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【番外】離宮へ(14)

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 ◇


 それから、どのくらい経っただろうか。
 シィンの求めに応じてダンジァが連れてきてくれたのは、人気ひとけのない、広い草地のような場所だった。
 小さな発光石の灯りを頼りに目を凝らせば、何かの跡だったような、朽ちた建物の一部のようなものはわずかに見えるものの、あとは草と木ばかりだ。そんな、静かな場所。
 離宮には何度か来ているシィンも知らなかったところだ。
 そんなところに、ダンジァはシィンを運んでくれた。

 シィンは背中越しにダンジァに抱きしめられたまま、ほっと息をついた。布越しの温もりと静寂に包まれていると、高ぶっていた感情も次第におさまっていく。
 しかしそうすると今度は自分のあまりに突発的過ぎる行動への恥ずかしさがじわじわとこみ上げてくる。

 いきなり窓から飛び降りるなんて……あんな無茶な行動をした自分をダンジァはどう思っているだろう? 呆れているのではないだろうか。

 そんなことを考えて、シィンが不安になったとき。

「……落ち着かれましたか……?」

 耳元から——すぐ側から、静かな声が届いた。
 いつもシィンを気遣ってくれるダンジァの声だ。低く、聞き取りやすく、そして優しい。
 シィンは背後から彼に抱きしめられたまま、小さく頷いた。
 顔を見られたくなくて背中から抱きしめられる格好を望んだのだが、やはり正解だった。
 ダンジァの顔は大好きだけれど、今はまだ自分の顔を見られたくない。

 するとダンジァは、

「では、何か召し上がりますか?」

 続けて言い、背後から平たいパンのようなものを差し出してくる。

 どこから出した!?

 驚きのあまり思わず振り返ってしまったシィンに、ダンジァは柔らかく目を細めて微笑みかけてくる。
 いつもの——変わらない彼の笑顔。
 それを見ると、どんな不安も悲しさもなくなってしまう気がする。

(後悔と自己嫌悪は……まだ残ってしまうけれど……)

 シィンはパンを受け取ると、

「これはどうしたのだ?」

 さっそく食べながら、抱いた疑問を口にした。

「いきなり食べ物を差し出してくるなんて、まるでツェンリェンの騏驥のようだぞ」

「ユーファですね」

「ああ。あの騏驥はいつもなにか食べ物を持っているからな。しかも量が信じられないほどに多いのだ。どこに収納しているのか不思議なほどだが、おそらくポケットが魔術袋の代わりになっているのだろう。そんな服、仕立てるのに一体どれほどかかるかわからぬが、ツェンリェンは『可愛い子にはお金がかかるものです』と嬉しそうに言っていたから平気なのだろう」

 自身もまた、最愛の騏驥のためなら散財を惜しまないにもかかわらず、それは棚に上げてシィンが言うと、ダンジァが笑いを零すのが聞こえた。

「……なんだ? 何故笑う」

「いえ、なんでも。自分が持っていたこれは、自分の馬房に用意されていたものです。散策中にお腹がすくかもしれないと思って、たまたま持っていて……。ああ——ですがご安心ください。もちろん人が食べても大丈夫なものです」

「そうか」

 シィンは頷いたものの、

「……散策中……?」

 その言葉が気になって、わずかに振り返って尋ねる。
 そうだ。そもそもどうしてダンジァはあんなところにいたのだ?
 
 そんなシィンの疑問に、ダンジァは丁寧に答えてくれた。

「昼間、シィンさまと別れて騏驥の馬房に行き、離宮の騏驥たちと色々と話をしたのです。そのときに、離宮のおおまかな配置も聞くことが出来たので……夕食後に、色々と見て周っていたのです。離宮には騏驥だけでなく魔術師もいるとのことでしたので、大丈夫だとは思いますが、万が一、何か非常事態が起こったときのために、と」

「…………」

「それで……そうしているうちにシィンさまのことが気になってしまい……ついお屋敷の方へ……。いつの間にか、自分で思っていたよりも近づいていたようです。そうしたらシィンさまが『ダン……』と……。わたしを呼ぶ声が、聞こえて……」

「わたしの……声……?」

 あの小さな声を聞いたというのか。思わず零してしまった、あの呟きを。

(あぁ…………)

 この上ないほどの幸福感で、胸の中がいっぱいになる。
 シィンはこみ上げる思いをぐっとこらえると、「そうか……」と噛み締めるように言った。
 
「では、もしかしたら、この場所も……?」

「はい。騏驥から聞いた話では、以前は馬用の厩舎があったところのようです。今は使われていませんが、どの建物からも離れていて静かですので……シィンさまにゆっくりしていただくにはここがいいかと」

「…………」

 ダンジァの言葉を聞いて、改めて辺りを見回せば、本当に何もない場所だ。
 いや——ある。木々が風に揺れる音。土と草の香り。そして満天の星……。
 静かに瞬くそれらに魅入られるように見上げていると、

「なにがあったか……お尋ねしても……?」

 ダンジァが静かに問うてくる。普段よりもこころもち低い——囁くような声音。
 シィンを抱く腕に、僅かに力が籠められる。

「話したくないなら、無理にとは申しません。そのときは自分はこのままいつまででも——シィンさまが満足なさるまでここで寄り添っております」

「…………」

「ただ、少しでも話していただければ……何かお役に立てるかも、と……。騏驥の身で僭越ではありますが、もし叶うなら、僅かばかりでもお力になりたいのです」

 真摯な声は、まっすぐにシィンの胸の奥に届く。
 混じりけのない誠実さと思い遣り。愛情の深さが伝わってくる。

 シィンはしばらく星空を見つめて考え——項垂れると、

「……ルゥイに……酷いことをしたのだ……」

 小さな声で、打ち明けた。
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