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【番外】離宮へ(1)

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 身も心も満たされた情事の後の、心地よい疲れと気怠さの中。
 愛しい騏驥の逞しい腕と広い胸が作る幸せな場所にすっぽりと収まりながら、シィンは密かに一つのことを考え続けていた。
 言おうか言うまいかしばらく悩み、やがて、意を決すると、

「ダン……一つ、頼みがあるのだが……」

 そろそろと、そう切り出す。

 突然だったからだろうか。ダンジァは微かに首を傾げる。
 見つめてくる表情も、複雑な気配を漂わせている。きっと色々慮ってくれているのだろう。
 この騏驥は強く速く見た目が良いだけでなく、とても賢く忠実だから。

 そしてこの場合、話を切り出したシィンの方が言葉を継ぐべきなのだろう。頼みの内容を早々に話すべきなのだ。
 が、そう解っていても、シィンはなかなか次の言葉を口にできなかった。
 
 言おうと決めたはずなのに、まだ悩んでいる。
 彼に——誰よりも大切な騏驥に嫌な思いをさせてしまう——気がして。

 想像して、シィンはしゅんとしてしまう。
「頼み」なんて言わなければよかったかもしれない。
 切り出し方を間違えた。こんな言い方をしてしまうと、彼はきっとだろう。
 どんな「頼み」であっても。彼は本当に本当に——優しいシィンに甘いから。

 シィンはいたたまれず、つい目を逸らしてしまう。
 と、

「……どうなさいました? シィンさま」

 天鵞絨のような柔らかな声が耳を掠めた。
 こちらを気遣い、それでいてさりげないような声音に胸が熱くなる。
 が……まだ口を開けない。
 
 するとダンジァはシィンから少しだけ距離を取るようにそっと腕を緩める。
 そして間近からシィンの顔を覗き込んでくると、

「なんでも仰ってくださいませ」

 微笑み、じっとシィンを見つめて言う。
 声だけでなく視線もまた愛情に満ちている。
 ——伝わってくる。
 シィンはじっとその瞳を見つめ返すと、ややあって、思い切って続けた。

「実は……その……わたしと一緒に弟のところに行ってほしい」

 声が小さくなってしまうのが恥ずかしい。けれどどうしても不安で、そうなってしまう。ゆっくりゆっくりと、言葉を選ぶようにして続ける。

「少ししたらルゥイの……弟の誕生日なのだ。いつもなら、贈り物を持って離宮へ赴いていた。大切な弟の誕生日だから直接にな。いろいろと忙しく、あまり長くは居ないが……」

 思い出すと、顔を曇らせてしまいそうになる。
 本当は、忙しくてもなるべく一緒にいたいと思っている。普段離れて暮らしている分、誕生日くらいは。そのために時間を作っている。空けている。

 ただ、ルゥイはそれを望んでいても、シィンは離宮に長居することはなかった。
 気のせいだと思いたい——けれど、シィンの滞在をあまり嬉しく思っていない人もいる……かもしれないから。

 シィンは、脳裏を過ぎる母の面影をなんとか脇に寄せて言葉を継ぐ。

「ただ今回は、どうやらわたしがお前を得たことをどこからか聞いたらしく『会ってみたい』と言い出してしまって……。しかもゆっくり会いたいから二、三日滞在してほしい、と……」

 無邪気に『会いたいです』『絶対に連れてきてくださいね』と書き記されたふみ
 他のことなら「可愛い我儘だ」と思って叶えてやりたくなるが……。

 シィンは、黙ったまま話を聞いてくれているダンジァに言い訳するように続ける。

「その……なんとかして諭そうとはしたのだ。何度か文をやりとりして、無理だと断ろうとはした。わざわざお前に手間をかけたくはなかったし、それに——」

 それに、ルゥイとともに離宮で暮らしている母は騏驥を良く思っていない。
 ルゥイは、もう騏驥に乗ることはできないから。
 シィンの代わりに、毒を受けたせいで……。

 シィンは全て説明しようとしたが、できなかった。
 どの言葉も、口にするのは辛くて堪らなかったためだ。自分の愛しているものを母が疎ましく思っていることも、弟の現状も、そしてその原因も。
 ——全て。
 
 シィンは、「それに」の先を胸に押し留めると、改めて口を開く。
 
「……だが、なにを言っても聞き入れる気はないようでな……。『大切な兄上の大切な騏驥なら、わたしも会っておきたいのです』と譲らなくて……」

 やりとりした何通もの文を思い出し、シィンは胸の中で小さくため息をつく。

 ダンジァに嫌な思いをさせたくないというのは本当だ。
 ルゥイは歓迎するだろうが、同じ場所にそうではない者もいるというのは彼にとって苦痛だろうと思うから。

 それに、いつもなら絶対にダンジァを護るつもりでいる自分も、母を前にすればどうなるかわからない。彼に肩身の狭い思いをさせたくはないけれど……母はシィンの母親であると同時にこの国の王妃だ。しかも離宮は母とルゥイのための場所。自分の意がどこまで通せるかは……。
 ——わからない。

 そんな場所に、大切な騏驥を連れてはいけない、というのは本音なのだ。


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