まるで生まれる前から決まっていたかのように【本編完結・12/21番外完結】

有泉

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114 騎士の/騏驥の——告白。愛しきそれぞれの星

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「お前が剣を返上しにきた時だ。リィ殿下の名前を口にした。……その時に」

「!?」

「殿下と会ったと言っていた。それを聞いた時に——」

「…………」

 驚いて言葉もない様子のダンジァに、シィンは苦笑しながら言った。

「わかっている。お前に他意はなかった。たまたま会ったという話にも嘘はなかっただろう。あの時も、頭ではわかっていた。だが……お前は優れた騏驥で、殿下は優れた騎士だ。以前リィ殿下がお前に騎乗していたことも知っている。偶然出会ったことも、二人の絆の強さのように思えた。話以上の親しさがあるのではと……羨ましくなった」

 シィンの言葉に、ダンジァは戸惑うような顔を見せる。シィンは、そんな彼を宥めるように頬を撫でた。

「だから、お前だけではないのだ。そう気に病むことはない」

「……は……」

 ダンジァは頷く。だがその動きはぎこちない。
 納得していない——というよりも、違う何かについて考えているように。
 確かめるようにチラとシィンを見ては、目が合うと逸らす。
 混乱がこちらにまで伝わってくるようだ。
 何が正解なのかわからなくなっているような、答え合わせをしていいのか迷っているような。

「……ダンジァ」

 そんなダンジァをシィンは呼ぶと、「もっと近くへ」と促す。顔が見たい。もっと——もっと近くで。

「ダンジァ、近くへ」

「…………」

「もっとだ」

「…………」

「もっと近くへ」

 シィンは繰り返し、ダンジァを呼ぶ。
 忠実な彼はシィンが命じればその通り近づいて来るのだが、いかんせん、その距離はさして変わらないままだ。「近づいている」と言われなければわからないほどしか近づかないダンジァに、シィンは流石に焦れ始める。

「ダンジァ」

 再び彼を呼ぶと、

「……お許しください」

 弱り果てたような、掠れたダンジァの声がした。 
 彼は目を伏せ、こちらを見ないようにしながら言う。

「先程のお言葉といい……これでは誤解してしまいそうです」

 それだけのことを言うのも、彼にとっては大変な思いなのだろう。
 触れている頬が熱い。
 困らせているに違いない。

 だが。
 だが——それでも。 

「誤解ではない」

 困惑中のダンジァを見つめながらシィンが言うと、彼は一瞬瞠目し——慌てた様子で視線を逸らす。

「で——では、毒のせいでおそらくお気持ちが乱れて……」

「乱れていない。いや——そうではないな、乱れているかもしれない。けれどそれは、毒ではなくお前のせいだ、ダン。……そうだ……お前が全部悪い。お前がわたしをおかしくさせるのだ。——ダン、もっと近くへ」

「シィン様——」

 ダンジァの唇から、困り果てたような声が上がる。
 誠実で奥ゆかしい騏驥。
 けれど今シィンが欲しいのは、そんな騏驥ではなかった。

「ダンジァ」

「どうか、もう……お話はおやめくださいませ。時間がございません。急がねば……」 

「やめさせたいなら、お前がやめさせればよい。わたしを黙らせたいなら——黙らせればよい」

 ダンジァは両腕が塞がっている。
 そんなことは承知の上で(なにしろその理由はシィンに他ならない)シィンが言い、見つめると、触れている頬がカッと熱を増す。
 ——聡い男だ。

 なのに、まだ何かから逃れようとするかのように、ダンジァは目を合わせようとしない。
 そんな彼の頑なさを焦れったく——しかし好ましく思いながら、シィンは静かに言った。

「わたしたちは互いに、相手が自分以外の者と親しくしていることに嫉妬したようだ……。ならば、お前もわたしも……胸の中で思っていることはおそらく同じであろう。わたしはそう思っているが……お前は違うのか?」

「…………」

 ダンジァからの答えはない。構わず、シィンは言った。もう時間がない。
 後悔したくなかった。

「ダンジァ、わたしの気持ちはもう決まっている。今すぐにでもお前に伝えたいことがあるのだ。だが……だからこそ……口に出すことが憚られる。わたしの言葉は時として他の者の自由を奪う。だがわたしはお前の自由を奪いたくは——」

 ない、と言い終えようとした時。

 不意に、シィンのその唇に温かなものが触れた。
 吐息を纏う唇。ダンジァの唇。
 温かく、柔らかなそれは、一切の強引さを感じさせず、しかし確実にシィンの声を攫い、心を奪っていく。

 彼の顔が、すぐ目の前にある。
 彼の目の中に自分がいる。自分のそんな姿を見るのも、シィンには初めてだった。

 寒いのに火照ったように熱くなっていく身体。その身体を、ぎゅっと抱きしめられた。

「……自分は、もうずっと以前から——シィン様のものでございます……」

 耳元で、声がした。

「自由も心も身体も、シィン様のものでございます。自分はそれを望み、それを何よりの喜びだと感じているのです。…………心からお慕いするシィン様のものであることが」

「…………」

「お慕いしています、シィン様。シィン様が自分のことをどう思っているとしても、自分はシィン様を心からお慕いしています。騎士としてのシィン様だけでなく、王子としてのシィン様だけでなく、会って見て聞いて感じたシィン様の全てを——まだ見ぬシィン様の全てもお慕いしています」

「…………」

「騏驥の身でありながら貴き御方にこのような邪な想いを抱くことはもってのほかとわかっていても——ずっとお側にいとうございます、決まりのことは存じていても——お側にいとうございます……」

 強い抱擁と共に告げられる告白は、シィンにかつてないほどの悦びをもたらしてくれる。
 切なげな声、激情を堪えるように顰められた眉、そして唇に触れた唇。何もかもが愛しく、あとからあとから、今まで感じたことのない熱い歓喜が込み上げてくる。

 離したくない。
 離れたくない。
 側に置いていたいのはこちらの方だ。どうしてこの男を手放せようか。

 シィンはじっとダンジァを見つめると、
 
「……ならばこのまま、いれば良い。側に——わたしの側に」

 静かに、そう告げた。
 ダンジァが息を呑む。その瞳を間近から見つめたまま、シィンは深く頷いた。

「側にいよ。ずっとだ。ずっと側にいるのだ。わたしの騏驥になれ。いや——お前はもうわたしの騏驥だ」

「…………」

「規則など知らぬ。愚かな王子だと皆に笑われてもいい。お前を離したくはない。お前は、わたしのものだ。ずっとわたしの側でわたしを支え、わたしのために駆けよ。……わたしだけのために」

 ……いいな。

 じっと聞き入っていたダンジァの頬を優しく撫でながら言うと、ダンジァは感極まったようにぎゅっと瞼を閉じる。
 そして再びそれを上げ、

「はい」

 と噛み締めるように言った。

 晴れやかなその貌に、シィンも微笑む。
 気持ちは決まった。自分が欲し、彼がそれを望むなら、どんな手段を用いても彼を側に置くまでだ。

 頬を撫でていた手で額を——ダンジァの「星」の箇所を撫でると、彼は心地良さそうに目を細める。
 そのまま抱き寄せられたかと思うと、再び、優しく口付けられる。

「夢のようです……」

 啄むような口付けの合間、掠れた声でダンジァは言う。シィンはされるままになりながら、小さく笑った。

「夢は夜見るものだ。もう朝だぞ」

「朝も夜も——いつもです」

 ダンジァは、囁くように言った。

「自分の目に映るシィン様は、いつも夢のように美しく輝いてございます」

 シィンを見つめてきっぱり言うと、ダンジァは一層強く抱きしめてくる。
 その声と視線、そして抱擁の温かさに、シィンは胸がいっぱいになる。
「そうか……」と応じるのが精一杯になる。
 冷え切っていた身体に彼の体温が混じり、溶け合い、消えることのない灯が灯されるかのようだ。
 
(ダンジァ……)

 シィンは、胸の中でしみじみと彼の特別なただ一人の名前を呼ぶ。
 まんまと「黙らされてしまった」格好だが、嫌なわけがなかった。むしろ嬉しい。
 こちらの期待に充分すぎるほどに応えてくれる、賢い、聡い騏驥。
 ダンジァ。
 
 わたしの——ダンジァ。


 胸が満たされ、何も言えなくなってしまったシィンの身体が、しっかりと抱え直された。
 シィンを優しく見つめ、ダンジァは言う。

「シィン様。今度こそもう——何も話さないでくださいませ。医館まで一切遠慮なく走りますので……口を開けておられては舌を噛みます」

「…………」

「間に合います。間に合わせます。ですからどうか、着いたらすぐに解毒薬を」

 さっきのシィンの言葉を——脅し文句をまだ覚えているのだろう。そう念を押すダンジァにシィンは小さく笑いつつ「わかった」と頷く。
 
 正直なところ、少し前までは解毒薬に不安があった。
 ツォは周到だ。そして秀でた調教師だ。そんな彼が調合した毒なら、彼が話していたように普通の医師や薬師では解毒が難しいのでは、と。
 だが……。

(何かあったな……)

 シィンはチラと医館の方角へ目を向けながら思った。
 良いことかどうかはまだわからないが、何か、あった。医館で、何か起こった。
 少し前から、医館の方から魔術の余波のようなものを感じるのだ。誰かが魔術を使用した余韻のような……つまりその影響が、確かに伝わってくる。
 ダンジァは「すぐ」と言っていたが、まだ建物が見えないぐらいの距離はある。それだけ距離がありながら魔術の余波が感じられるとは……何かが起こったとしか思えない。

 もし良いことが起こったのだとしたら——自分の身にも良いことがあるだろう。尽力してくれた者たちのおかげで、解毒薬が作られたと思いたい。

「……何か……?」

 すると、そんな風にあれこれ考える顔をしていたシィンを気にしたのか、ダンジァが心配そうに尋ねてくる。
 シィンは、今考えていたことを口にしかけ——ふと思い立って、「いいや」と首を振った。
 言うなら、もっと「いいこと」がいい。

「なんでもない。ただなんとなく……身体が良くなってきている気がしたのだ」

「お身体が!?  本当ですか?」

 途端、ダンジァは弾んだ声を上げた。

「加護の魔術の効果なのでしょうか!?  ならばきっとご回復も叶うことでしょう」

「ああ。まだ寒気がするし、力が入らぬが……」

 シィンはダンジァの広い胸に頬を擦り寄せた。

「お前が口付けてくれたおかげだろう。いつになく——心地が良い」

 その言葉に、ダンジァは戸惑うように目を丸くする。シィンは小さく笑いながら、「本当だ」と続けた。
 意味深な言い方をしたのは揶揄うつもりだったからだが、身体がいくらか楽になったのは本当だ。
 想いが通じたからだろう。通じ合ったからだ。それを確かめられたからだ。好きな相手と。特別な相手と。


「だからこれからも、わたしの回復に協力せよ。お前のおかげで、わたしはきっと騎士でい続けられる。力を失うことなく——きっと——」

「は……はい!」

 シィンの言葉に、ダンジァは「自分でお役に立てるなら」と深く頷く。

「お前にしかできぬことだ」

 シィンが言うと、ダンジァはより深く頷く。

「シィン様。——殿下。では参りましょう」

 そして目に活力を漲らせて言うダンジァに、

「ああ。頼む。だが無理はするな。お前はここまで充分駆け続けてくれた。お前も怪我をしている身で……」

 シィンは頼もしさを感じつつも少しばかり心配になる。彼の怪我。彼の具合。
 しかしダンジァは「大丈夫です」と笑みを見せた。

「騎士に尽くすは騏驥の本分。どうぞお気になさいませんよう。それに、自分は幸せにもシィン様に『わたしのものだ』と、おっしゃっていただけました。あのお言葉だけで、どこまでも駆けていけます。シィン様の望むままに」


 言うが早いか、ダンジァは、再びシィンを抱いて駆け始める。

 相愛の相手の腕の中。
 シィンは全身で幸せを感じながら、ダンジァに全てを委ねる。

 流石に疲れて目を閉じる寸前。

(ああ——そうだ)

 シィンはふと思い出した。

 彼の、あの、毛色。
 美しい、あの赤。
 あれは目を引き、たいそう魅力的だったけれど、彼の毛色は確か……鹿毛だったはずだ。
 一体何があったのだろう?
 それとも見間違えたのだろうか。

(確かめるつもりだったのに……)

 ダンジァに尋ねるつもりだったのに、すっかり失念していた。
 
(まあいいか)

 本当に赤なら、世にも稀だ。
 だがどんな毛色でも、彼には変わりない。そして変わらず彼のことが——好きなのだから。

(だからまあ——いい)

 シィンは一人頷くと、静かに目を閉じる。
 彼にとっての「美しい星」——ダンジァの鼓動を、心地よく聞きながら。


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