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115 夜の丘にて騎士と騏驥は
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「——ここが、東の厩舎地区では一番大きな放牧場です」
言いながら、シィンの手を引いて案内してくれていたダンジァが振り返る。
厩舎地区の、いくつもの調教馬場を巡り、放牧場を巡り、木立を抜けて辿り着いた場所は、夜でもそのひらけた様子がわかる広い広い草原だった。
吹き抜ける風に乗って、爽やかな草の香りがする。
シィンが頷くと、ダンジァはさらに説明を続ける。
「ゆったり駆けても充分な広さがあって……今は夜なので見えづらいかと思いますが、奥には水場があります。湧水で、たまに、野生の小動物がやってきたりもします。可愛いですよ。あと……この左側は緩やかな丘になっているのです。上ると見晴らしが良くて……風も気持ちがいいです」
二人の周りに三つほど浮かべている発光石。ぼうっ……と光るそれに照らされたダンジァの貌は、いつもの彼の優しく穏やかな貌だ。
だが、そこに少しばかり寂しさが混じっているように感じられるのは——シィンが気にしすぎているためだろうか。
気になって、ついじっと見つめていると、ダンジァが「何か?」と言うように小首を傾げて見つめ返してくる。
近さに、少し焦る。と同時に、まったく自然なダンジァの様子に、シィンはなんだか複雑な胸中になる。
そういえば、ダンジァはさっき手を握る時もごく普通だった。
『暗いので足元が危のうございます。お連れいたしましょう』
そんなふうに言って、エスコートしてくれるかのように手を差し出してきて。
それはなんだか子供扱いされているような、過剰に心配されているような気がして、なんとなく面白くないような気もしたものの、それ以上に彼に大切にされているような気がして心地よくて、言われるまま、シィンはその手を取ったのだ。
自分の胸の鼓動が、少し速くなり始めているのを感じながら。
(わたしは「そう」なのに……)
彼は、何も感じてはいないのだろうか?
会うのは「あの日」以来だというのに……。
シィンが何も言わずに首を振ると、ダンジァは困ったように苦笑を浮かべ——しかしそれ以上尋ねるようなことはせず、代わりに、繋いでいる手に力を込めてくる。
はっとシィンが目を瞬かせると、ダンジァは微笑んで言った。
「よろしければ、少し丘を上ってみませんか。草地なので少々歩きづらくはなりますが、自分がずっと手を繋いでおります。ご安心ください」
「丘……放牧地に入っても大丈夫なのか?」
「はい。こうした放牧地は、通常は馬の姿の時に寛ぐための場所ですが、人の姿でいたところで問題はありません。騏驥によっては馬の姿になったり人の姿になったり気ままに過ごす者もおりますし。……お疲れでなければ、ぜひ」
「ここは、お前も好きだった場所か?」
シィンが尋ねると、ダンジァは「そうですね」と頷く。
「ならば、行く」
シィンが言うと、ダンジァは微笑んでシィンの手を引き、先に立って歩き始める。促され、シィンも足を進める。数歩進むと、長靴に草の感触を感じる。夜の静寂に微かに響くカサカサという草の音。
その音は、シィンの胸の中から聞こえてくるようでもある。
明日から始まる新しい日々。それへの期待に逸る音。
しかし同時に、未だ拭えぬ不安や心配もあった。
シィンは大きな手に手を引かれて歩きながら、今日までのあれこれを思い返していた。
騏驥の競技大会から、十の昼と夜が過ぎた。
つまり「あの事件」から十の昼夜が。
それだけの時間が、あっという間に過ぎていた。
大会はなんとか無事に終了したものの、王子であるシィンが毒に倒れ、その犯人が王の騏驥やその調教師だったということで、事件の影響は小さくはなかった。
そんな中でも幸いだったのは、シィンの回復が順調だったことだろう。
医館に運ばれたときの状態は決して良いものではなく、後日詳しく話を聞くと、あと少し遅れていれば魔術力は失われておりました……という状況だったらしい。 だが、解毒薬が間に合い、それが効き、回復することができたのだった。
療養しつつではあるものの、すでにシィンは公務に復帰している。
ダンジァもまた、全身の怪我や毒の治療、蹄の傷みのために本格的な調教こそまだできないものの、休養を経て普通に暮らしている。
そして——今日。
シィンはさっきまで、厩舎地区のサイ師の厩舎にいた。
赴いた理由は、今日がダンジァが厩舎で過ごす最後の日だったからだった。
明日、彼は厩舎を離れる。
サイ師の元を離れ、厩舎地区を離れ、「王の騏驥」の一員/一頭となるために王城の厩舎に転厩する。——入城するのだ。
シィンがそれを望んだために。
それは同時に、彼が引退まで城から出られなくなることを意味する。
しかも今回はシィンの騏驥としての入城だ。今後は、シィンが調教に乗れない際を除き、シィン以外の騎士は一切乗せなくなる。
つまり、通常の騏驥とはまるで違う生活になってしまうのだ。
それまでの彼の生活とはまるで違うことに。
本来なら叶わないこの抜擢——普通の騏驥を王の騏驥として転厩させることができたのは、他でもない、ダンジァが五変騎の一頭であると、騎士会や塔の十杖や議会が認めたためだ。
王族は王の騏驥にのみ騎乗する——。
それがいつしか定まった慣例だったが、
“次代の王となる王太子が五変騎の一頭を従えるのであれば、それはより良きこと”
——というのが騎士会や『塔』や議会の一致した意見で、つまりは例外の特例で、ダンジァを転厩させ、シィンの愛騏とすることが叶ったのだった。
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