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【番外】離宮へ(19)
しおりを挟む◇ ◇ ◇
「すごいですね!! 兄上の騏驥は!」
弾んだ声を上げながら、ルゥイはシィンを振り返る。頬が上気しているその面差しからも、彼がとても興奮していることが伝わってくる。
シィンは弟のそんな様子に心からの嬉しさを覚えながら「ああ」と深く頷いた。
離宮の敷地の西側にある、緩やかな坂路の傍ら。
普段は騏驥の調教の確認や指示するための場所から、二人は離宮に務める調教師とともに騏驥たちが順に坂を駆け上ってくる様子を見つめていた。
「見つめていた」と言っても目の見えないルゥイははっきりとそれを見ることはできない。だが、柵の向こうを疾走する騏驥が起こす風の気配や、息音、地を蹴る蹄の音で、その速さや力強さを感じているようだ。
全身で。
もしかしたら、目で見るよりもずっとずっとはっきりと。
◇
朝食を終えると、二人はシィンが離宮にやって来るように命じた『王の騏驥』の到着と「塔」からの魔術師の到着を待って、離宮の騏驥たちの厩舎を訪れた。
いきなり離宮に呼ばれた「王の騏驥」は大層狼狽していたが(なにしろ彼にとっては城を出ること自体が稀だ)、同じように呼ばれた魔術師の落ち着きと、シィンたちの穏やかな雰囲気から、次第に緊張も解けたようだっ
た。
命令された通りにルゥイを護り、目を離さないようにしつつも、貴重な外出の機会を満喫しているようだった。
到着早々、魔術師が離宮に対して結界を張り重ねたためもあるのだろう。シィンが呼び寄せた魔術師は、『塔の十杖』には及ばないものの、彼らの元で勤める実力を持つ者だ。そんな彼の施す魔術だから、ただでさえあらゆる方法で護られている離宮が、今はさらに強固な護りを備える格好になった。
もちろんシィンも、万が一何か起こった時にはルゥイを守るつもりだ。
ダンジァが側にいるからこそ、そう思える。
自分のことは、彼が絶対に護ってくれると、そう信じているから。
シィンは、二度坂路を駆け上がる調教を終え、他の騏驥たちと共にゆっくりと坂を下って厩舎へ戻っていくダンジァを見つめながら思う。
傍からは、シィンの気を引こうとするかのようにダンジァを褒め讃える調教師の声が聞こえてくるが、そんなものは僅かに耳を掠めて去っていくだけだ。
ルゥイからの純粋な褒め言葉は嬉しい限りだが、調教師からのそれは聞き飽きている。
つい今し方、目を見張るような速さで販路を駆け上がったばかりなのに、彼の息はもう落ち着いている。人の姿の時の美丈夫ぶりは言うまでもないが、今のような馬の姿でもやはり素晴らしいとしか言いようがない。
大柄で雄々しく、堂々とした体躯。
仄かに赤みを帯びた栗毛は陽の光にますます輝き、四肢は伸びやかでバランスよく、眺めているだけでため息が出るほどだ。
同じように坂路を駆け上る調教を披露した離宮の騏驥たち二騎と並んでも、やはりダンジァの存在感は際立っている。
完応の赤——。
五変騎の一頭はこんなに「特別」なのかと思い知らされるほどに。
(ダン……)
シィンは、頼もしくも愛しい騏驥を見つめながら、彼が自分のものである喜びをしみじみと噛み締める。
あまりに美しい生き物だ。ずっとずっと、見つめていたくなる。
そうしていると、不意に「兄上」とルゥイの声がした。
はっと見れば、彼はシィンを見上げ、そして右手では騏驥たちの厩舎の方向を指差している。
「僕たちも厩舎へ行きましょう。調教を終えた騏驥たちを労ってやりたいのです!」
今にも走って戻ろうとしそうなその口調に、シィンは苦笑する。
ずっとこの離宮で暮らしているとはいえ、ルゥイは調教場のあたりにはあまり来たことがないはずだ。
走ったりすれば、間違いなく転ぶだろうに……。
(そんなに騏驥たちと会いたいのか……)
普段、いかにそれを制限されているかが伝わってくるようだ。
シィンは、目の前のルゥイの様子と、騏驥の話をするたびに眉を寄せていた母の貌を胸の中で比べ、密かにため息をつく。
騏驥に惹かれるルゥイの気持ちは大切にしてやりたい。
けれど、そんなルゥイを危ぶむ母の気持ちもわからなくはないのだ。
たとえ騎乗していなくても、騏驥の側にいればそれだけで多少なりとも魔術力を消費する。ただでさえ魔術力が他のことに費やされているルゥイが、興味があるからと騏驥にのめり込み、距離感を間違えれば、命すら危うくなってしまうだろうから。
とはいえ今日ぐらいは——この時だけは、せめて彼の希望を叶えてやりたい。
(わたしと一緒ならば、他の時よりもましなはずだしな)
騏驥の意識はルゥイよりもシィンに向くからだ。
それに、今は「塔」から呼び寄せた魔術師もいる。借りを作ることを承知しながら、わざわざ「塔」から魔術師を呼び寄せたのは、そこらの魔術師よりも優れているからだ。
離宮に結界を張り、護りを強化することと、ルゥイの魔術力を安定させること——。その二つを同時に行うことぐらいなら、問題なくこなせるはずだからだ。
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