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109 王子は騏驥の腕の中

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 自分のあまりの身勝手さに、シィンはきつく唇を噛む。
 刹那、まるでその罰を受けるかのように、ズクリと胸に痛みが走った。

「っ——」

 それまでの比ではない息苦しさに、眉根が寄った。
 歯を食いしばっても、痛みは引かない。こめかみがずくずくと疼く。波のように立て続けに寄せてくる寒気に耐えられず、思わず暖を求めるように裸のダンジァに身を寄せる。

「!?  シィン様!?」

 腕の中のシィンの異常に気づいたダンジァが、上擦った声を上げる。すぐにぎゅっと抱きしめられたが、寒気と震えは止まらない。

(騎士でいられなくなる……騎士ではなくなる……本当に……?)

 あるのが当然だったはずの魔術の力。王子であるが故の、騎士としての、あって当たり前だった力。
 しかし、それが今、刻々と流れ出し、失われているのだと思うと、胸の中まで凍えるようだ。

(怖い……)

 想像するだけで。
 
 けれどそれを口に出すことは、ツォの悪意に屈することだ。
 騎士として、王子として、それだけはしたくなかった。
 堪えるように、シィンは再び唇を噛む。

 すると、

「シィン様。恐れ入りますがこちらを抱えていてくださいませ」

 声と共に、胸の上に剣を置かれる。ダンジァの剣だ。彼に授けた剣。ここへ導いてくれたという、「星駕」。

(??)

 また返上するつもり……ではないだろう。
 ならばどういうことだろうと思っていると、次の瞬間、剣を抱えたシィンの身体が、毛布ごとふわりとダンジァに抱き上げられた。
 驚くシィンに、立ち上がったダンジァは「大丈夫です」と微笑んだ。
 何もかも委ねられるような、頼もしい、安心できる笑みだ。
 彼はシィンを間近からまっすぐ見つめ、確固たる自信を窺わせる声音で続ける。

「すぐに医師の元へお運び致します。それまでのご辛抱です。……失礼ながらこうしてお運びした方がお身体へのご負担が少ないと思いますので……ご容赦ください」

 シィンを横抱きにしたまま、ダンジァは言う。
 ああ、そうか、とシィンは思った。だから剣を持っていて欲しい、ということなのだろう。馬の姿ではなく人の姿でシィンを運ぶつもりで、そうするには両手が塞がってしまうから。

「……わかった」

 シィンは頷いたが、その声は自分が思っていたよりもずっと細く小さい。
 そのせいだろう。ダンジァは一瞬辛そうに顔を顰めたものの、すぐに、振り切るように表情を引き締める。

 図らずも、その精悍な貌を間近で見ることになり、シィンは自分の胸がどきりと大きく鳴ったのを聞く。凍えそうな寒さも、震えるほど怖さも、彼の腕の中ならば和らぐようだ。

 だがダンジァが一歩踏み出そうとした時。

 その前に、ゆらりとツォが立ち塞がった。

「……無理ですよ」

 彼は澱んだ目で、虚な声で、ダンジァに——そしてシィンに言った。

「解毒は無理です。難しい上に時間もない……。そう申し上げましたのに……殿下。諦めの悪い……」

 その声の禍々しさに、シィンは思わずぎゅっと身を硬くしてしまう。
 ひるみたくない——。
 そう思うのに、彼が「こう」なってしまった一端は自分にあるのかもしれないという思いが——弱みがあるためだろう。
 彼の向けてくる怨嗟を、強く跳ね返すことができない。

 だがその時。

「退いてください」

 ダンジァが、キッパリと毅然とした声音で言った。

 刃を思わせる声音だ。
 そっと見れば、彼は射るような眼差しでツォを睨んでいる。視線で彼を斬るような——そんな視線。
 普段、ふとした時に彼が覗かせる微かな雄々しさとは比べ物にならない獣性だ。
 抑制し、押し殺してはいるものの、騏驥は気の荒い一面も持っているのだと、改めて思い知らされるような、そんな視線。
 ——双眸。

 その迫力に流石に気圧されたのか、ツォが一歩、二歩と下がる。
 が、彼は流石に騏驥の扱いに慣れている——せいだろうか。
 本心からか、強がりからかはわからないものの、そこで踏みとどまると、「はは……」と軽い笑い声をあげ、ダンジァに向けて薄く笑んでみせた。

「騎士に忠実なのも考えものだな。賢い騏驥なら無駄な努力はしないことだ。そんなことより早く次の騎士を見つけられるよう——」

「余計な世話です」

 だがそんなツォの言葉を、ダンジァは一言で断ち切る。
 普段の彼からは想像もつかない冷たい声音。
 そのにべもない口調にツォは一瞬目を丸くし——次いで顔色を無くしたように青くなり——直後、激昂したように赤くなる。

「っ——!」

 だが彼が声を荒らげるより早く、ダンジァが言葉を継いだ。

「自分の行く手を阻めるのはシィン様だけです。先生であっても邪魔はさせません。先生こそ、今後のことをお考えになった方がいいのではないですか。先程の自分のいななきは、シィン様を探している近衛や衛士に——彼らとともにいる騏驥たちに聞こえたはずです。程なく、ここは包囲されるでしょう」

 ダンジァのその言葉に息を呑んだのは、ツォだけでなくシィンもだった。
 あの時の、嘶き。あれはシィンに会えた喜びを爆発させただけでなく、捜索している者たちへの報せでもあったのだ。

(なんと……なんと頼もしい……)

 あんな時ですら冷静だったダンジァに、シィンは感嘆を禁じ得ない。
 今だって、彼は全身に警戒を漲らせているが、言葉遣いはあくまで丁寧だ。だからこそ一層彼の怒りが伝わってくるのだが、冷静さを保っているところは騏驥として素晴らしい特性だ。

 やはり——彼を手離せない……。

 シィンは、もう何度目になるかわからないその想いを噛み締める。

 優れた騏驥——そしてそれだけではない、それ以上の特別な存在——。

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