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【番外】離宮へ(2)
しおりを挟むしかし一方でルゥイの望みを叶えてやりたいという思いもあった。
実際のところ、本当にダンジァを連れ出したくなければ、ルゥイが文でどれだけごねようがなにをしようが、当日ダンジァを連れて行かなければそれで済む。
が、そうしたくない思いもあるのだ。
たった一人の弟だから。そんな彼の望みだから。
だからシィンは迷っていたし、悩んでいた。
少し前から、まずダンジァにこの件を切り出すかどうかを迷い、そして数日前からは切り出すならどんな風に切り出すかを悩んでいた。
いっそ何も伝えず、今までのように自分だけが贈り物を持って行けばいいのでは、と思ったりもしたけれど……。
万が一、ダンジァがどこからかこの件を知れば、彼はシィンがなぜその話をしなかったのかと訝しく思うだろう。それを想像すると、黙ったままでいることもできなかった。
「それで……もしお前が嫌でなければ、わたしと一緒にルゥイのところに行ってもらえないだろうかと思ったのだ。ルゥイと……母のいる、離宮へ……」
シィンは、何とか声を押し出すようにして最後まで言う。
すると即座に、
「喜んで」
微笑んで、ダンジァは言った。
目を瞬かせるシィンに、彼の騏驥は続ける。
「手間でも嫌でもありません。むしろ嬉しい限りです。ルゥイ殿下に——シィンさまの大切な弟君にお目にかかれるなら」
「ぁ……」
シィンは言葉を失くす。まさかこれほど容易く——軽々と、自分の迷いや悩みを飛び越えてきてくれるとは思っていなかった。
「ぁ……ああ——うん。そうか。そう、言ってもらえると……わたしも……。ル、ルゥイもお前と会うのを楽しみにしている。ただ、その……」
シィンは、上目遣いにそっとダンジァを見た。彼の返答は嬉しい。とても。
けれど、言っていないことが、ある。
自分の口を無理にこじ開けるようにして、シィンは言った。
「その……離宮には、母上もいる。母上は……色々あって、騏驥をあまり好きではない……」
「…………」
「お前が、というわけではなく全ての騏驥をあまりお好きではないのだ。だから多分……もしかしたら……多分……お前にも嫌な思いをさせてしまう……かもしれぬ……」
思い切って言ってみたものの、内容が内容なだけにシィンの不安は一気に高まる。
「そんなところに連れて行こうとしたのですか?」と言われたらどうしよう?
ついぎゅっと縮こまってしまうと、
「——ありがとうございます」
思わぬ言葉とともに、再び抱きしめられた。
戸惑うシィンの身体を、さっきまでよりなお優しく——まるで包んでくれるかのように——包んでくれるかのように抱きしめてくる温かな腕。
鼻先の触れる距離から見つめると、夜の色をした瞳が見つめ返してくる。
シィンの愛する騏驥は、柔らかく目を細め、微笑んで言った。
「そのようにお気遣いいただいて……自分は幸せ者です。シィンさまのお立場なら、ただ一言『一緒に来い』と言えば済むところを、そんなにも御悩み下さって……」
「……!」
声とともにぎゅっと抱きしめられる。強い拘束の心地よい苦しさに微かに喘ぐと、その唇に小さく口づけられる。
囁くように、ダンジァは続ける。
「ですがどうかもう——そんなにお辛そうなお顔はなさらないでくださいませ。ご心配なく。離宮でなにが起こったとしても、自分はシィンさまのお側にいられれば、それだけで幸せなのですから」
そして再び口づけられ、シィンは胸が熱くなるのを感じる。
この騏驥は——彼は——どうしてこれほどまでに格別なのか……。
噛み締めるように想うと同時に、全身から段々と力が抜けていく。
思っていた以上に緊張していたようだ。身体が——心がほぐれていく。
ほっと息をついて改めてダンジァを見つめると、シィンの大切な騏驥は、悪戯っぽく微笑み、
「ルゥイ殿下のお誕生日という栄えある機会にお誘いいただいて光栄です」
わざとのように神妙に、ことさら格式ばった口調で言う。
シィンはそんな騏驥に思わず相好を崩すと、「ああ」と頷く。
安堵したからか——ダンジァの愛の深さをしみじみ感じられたためか、少しばかり悪戯し返してやりたい気分になる。
瞳をくるめかせて見つめ返すと、
「では当日のために、お前に新しい衣を贈るとしよう。馬の姿の時のものと、人の姿の時のものと、両方だ。わたしの騏驥として弟に会うのだから、それぐらいはしないとな」
ここぞとばかりに、衣の新調を提案する。
いつもは「作ってやる」と言っても「もう充分ございます」と断られてしまうから。
ダンジァはシィンの企みを悟ったらしく困ったように笑い、しかし「畏まりました」と、微笑んで頷く。
「よし」
シィンも微笑むと、約束の代わりにちゅっと口づけた。
ずっと言いづらいと思っていたことを口にできて、しかも最良の答えを得られたためか、一気に眠気が寄せてくる。
ダンジァの胸の中、思わず身を摺り寄せるようにすると、
「もう、おやすみになったほうが」
頭上から優しい声が届く。その温かさを嬉しく思いつつも、シィンはいやいやをするように首を振った。
「嫌だ。眠るのはもったいない。せっかくお前といられるのに……」
そうなのだ。恋人同士とはいえ、なんといっても自分たちは騎士と騏驥。ましてやシィンは王太子としての政務もあるから、常に一緒にいられるわけではない。朝の調教の時はともかくとして、二人でゆっくりできるときはといえば、数日に一度、この『秘密の部屋』で、に限られているのだ。
眠いのは本当だけれど——でも眠ってしまいたくない……。
それに——。
「それに、お前はずっと起きているではないか。ずるいぞ」
「そうですか?」
「そうだ。わたしだって、ずっと起きていてお前を見ていたい。お前は起きている間中、ずっとわたしを見ているのだろう」
「はい」
「だからずるい」
シィンは唇を尖らせて言った。
騏驥は人よりも馬の特性に近く、睡眠時間をほとんど必要としない。
それはわかっているし、遠征などに出た時には良いことでもあるのだけれど……でも二人で夜を過ごすときには、少し羨ましいのだ。
「それに、そんなにずっと見られていては飽きられるのではないかと……少し不安になるぞ」
眠気にふわふわする意識の中、シィンが、ぽろ、とそんなことを口にすると、ダンジァは「まさか」と目を細めて笑った。
「そんなご心配は無用です。飽きるなどありえません。むしろもっともっと見ていたいほどです。瞬きの時間すら惜しいと思うぐらいなのですから」
囁かれ、男らしい色香の漂う双眸に見つめられ、シィンの胸は温かく——熱くなる。
再び重なる唇。
口づけは先刻よりももっと長く、シィンを虜にするものだった。
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