まるで生まれる前から決まっていたかのように【本編完結・12/21番外完結】

有泉

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【番外】離宮へ(11)

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「母上は……わたしのことがお嫌いですか……?」

 目を合わせていることが辛く、シィンは床に視線を落としながら言った。

「いいえ」

「ではなぜ……わたしには……。わたしも母上に側にいてもらいたいと思うのはいけないことでしょうか。優しい言葉をかけてもらいたいと思うのは間違っているのでしょうか」

 声が震える。
 気配を消して壁際に佇んでいた侍女頭がはっと息を呑む音がする。

 けれど、ずっとずっと言いたかったことだ。
 ずっとずっと言いたくて、けれど怖くて言えなかったこと。

 固唾をのんで母の言葉を待つ。
 と——。

「……お前は……大勢が護ってくれるでしょう。ルゥイを護れるのはわたくしだけ。……そういうことです」

「!! っ……わたしは——」

 衣擦れの音に消えてしまうかのような微かな母の声に、シィンは思わず言い返そうとした。
 王太子という立場だから、確かに大勢が護ってくれる。どこにいても。
 けれどただ一人、”シィン”という立場では母とともにいたいと思うのだ。離れて暮らすのは寂しいと思うし、本当は顔を見たいと思うし声を聞きたいと思う。

 なのにどうして——母はそれを避けるのか。

 頭では、ルゥイを守るためだという母の言葉もわかる。
 わかるのだ。だがわかるのと同じぐらい、自分は嫌われているのではないかという思いが消えない。
 母と離れ、乳母に育てられた自分よりもルゥイの方が大切で……そんなルゥイが目を傷めることになったのはシィンのせいだと思われているのではないかと、そんな疑念が消えない。だから恨まれているのではないかと。

(そんなはずはない……)

 母は、あの事件がシィンのせいではないことを知っている。——わかってくれている。
 母は、自分のことも愛してくれているはずだ。

 シィンは胸の中で何度も繰り返すが、そうして自分に言い聞かせても寂しいような悲しいような気持ちは燻り続けている。——消えない。
 むしろ、じわじわと広がっていくような気さえしてしまう。

 それでも、

「……わかりました」

 シィンは、言いたかった言葉の全てを吞み込むと、代わりに、静かにそう口にした。
 そのまま、部屋から出ようとする。
 と、

「——シィン」

 不意に呼び止められる。
 期待を胸にはっと顔を向けたが、告げられたのは思いもよらなかった言葉だった。

「滞在は……明日までにしては……?」

「!!」

 自分に、予定よりも一日早くここを去れというのか。
 シィンは自分の頬が引きつったのがわかった。
 我知らず握りしめた拳が震える。頭の芯が一瞬で熱くなって、上手く考えがまとまらなくなる。すぐに言葉が出ない。

「……ぁ……」

 シィンは呆然と母を見つめ返すと、空気を求めて喘ぐように掠れた声を零す。
 こちらを見つめてくる王妃の瞳は、青く、静かに澄んでいる。乱れなく結い上げられた琥珀金の髪。子供のころからとても綺麗な人だと思っていたけれど、今はその貌を見つめていると切なさがこみ上げてくる。

 声が震えないように細心の注意を払いながら、シィンは口を開いた。

「それは……出来かねます。ルゥイと、約束しているので」

「……そう……」

 まだ何か言われるかもと身構えたが、母はもうそれ以上は何も言わず、目を逸らすようにふっと俯いてしまう。
 シィンは黙ったまま、部屋をあとにした。

 胸が痛くてたまらない。
 部屋を出るや否や、ほとんど走るようにして自分の部屋へ戻ると、 

「っ……!」

 声にならない声を上げ、やり場のない想いをなんとか発散するようにぐるぐると歩き回った。
 
(母上はルゥイを心配しているだけだ)
(だからといってわたしを嫌っているわけじゃない)

 二つのことを分けて考えようと、何度も胸の中で繰り返す。

 けれどそうすればするほど、自分のことは気遣われていないのではないかという思いがこみ上げてきて、やるせなくなってしまう。
 ルゥイのことが心配なのはわかる。けれど……。

(わたしのことは、どうでもいい、と……?)

 嫌な考えが頭を過ぎり、シィンは慌てて頭を振った。
 そんなわけない。

 けれど——。

『お前は……大勢が護ってくれるでしょう』

 母の言葉が脳裏に蘇る。
 だから、わたしのことは放っていてもいいと……?

 綺麗な部屋で一人佇んでいると、鼻の奥がツンと熱くなってくる。シィンは必死に奥歯を噛み締めると、目元をごしごし擦った。

 こんなことなら、話し相手に誰か連れてくればよかった。
 この離宮で一人でいるのは寂しすぎる。

 けれどウェンライは彼の母——シィンの乳母だった——とシィンの母との仲が良くなかったためになんとなく連れてき辛いし、ツェンリェンは騎士過ぎるほどの騎士だから、こちらも母は嫌うだろう。
 そしてダンジァは……。

(彼は……どうしているだろう……)

 シィンはふと窓に目をやった。
 もう暗いが、彼は他の騏驥たちと仲良くやっているだろうか。親しくしているだろうか? 少なくとも、離宮ここに来たことを後悔しないぐらいには楽しい時間を過ごせているだろうか……。

(ならいいが……)

 彼にも嫌な思いをさせただけになってしまっては、あまりに申し訳ない。

 本来騎士は騏驥に対してすまなさを抱く必要などないが、ダンジァはシィンにとって騏驥以上の存在なのだ。嫌な思いをさせてしまったなら、平気ではいられない。

(顔が見たいな……)

 シィンが溜息をついた時だった。
 微かに、扉を叩く音が響く。

「!?」

 ここ離宮で自分を訪ねてくるなど……。誰だ?
 シィンが戸惑っていると、

「……兄上!」

 よいしょ、というように自ら扉を開けて、寝間着姿のルゥイが笑顔で部屋に入ってきた。

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