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【番外】離宮へ(22)
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「兄上……どうしても、もう帰らなければならないのですか? もう一日ぐらい泊まっていかれてもいいのに……」
出立の準備が着々と進められていく中、ルゥイが寂しそうに言う。
翌日。
夜更かししたにも関わらず、いつもとあまり変わらない時間で朝食を終えると、シィンは離宮を発つこととなった。
仰々しいことはしなくていい、告げていたため、見送りに並ぶのは十数名の使用人たちと騏驥、そしてルゥイだけ。母妃は、食事こそ一緒だったものの、その後は日課だという散歩に出てしまった。
しかしそんな風に側に母がいないためだろう。
ルゥイの引き留めはあからさまで、さっきから、さりげなくシィンの衣を引っ張るようにしてみたり、シィンが行くわけがないとわかっていて、わざと離宮の「開かずの物置」の話をしてみたりと、言動に一切の遠慮がない。
その、愛らしいわがままぶりに、荷物を運んだり馬装の確認をしていたり、と帰城のための用意を続けるシィンの随身たちも、思わず、といったように微笑んでいる。
シィンもまた、可愛らしい甘えん坊の弟に微笑むと、
「また来る」
頭を撫でてやりながら、優しく応じた。
いつもなら、もう少し駄々をこねるルゥイだが、今回の滞在では今までになく長く一緒にいられたためだろう。
少しばかり唇を尖らせるような、拗ねるような素振りを見せたものの「……わかりました」と素直に応じた。
「またいらして下さるのを、お待ちしています」
「ああ」
「絶対に、絶対にまたいらしてくださいね。来年の誕生日ではだめですよ? 一年も待てません」
「わかったわかった」
いや、やはりわがままは健在だ。
シィンは苦笑しつつ、再び頭を撫でてやる。
ルゥイが嬉しそうに、はにかむように笑った。
いつもと変わらないその笑顔に、シィンは少しほっとしていた。
なにしろ、昨日はほぼ一日中騏驥たちと一緒で、夜も眠るのが遅かった。シィンは何度も「もう眠ろう」と誘ったのに、彼は「もう少しだけ」と、話し続けることを望んだからだ。
だから体調を崩しでもしたら、と心配していたのだが、どうやら大丈夫のようだ。朝食の席でも充分食べられていたようだから、本当に具合はいいのだろう。
念の為——万が一、ルゥイに何かあった時のために塔の魔術師にはもう数日滞在するように命じてあるが、この分なら杞憂に終わりそうだ。もっとも、魔術師には他に命じたこともあるのだが。
「殿下……そろそろ……」
すると、出立の用意を進めていた随身の一人が、控えめに伝えてくる。
シィンは「わかった」と頷いた。今日は午後から予定がある。残念だが、あまり長々と別れを惜しんではいられない。
ルゥイに目を戻すと、シィンは最後の挨拶のように笑みを向ける。しかしそのまま馬車に乗ろうとしたとき。
「……兄上!」
ルゥイが声をあげた。驚いて振り返ると、ルゥイは心持ち緊張したような顔で言った。
「あの……わ、わがままなことは承知しているのですが、兄上が兄上の騏驥に乗っているところを見てみたい……です。もちろん僕には見えませんが……でも……見てみたい……です」
「……」
思わぬ申し出に、戸惑う。目を瞬かせるシィンに、ルゥイは必死な様子で続ける。
「その……ぼ……わたしのために、騏驥を連れてきてくださったことは、とてもありがたく思っています。人の姿でいるところや、調教の時に馬の姿で駆けているところを間近で感じることができて、彼の気配や佇まいを感じることができて、すごく嬉しかったです。ただ……できれば、兄上が乗っているところも……と……」
「…………」
「無理を申し上げていることはわかっています。でももしできるなら……許していただけるなら、騎士の兄上が唯一の愛騏と決めた騏驥に騎乗している姿を感じたいのです。目で見ることは叶わなくとも、せめて側で、騎士と騏驥の繋がりを、息吹を感じたいのです」
ぎゅっと両拳を握りしめて話すその面差しは、いつになく真剣だ。
単なる興味からではなく、騎士と騏驥についてより深く知りたい気持ちが伝わってくる。
シィンはルゥイを見つめた。
今更言うまでもなく、騏驥をどう扱うかは、騎乗する騎士次第だ。他の誰にも、なににも干渉されることはない。
ましてや、シィンはこの国の王太子。ダンジァに乗るも乗らないも、彼を人の姿でいさせるか否かも、全てシィン次第。
誰に命令される謂れもないし、「頼み」だとしても聞き入れる必要はない。
——本来なら。
(だが……)
シィンはルゥイをじっと見つめた。
目が見えず、騎士としての魔術力も生命維持に消費され、それゆえに、もう騎士として騏驥に跨ることはできない弟。
だが。
だが、彼は。
(どうしたものか……)
シィンは、必死な様子の弟を見つめる。
見せてやりたい。本音では。
ルゥイのためだけでなく、自分自身のためにも。
そう。この国の王太子という立場の自分のためにも。
けれど見せてしまえば、ルゥイはきっと収まりがつかなくなるだろう。我慢できなくなるだろう。抑えられなくなるだろう。
騏驥への興味を。愛情を。関わることを。
そして彼には、騎士としてでなければ、それを叶えてしまう道筋があるのだ。極めて危うく、細い道筋ではあるけれど。
(きっと母上は、それを怖れて……)
しかし。
そのとき、傍らに気配を感じた。
見なくてもわかる。
ダンジァだ。
離宮の騏驥たちと別れの挨拶を交わしていたはずの彼が、今はここにいる。
当然のように。
ルゥイとの会話が聴こえたためだけではないだろう。
きっとシィンの心を察し、その声を待つためにここにいるのだ。
聡明な騏驥だ。
シィンは首を巡らせ、彼の騏驥を見つめる。
目が合った瞬間。
「——変われ、ダンジァ」
シィンは告げる。
次の瞬間、美丈夫は、一頭の騏驥に——馬の姿に変化した。
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