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【番外】離宮へ(9)
しおりを挟む褐色の肌に淡い藤色の瞳が美しい女性の騏驥だ。
歳はダンジァよりも少し上ぐらいだろうか。バランスのいい、少し細めの肢体。栗色の長い髪を一つに結って、瞳と同じ色味の髪飾りをいくつも付けている。寛いでいたのか、着慣れた雰囲気の単衣に丈の短めの寛衣を羽織っただけという気軽ないでたちだが、そんな姿でも、そこはかとなく品がいいのは、やはり「王の騏驥」の一員だったためだろう。
この離宮には、普段は王城で暮らしている「王の騏驥」が派遣されているという話だから……おそらくそうだ。
ダンジァが近づくと、
「こんにちは。シィン殿下と一緒に来た騏驥よね。わたしはシァイェ」
彼女は笑顔を見せて挨拶してくる。
そうしていると、続けてもう一人の騏驥も姿を見せた。
「きみが噂にきく『赤』——殿下の騏驥か」
こちらは見た目は男性の騏驥。だがおそらくは騸馬だろう。
「王の騏驥」は精神的な安定を図るために牡は全て去勢されているはずだし、だから牝とも同じ厩舎で暮らせているのだ。
しかし、彼は一見したところ、男性的な雰囲気が残った外見だ。そして振る舞いに余裕がある感じからして、やはり少し年上のように見える。
髪色は「王の騏驥」としては暗めの栗毛だが、馬の姿になると変わるのかもしれない。
ダンジァ自身も人の時と馬の時とでは髪(鬣)色が違うから。
(もしくは……髪が濡れているからそう見えるだけかも……)
「俺はイーシーだ」と名乗ったその騏驥は、水浴びした後らしく、単衣を羽織っただけの格好で、髪を拭きながらやってきたのだ。
「こんにちは。はじめまして。ダンジァです」
ダンジァが挨拶すると、二人からは笑みと共に無遠慮な視線が向けられる。
頭のてっぺんからつま先まで値踏みされているような——全身のパーツ一つ一つをじっくりと確認されているような、そんな視線だ。
全ての騏驥が「そうなりたい」と願う、”ただひとり”の騎士を得た騏驥。しかもその”ただひとり”は、王太子であるシィンなのだ。
それに相応しいのか——五変騎の一頭に相応しい騏驥なのかを見定めようとするかのような鋭い視線。
睨むような射抜こうとするような——熱すら感じさせるその視線は、さすがに攻撃的なものではないし敵対心を抱いているとまではいかないものの、「じっと」とか「ジロジロと」という説明では到底表せないような不躾さではある。
が、ダンジァは動じず、見つめられるままになった。
嬉しくもありがたくもないことだが、シィンの騏驥となってからというもの、こうしたことは、幾度も経験しているのだ。
騏驥たちからだけでなく、騎士たちからも見られることが増え、だからいつしか慣れてしまった。
それに、狼狽えれば主であるシィンに恥をかかせることにもなると思うと、同じ騏驥に見つめられたぐらいで慌てるわけにはいかない。
(元々、あまり敏感ではない性格なのが良かったのだろうな……)
胸の中で思いつつ、微笑みながら見つめ返していると、やがて、
「一人でここまで来たの?」
ふっと空気が緩んだかと思うと、シァイェの方が、軽い口調で尋ねてきた。
直前までダンジァをじっと見ていたことなど感じさせない自然な声音だ。「王の騏驥」らしいそつのない振る舞いに内心苦笑しつつ、ダンジァ「はい」と答えた。
「向こうの、分かれ道のところまでは案内してもらいましたが、そこからは自分一人で……のんびり歩いてきました。ここは広くて美しいですね」
ぐるりと周囲を見回しながら言うと、
「ああ——。まあ、確かに広さと綺麗さは城にも負けないだろうな。広さと綺麗さだけはな」
イーシーが含みのある口調で言う。途端、
「……イーシー……」
シァイェは窘めるように眉を寄せたが、イーシーの方は気にしていないようだ。
「そうだった。厩務員の質と飯もいい。何不自由ない生活だよ。きみの馬房も十二分に整えられているはずだから、きっと城にいるときよりゆっくり過ごせるだろう」
ますます自嘲の響きを漂わせると、髪を拭いていた毛巾を放り投げる。
そのまま手荒く髪を纏めると、素っ気なく一つに結った。
口調も格好も態度も——だらしないと言ってしまえばそれまでだろう。
だが彼はそれだけ鬱憤がたまっているのだと、ダンジァには理解できた。
騏驥によっては、自分が騏驥という存在になってしまっただけでも相当なストレスを受ける。育成段階で死を選ぶ者もいるほどだ。
その上、イーシーは騙馬になり(され)、遠征に出ることも闘うこともほぼない式典用の——いわば”お飾り”のための騏驥である「王の騏驥」になったかと思えば、騏驥嫌いの王妃の元で務めることになってしまったのだ。
やり場のない苛立ちもあるだろう。
聖獣だ最強の兵器だと持て囃される一方で怪物だ異形だと慄かれ、遠征や闘いに駆り出されて傷つく騏驥もいれば、ぬるく扱われることで腐ってしまう騏驥もいる……。
目の当たりにすると、騏驥という立場の歪さを改めて思い知らされるようだ。
と同時に、そんな中でただ一人の騎士と出会えた自分の幸せに強く感謝する。
そして思うのだ。
巡り合えたあの人を、絶対に幸せにしたい。あの人にずっと幸せでいてほしい、と。
そのためにはなんでもする、と。
ダンジァは改めてシィンへの想いを噛み締めると、さりげない仕草で懐から小さな包みを取り出す。ゆっくりとそれを開くと、二人の表情が変わる。
親しい調教師であるユェン師に頼み、準備してもらったのは、騏驥用の砂糖漬けの果実数種。
それも、極上のものだ。
物で釣るわけではないが(むしろ簡単に物で釣られるような警護役の騏驥では困る)、この離宮のことを詳しく知り、行動しやすくするためには、彼らと親しくなっておくに越したことはない。
「ささやかですが、手土産を持参しました。よろしければ、これでお茶などどうですか。離宮でのことをいろいろと聞かせてください」
ダンジァはにっこり微笑むと、菓子に目が釘付けになっている二人を均等に見つめながら言う。
三人で卓を囲むまで時間はかからなかった。
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