前王の白き未亡人【本編完結】

有泉

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17 新しい場所で(3) バレた? いいえ、バレていた

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「……!」

 その声に、白羽とサンファは顔を見合わせ、はっと息を呑む。それとほぼ同時、レイゾンがバンと扉を開けた。
 こちらの返答を待つこともなく勝手に扉を開けるなんて——と抗議できるのは、同じ騏驥同士であればの場合。相手が騎士であれば、それは言うだけ無駄なことだ。
 もちろんそんな不作法をしない騎士もいるが、”していけない”わけではないのだ。つまり、騎士には許されている。それが騎士と騏驥の関係だ。
 しかも、今の白羽は騏驥用の馬房とは別に人の姿で過ごすための部屋が与えられている特別な待遇で、だからこそ、レイゾンに逆らうなどとんでもないことだった。

 だがサンファは彼女の主人である白羽を侮辱されたと感じたのだろう。
 近づいてくるレイゾンに対して顔色を変え、立場も忘れて声を上げようとする。
 そんな彼女を白羽は慌てて止めた。
 城でティエンの騏驥として暮らしていた頃ならともかく、今はもう一介の騏驥だ。レイゾンの騏驥なのだ。
 サンファの主人が白羽なら、レイゾンはその白羽の主人。
 侍女である彼女の気持ちはありがたいものの、ここで揉めさせるわけにはいかない。

(——自重を)

 片手と視線で侍女を留める白羽の耳に、レイゾンの荒い足音が届く。
 いや——こうした歩き方がもしかしたら本来の騎士の歩き方なのかもしれない。白羽が知らなかっただけで。
 レイゾンはムッとした様子を隠さない不機嫌さも露わな顔でズカズカと大股で近づいてくると、床に座り込んだままの白羽とサンファを見下ろす。
 もしかしたら、既に一度調教馬場まで足を運んだのだろうか。彼の革長靴は土と草に汚れている。
 待たせてしまったのだろうか。白羽が来ていないからわざわざ呼びにきたのだろうか。
 格好も、調教用の騎士服だ。
 騎士によっては、もっと楽な——普段着に近いような格好で調教に乗る騎士もいるようだが、レイゾンは朝からきちんとしている。いつもだ。
 白羽の調教をつけた後、厩舎地区へ行って他の騏驥の調教にも乗るからかもしれない。
 そう。
 彼は白羽の騎士となってからも、他の騏驥に乗っている。
 騏驥の調教に乗ることは騎士の仕事の一つだから「始祖の血を引く騏驥」に選ばれた騎士であっても自分の騏驥以外の騏驥の調教に乗ることはある。
 だから不自然なことではないけれど……。
 彼のそれは、意に沿わず白羽を自らの騏驥としてしまったことへの無言の抗議……と考えるのは、白羽の思い過ぎだろうか。

 しかしいずれにせよ、彼は思っていたよりもずっと礼儀正しく応対してくれている。髪もきちんと整え、この屋敷へ来てから毎日、彼は彼なりに騎士らしい格好で白羽の調教に乗ってくれている。
 まだ不慣れなのか、どこか板についていない感じはあるものの、大きく引き締まった体格や男っぽく野生的な風情は十分に見栄え良く、人目を引くものだろう。頬の傷も、彼の厳しい面持ちをさらに怖いものにしている一方、彼には似合っている気がするほどだ。
 城に多い「名ばかりの騎士たち」よりもずっと騎士らしい——と思えるぐらいだ。

 しかし、そんなレイゾンの態度も、今はイライラとした様子が勝っている。
 ……と言うか明らかにイラついている。彼は眉を寄せて白羽を見ると、

「何をやっている、こんなところで」

 ざらりとした感触の、不満のこもった声で言う。元々背の高い男だが、今の彼は一層威圧感がある。白羽は床に座っていて、レイゾンを見上げているからだろう。
 この怒り加減からして、やはり彼は既に調教場へ出ていたと思われる。
 まだ本来の調教開始予定時間ではないはずだが、白羽を待っていたに違いない。

(今までは、私も予定の時間よりも早く行っていたから……)

 昨日までは、騎士を待たせるわけにはいかない、と早めに準備し、馬装を済ませて調教場へ行っていたのだ。
 けれど、今日はそれが仇になったようだ。
 時間に遅れたわけではないものの、騎士を待たせてしまったことは事実……。

「……申し訳ございません」

 白羽は速やかに謝罪した。

「すぐに用意して、調教場へ参ります」

 だから部屋から出て行ってほしい……と言外の意を込めてレイゾンを見上げる。が、彼の表情は憮然としたままだ。
 彼はじっと白羽を見つめ——見下ろし、何かいいかけては止めるような様子を見せる。
 今の返答では不満だったのだろうか、と白羽が思った時、

「……嫌なのではないか?」

 ぽつ、とレイゾンは言った。
 睨むほどではないものの、視線が心持ち鋭くなる。こちらの胸の内を知ろうとしているような視線だ。
 戸惑う白羽に、レイゾンは続けた。

「調教が嫌になって……だから調教にこなかったのではないのか」

「!? そんなことは……!」

「だがお前は今まで碌に走ったこともなかっただろう」

 咄嗟に言い返そうとした白羽の言葉を打ち消すようにレイゾンが言う。
 息を呑む白羽に、レイゾンは苦笑して「ふん」と軽く鼻を鳴らした。

「あまり侮るなよ。そのぐらいは少し走らせればわかることだ。いや——跨がればすぐに、だな」

 その声は、白羽を蔑んでいるというより、自嘲めいた響きを感じさせるものだ。
 そして仕草は、決して上品とは言えないはずなのに、なぜか彼のそれは不思議と魅力的だ。
 強面の近づき難い雰囲気が、少し和らぐ感じがするからだろう。
 しかし、少々雰囲気が和らいでも、白羽の気持ちは、警戒は高まっていくばかりだ。レイゾンの言葉はハッタリではないだろう。視線も声も確信に満ちている。

(知られてしまった……)

 隠していたつもりが、彼には知られていた。
 白羽は耳が熱くなるのを感じる。
 自分は本当に騏驥として未熟だ。とても未熟で——だから騎士の技量も推量れない。
 レイゾンには気づかれないと——気づかれていないと思っていた自らの浅はかさが恥ずかしい。と同時に、そのことで再度自分を、ひいてはティエンを馬鹿にされるかもしれないと思うと、悔しいような悲しさで胸がいっぱいになる。

「……違います」

 だから、白羽は先に口を開いた。
 レイゾンが何か言う前に。彼が白羽を、ティエンを馬鹿にする前に。
 と、レイゾンが片眉を軽く上げる。頬の傷が軽く引き攣れる。だが白羽を咎める様子はない。

 違うのか——どちらも違うのかなどと問い詰めてくることもない。その落ち着きと判断力、そして意外なほどの聡明さに内心驚きつつ、白羽は目を逸らさず続けた。

「違います。ただ……お待たせしてしまったことは申し訳なく思っております。すぐに参りますので——」

 しかしそう言って立ち上がりかけた時。
 脚に、腰に、肩に、身体中に痛みが走る。

「あっ——」

 白羽は思わず短く声を上げ、顔を顰める。痛さに耐えられずバランスを崩した身体が大きく傾ぐ。
 倒れる、と思った次の瞬間

「!」

 白羽の身体は、レイゾンの腕の中にあった。 
 
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