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【番外】離宮へ(20)
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シィンはルゥイを見つめ返すと、微笑みながら彼の手を取った。
「わかった。厩舎へ行ってみるとしよう。だがそう焦ることもない。騏驥たちも調教後には汗を流したいだろう。せっかく調教師もいるのだし、彼から今の調教の説明など聞きながら、ゆっくりと向かえばいい」
「……」
「手を引いてやるから、一緒に行こう。まったく、楽しいのはわかるが興奮しすぎだ。一人で先に行って、転んで泣いても知らないぞ」
繋いだ手にそっと力を込めながらシィンが言うと、ルゥイははにかむように笑う。
「転んでも泣きません。でも兄上と一緒に行く方がいいです」
そして朗らかに言うと、先に立って歩き始める。シィンの手を引くその力は、思いがけず強い。
知らず知らずのうちに成長している弟に、シィンは胸が熱くなるのを感じた。
◇
「では、城の蔵書には騏驥の生態について、もっと詳しく書かれたものもあるのですね」
そして、夜。母も同席しての夕食後。
シィンは、部屋にやってきたルゥイと話を続けていた。
昨夜と違い、シィンの許可を得て寝間着で乗り込んできたルゥイは、「ここなら話し疲れて眠っても平気ですね」と、嬉しそうに寝台に上がり込むなり、ずっと話を続けている。
「朝からずっと一緒にいるのに、まだこんなに話すことがあったのか」とシィンがやや驚くほどに。
「疲れるほど話して、ここで眠るつもりなのか」と苦笑するほどに。
今日は結局、シィンは一日中——夕食の時間まで、ずっとルゥイといることになった。彼と、彼が一緒にいたがった騏驥たちと共に。
調教を見て厩舎へ戻ると、騏驥たちはちょうど厩務員たちに身体を洗ってもらっているところだった。
馬の姿のまま気持ちよさそうに水を浴びている姿は、少し前に調教で見た勇猛な様子とはまるで違い、どこか可愛らしくさえある。
そんな騏驥たちの様子をシィンが説明してやると、ルゥイは興味深そうに幾度も頷いた。
見えていなくても、騏驥たちをじっと見つめ、それは熱心に。
シィンはそれを嬉しく思う反面、微かにながら顔を曇らせずにはいられなかった。
ルゥイが望むことをしてやりたい、彼の希望を叶えてやりたいと思ってはいるが……。それで彼に負担を強いることになっては本末転倒なのだから。
その後は、そのまま厩舎で、人の姿になって身なりを整えた騏驥たちと過ごす時間になった。
当初は騏驥も厩務員も戸惑っていたようだ。
なにしろ、離宮のこの厩舎には、今まで関係者以外は誰も近づかなかった。
警護のためには騏驥は絶対に必要とはいえ、騏驥を避ける王妃の意向に従う、という格好で。
だから、そんなところに、王太子であるシィンやその弟が大っぴらにやって来ることなど想像もしていなかったのだろう。
思い返せば、調教の時にもシィンやルゥイがいることに驚いている様子だった。
しかし、騏驥たちの戸惑いや緊張も、ルゥイと接しているうちに次第に溶けていったようだと——シィンは思う。
この厩舎訪問の際には、シィンはできる限り静かにしていた。控えめにしていた。
立場上、周りから気を遣われることはやむを得ないとはいえ、なるべく大人しくしていた。ルゥイを見守ることに徹して。
そうしているうち、ルゥイはすっかり騏驥たちと親しくなったようだ。調教師とも。厩務員とも。今まで何度か忍んできていたためもあるのだろう。
まさか厩舎で一緒に昼食をとるほど親しくなるとは、シィンも予想外(というか予想以上)だったが……。
(厨房の者たちは、思いがけず、シィンやルゥイの分だけでなく騏驥や調教師たちの分まで食事を用意することになって大変なようだったし、配膳の者たちは、急に厩舎へ食事を運ぶことになって大変そうだった)
それでも、この会食によって、ルゥイの騏驥に対する考え方や、本当はどういう接し方を求めているのかについて知れたことは、とても有意義だったとシィンは思う。
せっかくすぐ近くにダンジァがいるのに、自由に話せないことは些か不満だったが(もっとたくさん話したかったし、もっとたくさん褒めたかった!)、離宮の騏驥たちの現状や、調教師たちの方針について知れたことも収穫だったと言えるだろう。
唯一の懸念は、そんなふうにしてほとんど一日中、ルゥイが騏驥と一緒にいたことについて母がどう思うかだったが、夕食の際に顔を合わせた限りでは、黙認、という感じだった。
明日になれば、シィンはもういなくなる。城へ戻る。あと数時間でいなくなる者を相手に、わざわざ揉めようと思わなかっただけかもしれないが……。
なににせよ、ルゥイはもちろんシィンも特に責められることはなく、それに気を良くしたルゥイが「昨夜の分まで」とシィンの部屋へやってきたのが先刻。
可愛い弟は、今もまだ熱に浮かされたように今日のことを、騏驥のことを話し続けていた。
「ああ……なんとかして読んでみたいなあ。でも、たびたび兄上のお手を煩わせてしまうのは申し訳ないし、魔術石に吹き込んでいただくことは難しいですよね。本を送ってもらって、それを誰かに読み聞かせてもらえればいいのかなあ……」
騏驥についてもっと色々と知りたいルゥイは、城の書庫に保管されている騏驥に関する本に興味津々のようだ。
今回、シィンが贈り物として持参した魔術石——騏驥に関する物語を吹き込んだものも、早くも昨夜には一つ聴き終えたらしい。
『兄上に追い返されたおかげで、聴く時間ができたのです』
——と、ルゥイはわざと拗ねたような顔で笑って言ったが、実際、そんなことにならなくても、いそいそと聴き始めていただろう。彼はとにかく騏驥が好きで、騏驥のことについてなんでも知りたいと思っているようだから。
「わかった。厩舎へ行ってみるとしよう。だがそう焦ることもない。騏驥たちも調教後には汗を流したいだろう。せっかく調教師もいるのだし、彼から今の調教の説明など聞きながら、ゆっくりと向かえばいい」
「……」
「手を引いてやるから、一緒に行こう。まったく、楽しいのはわかるが興奮しすぎだ。一人で先に行って、転んで泣いても知らないぞ」
繋いだ手にそっと力を込めながらシィンが言うと、ルゥイははにかむように笑う。
「転んでも泣きません。でも兄上と一緒に行く方がいいです」
そして朗らかに言うと、先に立って歩き始める。シィンの手を引くその力は、思いがけず強い。
知らず知らずのうちに成長している弟に、シィンは胸が熱くなるのを感じた。
◇
「では、城の蔵書には騏驥の生態について、もっと詳しく書かれたものもあるのですね」
そして、夜。母も同席しての夕食後。
シィンは、部屋にやってきたルゥイと話を続けていた。
昨夜と違い、シィンの許可を得て寝間着で乗り込んできたルゥイは、「ここなら話し疲れて眠っても平気ですね」と、嬉しそうに寝台に上がり込むなり、ずっと話を続けている。
「朝からずっと一緒にいるのに、まだこんなに話すことがあったのか」とシィンがやや驚くほどに。
「疲れるほど話して、ここで眠るつもりなのか」と苦笑するほどに。
今日は結局、シィンは一日中——夕食の時間まで、ずっとルゥイといることになった。彼と、彼が一緒にいたがった騏驥たちと共に。
調教を見て厩舎へ戻ると、騏驥たちはちょうど厩務員たちに身体を洗ってもらっているところだった。
馬の姿のまま気持ちよさそうに水を浴びている姿は、少し前に調教で見た勇猛な様子とはまるで違い、どこか可愛らしくさえある。
そんな騏驥たちの様子をシィンが説明してやると、ルゥイは興味深そうに幾度も頷いた。
見えていなくても、騏驥たちをじっと見つめ、それは熱心に。
シィンはそれを嬉しく思う反面、微かにながら顔を曇らせずにはいられなかった。
ルゥイが望むことをしてやりたい、彼の希望を叶えてやりたいと思ってはいるが……。それで彼に負担を強いることになっては本末転倒なのだから。
その後は、そのまま厩舎で、人の姿になって身なりを整えた騏驥たちと過ごす時間になった。
当初は騏驥も厩務員も戸惑っていたようだ。
なにしろ、離宮のこの厩舎には、今まで関係者以外は誰も近づかなかった。
警護のためには騏驥は絶対に必要とはいえ、騏驥を避ける王妃の意向に従う、という格好で。
だから、そんなところに、王太子であるシィンやその弟が大っぴらにやって来ることなど想像もしていなかったのだろう。
思い返せば、調教の時にもシィンやルゥイがいることに驚いている様子だった。
しかし、騏驥たちの戸惑いや緊張も、ルゥイと接しているうちに次第に溶けていったようだと——シィンは思う。
この厩舎訪問の際には、シィンはできる限り静かにしていた。控えめにしていた。
立場上、周りから気を遣われることはやむを得ないとはいえ、なるべく大人しくしていた。ルゥイを見守ることに徹して。
そうしているうち、ルゥイはすっかり騏驥たちと親しくなったようだ。調教師とも。厩務員とも。今まで何度か忍んできていたためもあるのだろう。
まさか厩舎で一緒に昼食をとるほど親しくなるとは、シィンも予想外(というか予想以上)だったが……。
(厨房の者たちは、思いがけず、シィンやルゥイの分だけでなく騏驥や調教師たちの分まで食事を用意することになって大変なようだったし、配膳の者たちは、急に厩舎へ食事を運ぶことになって大変そうだった)
それでも、この会食によって、ルゥイの騏驥に対する考え方や、本当はどういう接し方を求めているのかについて知れたことは、とても有意義だったとシィンは思う。
せっかくすぐ近くにダンジァがいるのに、自由に話せないことは些か不満だったが(もっとたくさん話したかったし、もっとたくさん褒めたかった!)、離宮の騏驥たちの現状や、調教師たちの方針について知れたことも収穫だったと言えるだろう。
唯一の懸念は、そんなふうにしてほとんど一日中、ルゥイが騏驥と一緒にいたことについて母がどう思うかだったが、夕食の際に顔を合わせた限りでは、黙認、という感じだった。
明日になれば、シィンはもういなくなる。城へ戻る。あと数時間でいなくなる者を相手に、わざわざ揉めようと思わなかっただけかもしれないが……。
なににせよ、ルゥイはもちろんシィンも特に責められることはなく、それに気を良くしたルゥイが「昨夜の分まで」とシィンの部屋へやってきたのが先刻。
可愛い弟は、今もまだ熱に浮かされたように今日のことを、騏驥のことを話し続けていた。
「ああ……なんとかして読んでみたいなあ。でも、たびたび兄上のお手を煩わせてしまうのは申し訳ないし、魔術石に吹き込んでいただくことは難しいですよね。本を送ってもらって、それを誰かに読み聞かせてもらえればいいのかなあ……」
騏驥についてもっと色々と知りたいルゥイは、城の書庫に保管されている騏驥に関する本に興味津々のようだ。
今回、シィンが贈り物として持参した魔術石——騏驥に関する物語を吹き込んだものも、早くも昨夜には一つ聴き終えたらしい。
『兄上に追い返されたおかげで、聴く時間ができたのです』
——と、ルゥイはわざと拗ねたような顔で笑って言ったが、実際、そんなことにならなくても、いそいそと聴き始めていただろう。彼はとにかく騏驥が好きで、騏驥のことについてなんでも知りたいと思っているようだから。
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