111 / 157
109 王子は騏驥の腕の中
しおりを挟む
自分のあまりの身勝手さに、シィンはきつく唇を噛む。
刹那、まるでその罰を受けるかのように、ズクリと胸に痛みが走った。
「っ——」
それまでの比ではない息苦しさに、眉根が寄った。
歯を食いしばっても、痛みは引かない。こめかみがずくずくと疼く。波のように立て続けに寄せてくる寒気に耐えられず、思わず暖を求めるように裸のダンジァに身を寄せる。
「!? シィン様!?」
腕の中のシィンの異常に気づいたダンジァが、上擦った声を上げる。すぐにぎゅっと抱きしめられたが、寒気と震えは止まらない。
(騎士でいられなくなる……騎士ではなくなる……本当に……?)
あるのが当然だったはずの魔術の力。王子であるが故の、騎士としての、あって当たり前だった力。
しかし、それが今、刻々と流れ出し、失われているのだと思うと、胸の中まで凍えるようだ。
(怖い……)
想像するだけで。
けれどそれを口に出すことは、ツォの悪意に屈することだ。
騎士として、王子として、それだけはしたくなかった。
堪えるように、シィンは再び唇を噛む。
すると、
「シィン様。恐れ入りますがこちらを抱えていてくださいませ」
声と共に、胸の上に剣を置かれる。ダンジァの剣だ。彼に授けた剣。ここへ導いてくれたという、「星駕」。
(??)
また返上するつもり……ではないだろう。
ならばどういうことだろうと思っていると、次の瞬間、剣を抱えたシィンの身体が、毛布ごとふわりとダンジァに抱き上げられた。
驚くシィンに、立ち上がったダンジァは「大丈夫です」と微笑んだ。
何もかも委ねられるような、頼もしい、安心できる笑みだ。
彼はシィンを間近からまっすぐ見つめ、確固たる自信を窺わせる声音で続ける。
「すぐに医師の元へお運び致します。それまでのご辛抱です。……失礼ながらこうしてお運びした方がお身体へのご負担が少ないと思いますので……ご容赦ください」
シィンを横抱きにしたまま、ダンジァは言う。
ああ、そうか、とシィンは思った。だから剣を持っていて欲しい、ということなのだろう。馬の姿ではなく人の姿でシィンを運ぶつもりで、そうするには両手が塞がってしまうから。
「……わかった」
シィンは頷いたが、その声は自分が思っていたよりもずっと細く小さい。
そのせいだろう。ダンジァは一瞬辛そうに顔を顰めたものの、すぐに、振り切るように表情を引き締める。
図らずも、その精悍な貌を間近で見ることになり、シィンは自分の胸がどきりと大きく鳴ったのを聞く。凍えそうな寒さも、震えるほど怖さも、彼の腕の中ならば和らぐようだ。
だがダンジァが一歩踏み出そうとした時。
その前に、ゆらりとツォが立ち塞がった。
「……無理ですよ」
彼は澱んだ目で、虚な声で、ダンジァに——そしてシィンに言った。
「解毒は無理です。難しい上に時間もない……。そう申し上げましたのに……殿下。諦めの悪い……」
その声の禍々しさに、シィンは思わずぎゅっと身を硬くしてしまう。
怯みたくない——。
そう思うのに、彼が「こう」なってしまった一端は自分にあるのかもしれないという思いが——弱みがあるためだろう。
彼の向けてくる怨嗟を、強く跳ね返すことができない。
だがその時。
「退いてください」
ダンジァが、キッパリと毅然とした声音で言った。
刃を思わせる声音だ。
そっと見れば、彼は射るような眼差しでツォを睨んでいる。視線で彼を斬るような——そんな視線。
普段、ふとした時に彼が覗かせる微かな雄々しさとは比べ物にならない獣性だ。
抑制し、押し殺してはいるものの、騏驥は気の荒い一面も持っているのだと、改めて思い知らされるような、そんな視線。
——双眸。
その迫力に流石に気圧されたのか、ツォが一歩、二歩と下がる。
が、彼は流石に騏驥の扱いに慣れている——せいだろうか。
本心からか、強がりからかはわからないものの、そこで踏みとどまると、「はは……」と軽い笑い声をあげ、ダンジァに向けて薄く笑んでみせた。
「騎士に忠実なのも考えものだな。賢い騏驥なら無駄な努力はしないことだ。そんなことより早く次の騎士を見つけられるよう——」
「余計な世話です」
だがそんなツォの言葉を、ダンジァは一言で断ち切る。
普段の彼からは想像もつかない冷たい声音。
そのにべもない口調にツォは一瞬目を丸くし——次いで顔色を無くしたように青くなり——直後、激昂したように赤くなる。
「っ——!」
だが彼が声を荒らげるより早く、ダンジァが言葉を継いだ。
「自分の行く手を阻めるのはシィン様だけです。先生であっても邪魔はさせません。先生こそ、今後のことをお考えになった方がいいのではないですか。先程の自分の嘶きは、シィン様を探している近衛や衛士に——彼らとともにいる騏驥たちに聞こえたはずです。程なく、ここは包囲されるでしょう」
ダンジァのその言葉に息を呑んだのは、ツォだけでなくシィンもだった。
あの時の、嘶き。あれはシィンに会えた喜びを爆発させただけでなく、捜索している者たちへの報せでもあったのだ。
(なんと……なんと頼もしい……)
あんな時ですら冷静だったダンジァに、シィンは感嘆を禁じ得ない。
今だって、彼は全身に警戒を漲らせているが、言葉遣いはあくまで丁寧だ。だからこそ一層彼の怒りが伝わってくるのだが、冷静さを保っているところは騏驥として素晴らしい特性だ。
やはり——彼を手離せない……。
シィンは、もう何度目になるかわからないその想いを噛み締める。
優れた騏驥——そしてそれだけではない、それ以上の特別な存在——。
刹那、まるでその罰を受けるかのように、ズクリと胸に痛みが走った。
「っ——」
それまでの比ではない息苦しさに、眉根が寄った。
歯を食いしばっても、痛みは引かない。こめかみがずくずくと疼く。波のように立て続けに寄せてくる寒気に耐えられず、思わず暖を求めるように裸のダンジァに身を寄せる。
「!? シィン様!?」
腕の中のシィンの異常に気づいたダンジァが、上擦った声を上げる。すぐにぎゅっと抱きしめられたが、寒気と震えは止まらない。
(騎士でいられなくなる……騎士ではなくなる……本当に……?)
あるのが当然だったはずの魔術の力。王子であるが故の、騎士としての、あって当たり前だった力。
しかし、それが今、刻々と流れ出し、失われているのだと思うと、胸の中まで凍えるようだ。
(怖い……)
想像するだけで。
けれどそれを口に出すことは、ツォの悪意に屈することだ。
騎士として、王子として、それだけはしたくなかった。
堪えるように、シィンは再び唇を噛む。
すると、
「シィン様。恐れ入りますがこちらを抱えていてくださいませ」
声と共に、胸の上に剣を置かれる。ダンジァの剣だ。彼に授けた剣。ここへ導いてくれたという、「星駕」。
(??)
また返上するつもり……ではないだろう。
ならばどういうことだろうと思っていると、次の瞬間、剣を抱えたシィンの身体が、毛布ごとふわりとダンジァに抱き上げられた。
驚くシィンに、立ち上がったダンジァは「大丈夫です」と微笑んだ。
何もかも委ねられるような、頼もしい、安心できる笑みだ。
彼はシィンを間近からまっすぐ見つめ、確固たる自信を窺わせる声音で続ける。
「すぐに医師の元へお運び致します。それまでのご辛抱です。……失礼ながらこうしてお運びした方がお身体へのご負担が少ないと思いますので……ご容赦ください」
シィンを横抱きにしたまま、ダンジァは言う。
ああ、そうか、とシィンは思った。だから剣を持っていて欲しい、ということなのだろう。馬の姿ではなく人の姿でシィンを運ぶつもりで、そうするには両手が塞がってしまうから。
「……わかった」
シィンは頷いたが、その声は自分が思っていたよりもずっと細く小さい。
そのせいだろう。ダンジァは一瞬辛そうに顔を顰めたものの、すぐに、振り切るように表情を引き締める。
図らずも、その精悍な貌を間近で見ることになり、シィンは自分の胸がどきりと大きく鳴ったのを聞く。凍えそうな寒さも、震えるほど怖さも、彼の腕の中ならば和らぐようだ。
だがダンジァが一歩踏み出そうとした時。
その前に、ゆらりとツォが立ち塞がった。
「……無理ですよ」
彼は澱んだ目で、虚な声で、ダンジァに——そしてシィンに言った。
「解毒は無理です。難しい上に時間もない……。そう申し上げましたのに……殿下。諦めの悪い……」
その声の禍々しさに、シィンは思わずぎゅっと身を硬くしてしまう。
怯みたくない——。
そう思うのに、彼が「こう」なってしまった一端は自分にあるのかもしれないという思いが——弱みがあるためだろう。
彼の向けてくる怨嗟を、強く跳ね返すことができない。
だがその時。
「退いてください」
ダンジァが、キッパリと毅然とした声音で言った。
刃を思わせる声音だ。
そっと見れば、彼は射るような眼差しでツォを睨んでいる。視線で彼を斬るような——そんな視線。
普段、ふとした時に彼が覗かせる微かな雄々しさとは比べ物にならない獣性だ。
抑制し、押し殺してはいるものの、騏驥は気の荒い一面も持っているのだと、改めて思い知らされるような、そんな視線。
——双眸。
その迫力に流石に気圧されたのか、ツォが一歩、二歩と下がる。
が、彼は流石に騏驥の扱いに慣れている——せいだろうか。
本心からか、強がりからかはわからないものの、そこで踏みとどまると、「はは……」と軽い笑い声をあげ、ダンジァに向けて薄く笑んでみせた。
「騎士に忠実なのも考えものだな。賢い騏驥なら無駄な努力はしないことだ。そんなことより早く次の騎士を見つけられるよう——」
「余計な世話です」
だがそんなツォの言葉を、ダンジァは一言で断ち切る。
普段の彼からは想像もつかない冷たい声音。
そのにべもない口調にツォは一瞬目を丸くし——次いで顔色を無くしたように青くなり——直後、激昂したように赤くなる。
「っ——!」
だが彼が声を荒らげるより早く、ダンジァが言葉を継いだ。
「自分の行く手を阻めるのはシィン様だけです。先生であっても邪魔はさせません。先生こそ、今後のことをお考えになった方がいいのではないですか。先程の自分の嘶きは、シィン様を探している近衛や衛士に——彼らとともにいる騏驥たちに聞こえたはずです。程なく、ここは包囲されるでしょう」
ダンジァのその言葉に息を呑んだのは、ツォだけでなくシィンもだった。
あの時の、嘶き。あれはシィンに会えた喜びを爆発させただけでなく、捜索している者たちへの報せでもあったのだ。
(なんと……なんと頼もしい……)
あんな時ですら冷静だったダンジァに、シィンは感嘆を禁じ得ない。
今だって、彼は全身に警戒を漲らせているが、言葉遣いはあくまで丁寧だ。だからこそ一層彼の怒りが伝わってくるのだが、冷静さを保っているところは騏驥として素晴らしい特性だ。
やはり——彼を手離せない……。
シィンは、もう何度目になるかわからないその想いを噛み締める。
優れた騏驥——そしてそれだけではない、それ以上の特別な存在——。
0
お気に入りに追加
113
あなたにおすすめの小説
いっぱい命じて〜無自覚SubはヤンキーDomに甘えたい〜
きよひ
BL
無愛想な高一Domヤンキー×Subの自覚がない高三サッカー部員
Normalの諏訪大輝は近頃、謎の体調不良に悩まされていた。
そんな折に出会った金髪の一年生、甘井呂翔。
初めて会った瞬間から甘井呂に惹かれるものがあった諏訪は、Domである彼がPlayする様子を覗き見てしまう。
甘井呂に優しく支配されるSubに自分を重ねて胸を熱くしたことに戸惑う諏訪だが……。
第二性に振り回されながらも、互いだけを求め合うようになる青春の物語。
※現代ベースのDom/Subユニバースの世界観(独自解釈・オリジナル要素あり)
※不良の喧嘩描写、イジメ描写有り
初日は5話更新、翌日からは2話ずつ更新の予定です。
社畜だけど異世界では推し騎士の伴侶になってます⁈
めがねあざらし
BL
気がつくと、そこはゲーム『クレセント・ナイツ』の世界だった。
しかも俺は、推しキャラ・レイ=エヴァンスの“伴侶”になっていて……⁈
記憶喪失の俺に課されたのは、彼と共に“世界を救う鍵”として戦う使命。
しかし、レイとの誓いに隠された真実や、迫りくる敵の陰謀が俺たちを追い詰める――。
異世界で見つけた愛〜推し騎士との奇跡の絆!
推しとの距離が近すぎる、命懸けの異世界ラブファンタジー、ここに開幕!
嫁側男子になんかなりたくない! 絶対に女性のお嫁さんを貰ってみせる!!
棚から現ナマ
BL
リュールが転生した世界は女性が少なく男性同士の結婚が当たりまえ。そのうえ全ての人間には魔力があり、魔力量が少ないと嫁側男子にされてしまう。10歳の誕生日に魔力検査をすると魔力量はレベル3。滅茶苦茶少ない! このままでは嫁側男子にされてしまう。家出してでも嫁側男子になんかなりたくない。それなのにリュールは公爵家の息子だから第2王子のお茶会に婚約者候補として呼ばれてしまう……どうする俺! 魔力量が少ないけど女性と結婚したいと頑張るリュールと、リュールが好きすぎて自分の婚約者にどうしてもしたい第1王子と第2王子のお話。頑張って長編予定。他にも投稿しています。
鬼上司と秘密の同居
なの
BL
恋人に裏切られ弱っていた会社員の小沢 海斗(おざわ かいと)25歳
幼馴染の悠人に助けられ馴染みのBARへ…
そのまま酔い潰れて目が覚めたら鬼上司と呼ばれている浅井 透(あさい とおる)32歳の部屋にいた…
いったい?…どうして?…こうなった?
「お前は俺のそばに居ろ。黙って愛されてればいい」
スパダリ、イケメン鬼上司×裏切られた傷心海斗は幸せを掴むことができるのか…
性描写には※を付けております。
元おっさんの俺、公爵家嫡男に転生~普通にしてるだけなのに、次々と問題が降りかかってくる~
おとら@ 書籍発売中
ファンタジー
アルカディア王国の公爵家嫡男であるアレク(十六歳)はある日突然、前触れもなく前世の記憶を蘇らせる。
どうやら、それまでの自分はグータラ生活を送っていて、ろくでもない評判のようだ。
そんな中、アラフォー社畜だった前世の記憶が蘇り混乱しつつも、今の生活に慣れようとするが……。
その行動は以前とは違く見え、色々と勘違いをされる羽目に。
その結果、様々な女性に迫られることになる。
元婚約者にしてツンデレ王女、専属メイドのお調子者エルフ、決闘を仕掛けてくるクーデレ竜人姫、世話をすることなったドジっ子犬耳娘など……。
「ハーレムは嫌だァァァァ! どうしてこうなった!?」
今日も、そんな彼の悲鳴が響き渡る。
性悪なお嬢様に命令されて泣く泣く恋敵を殺りにいったらヤられました
まりも13
BL
フワフワとした酩酊状態が薄れ、僕は気がつくとパンパンパン、ズチュッと卑猥な音をたてて激しく誰かと交わっていた。
性悪なお嬢様の命令で恋敵を泣く泣く殺りに行ったら逆にヤラれちゃった、ちょっとアホな子の話です。
(ムーンライトノベルにも掲載しています)
完結·助けた犬は騎士団長でした
禅
BL
母を亡くしたクレムは王都を見下ろす丘の森に一人で暮らしていた。
ある日、森の中で傷を負った犬を見つけて介抱する。犬との生活は穏やかで温かく、クレムの孤独を癒していった。
しかし、犬は突然いなくなり、ふたたび孤独な日々に寂しさを覚えていると、城から迎えが現れた。
強引に連れて行かれた王城でクレムの出生の秘密が明かされ……
※完結まで毎日投稿します
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる