だから、と言いたいのに声が出ない。
するとややあって、サンファの視線が、ちら、と寝台脇の小卓に流れる。白羽も連れるように目だけを向ける。
そこでコポコポと小さな音をたてて煎じられているのは、体力回復のための飲み薬だ。医師からもらった薬だった。
そのために、今、部屋には草の——つまり苦そうな香りが漂っている。馬の姿の時なら草は大好物だが、人の姿の時は……どうだろうか?
白羽はため息をつく。それは枕に吸い込まれていく。
今日までは、何とか疲労を隠せていた。調教後の馬体の検査の時も「異常なし」という診断をされていた。
だが流石に今日は隠せなかった。
その結果——医師が慌てて処方してくれたのがこの薬——薬湯、と言うわけだ。
「もう少しですね」
「うん……」
サンファの声に、再び、白羽は頷く。
もう少ししたら煎じ終わる。そうなれば、たとえ苦くても飲まなければ。白羽に何かあれば、きっと医師まで罰を受けてしまう。自分のせいで誰かに迷惑をかけたくはない。
そう思った時、
「そうだ、お礼は言った?」
別の「誰か」を思い出し、白羽は言った。
「お礼……? ですか?」
目瞬かせるサンファに、横になったまま「そう」と頷く。
「脚の……装具の」
「! もしかして、あの騎士の従者に、ですか? それはもちろん、もらった時にはお礼を言いましたけれど……」
「実際に使って、とても役に立ったことも伝えておいてくれないかな」
「……わざわざ言う必要がありますでしょうか?」
サンファは訝しそうだ。白羽はそんな侍女に頷いて見せた。
「あるよ。あれがなかったらきっともっと酷い状態になってた。だからお礼を言っておいたほうがいい」
「……はあ……。……え……もしかして、今、ですか?」
「お礼は早いに越したことはないよ」
「…………」
「頼むよ、サンファ。礼儀も知らないと思われたくないんだ」
白羽がさらに言うと、サンファも思うところがあったのだろう。なるほどというような表情を見せると、「承知いたしました」と頷いた。
「確かに……あの騎士から従者に話が伝わっている可能性がある以上、早い方がいいやもしれませんね。『使ってくれたんだね』と言われてからお礼を言うのは少々……間が悪いと申しますか……」
従者の口真似をして言うサンファに、白羽もつい笑ってしまう。
「うん……。では、頼むよ。ああ——もちろん私が”こんな状態”になっていることは言わなくていいからね。ただ『とても役に立った』と」
「かしこまりました。もしまたあの従者が、何か役に立ちそうなものを持っているようなら、せしめて参ります」
「せし……サンファ……」
悪戯っぽく言うサンファに、白羽は苦笑する。冗談混じりだが、彼女の美貌と口の達者さを持ってすれば、本当に色々なものを巻き上げてきそうだから始末が悪い。
白羽は、「わかっていると思うけれどねだるようなことはしないように」とサンファに釘を刺すと、ついでに何か食べてくるといいよ、と促す。
ずっと白羽に付きっきりだった彼女も、ろくに食事を摂ってないだろう。
食べたくても食べる気になれない白羽と違い、彼女はお腹が空いているに違いない。
するとサンファは「ありがとうございます」と丁寧に礼を述べて立ち上がると、横たわっている白羽の足元に静かに移動する。
そして自分の仕事を全うするかのように、改めて白羽の脚——太腿からつま先までに丁寧に触れ、致命傷になるような問題はないこと(ただ、疲労はまだ抜けていない状態であること)を確認すると、服を整えて白羽の前に立った。
「では行ってまいります。なるべく早く戻って参りますので、ご無理はなさらないでくださいね。安静になさっていてくださいませ。薬湯は一旦冷まして飲まれた方が飲みやすいですが、あまり冷まされますと効能が落ちるようですのでお気をつけください」
「ん……。大丈夫。この状態では無理もできないよ。ずっとここで大人しくしているから安心して行っておいで。薬湯もちゃんと飲むから」
出かける直前でもこまごまと世話を焼こうとするサンファに白羽が微苦笑しつつそう言うと、彼女はようやく「では」とその場を後にする。
サンファが部屋を出て、扉の閉まる音がしたのとほぼ同時。
気心の知れた侍女とはいえ他人がいたことで張っていた緊張が、ふ、と切れる。
気づかぬうちに、白羽は眠りに落ちていた。
1
お気に入りに追加
162
あなたにおすすめの小説
君に望むは僕の弔辞
爺誤
BL
僕は生まれつき身体が弱かった。父の期待に応えられなかった僕は屋敷のなかで打ち捨てられて、早く死んでしまいたいばかりだった。姉の成人で賑わう屋敷のなか、鍵のかけられた部屋で悲しみに押しつぶされかけた僕は、迷い込んだ客人に外に出してもらった。そこで自分の可能性を知り、希望を抱いた……。
全9話
匂わせBL(エ◻︎なし)。死ネタ注意
表紙はあいえだ様!!
小説家になろうにも投稿
断る――――前にもそう言ったはずだ
鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」
結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。
周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。
けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。
他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。
(わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)
そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。
ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。
そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?

皇太子夫妻の歪んだ結婚
夕鈴
恋愛
皇太子妃リーンは夫の秘密に気付いてしまった。
その秘密はリーンにとって許せないものだった。結婚1日目にして離縁を決意したリーンの夫婦生活の始まりだった。
本編完結してます。
番外編を更新中です。

とまどいの花嫁は、夫から逃げられない
椎名さえら
恋愛
エラは、親が決めた婚約者からずっと冷淡に扱われ
初夜、夫は愛人の家へと行った。
戦争が起こり、夫は戦地へと赴いた。
「無事に戻ってきたら、お前とは離婚する」
と言い置いて。
やっと戦争が終わった後、エラのもとへ戻ってきた夫に
彼女は強い違和感を感じる。
夫はすっかり改心し、エラとは離婚しないと言い張り
突然彼女を溺愛し始めたからだ
______________________
✴︎舞台のイメージはイギリス近代(ゆるゆる設定)
✴︎誤字脱字は優しくスルーしていただけると幸いです
✴︎なろうさんにも投稿しています
私の勝手なBGMは、懐かしすぎるけど鬼束ちひろ『月光』←名曲すぎ
大嫌いだったアイツの子なんか絶対に身籠りません!
みづき(藤吉めぐみ)
BL
国王の妾の子として、宮廷の片隅で母親とひっそりと暮らしていたユズハ。宮廷ではオメガの子だからと『下層の子』と蔑まれ、次期国王の子であるアサギからはしょっちゅういたずらをされていて、ユズハは大嫌いだった。
そんなある日、国王交代のタイミングで宮廷を追い出されたユズハ。娼館のスタッフとして働いていたが、十八歳になり、男娼となる。
初めての夜、客として現れたのは、幼い頃大嫌いだったアサギ、しかも「俺の子を孕め」なんて言ってきて――絶対に嫌! と思うユズハだが……
架空の近未来世界を舞台にした、再会から始まるオメガバースです。

白金の花嫁は将軍の希望の花
葉咲透織
BL
義妹の身代わりでボルカノ王国に嫁ぐことになったレイナール。女好きのボルカノ王は、男である彼を受け入れず、そのまま若き将軍・ジョシュアに下げ渡す。彼の屋敷で過ごすうちに、ジョシュアに惹かれていくレイナールには、ある秘密があった。
※個人ブログにも投稿済みです。

絶対に間違えないから
mahiro
恋愛
あれは事故だった。
けれど、その場には彼女と仲の悪かった私がおり、日頃の行いの悪さのせいで彼女を階段から突き落とした犯人は私だと誰もが思ったーーー私の初恋であった貴方さえも。
だから、貴方は彼女を失うことになった私を許さず、私を死へ追いやった………はずだった。
何故か私はあのときの記憶を持ったまま6歳の頃の私に戻ってきたのだ。
どうして戻ってこれたのか分からないが、このチャンスを逃すわけにはいかない。
私はもう彼らとは出会わず、日頃の行いの悪さを見直し、平穏な生活を目指す!そう決めたはずなのに...……。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる