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97 攻撃(2) 澱み

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 ダンジァは、思わずジリっと後ろに下がった。

 本来なら、ダンジァの方が圧倒的に有利だ。
 シュウイン自身が「分が悪い」と言っていたように、何しろ手にしている武器の長さがまるで違う。
 体格は同じぐらいか、むしろダンジァの方が少し手足が長いから、シュウインがよほど素早く巧みに動いてダンジァの懐に入れば別だが、そうでなければ長剣を扱うダンジァの方が、当然攻撃にも防御にも勝る。

 しかもダンジァの剣は……。

「美しいね」

 口にしたのは、シュウインだった。
 彼はダンジァが構える剣を見つめながら、口の端を上げて言う。その刃が向けられているのは彼自身なのに、そんなことまるで気にしていない様子で。

「殿下の鞭と揃いで作られたもののうちの一つだと話していたっけ……。素晴らしいなあ。見惚れるほどだ。僕たちはそれを見たこともなかったというのに、きみは易々と手に入れるんだな」

「…………」

「特別な剣だね。美しくて曇りひとつない。それで——わたしを殺す?」

「!」

 声とともに飛び込んで来た身体を交わし、突き出された短剣を切先で弾き返す。
 暗闇の中に、キン! と刃同士が擦れ合う高い金属音が響いた。
 
「きみは剣技も達者だ。何をやらせても上手いな……」

 身を翻して再び間合いをとりながら、シュウインは呟くように言う。
 その顔も声も、見知った彼のそれだ。
 なのに気配はまるで違う。
 以前、王の騏驥たちに絡まれ難癖をつけられたときに向けられていた敵意が緩く感じられるほどの、まるで気配だけでこちらを殺そうとしているかのような昏い悪念……。

「なぜ……」

 ダンジァはシュウインを見据えたまま尋ねた。
 そうしていなければ気圧されて、またジリジリ下がってしまいそうになる。
 滅多に恐怖を感じることはないが、今は全身が過剰なほどに敏感になっている。辺りの空気さえ警戒しているかのように。 

「どうしてこんなことを——」

 斬りかかってきたことだけじゃない。
 王の騏驥の遺体。
 あの騏驥の遺体。

 シュウインは、医館への案内を餌に、そして、あの騏驥を口実にしてダンジァをここへ誘い込んだのだ。
 毒を盛ったと思しきあの騏驥を理由にして。
 にもかかわらず、あの騏驥が既に死んでいたということは……。

 シュウインは一連の事件のことも全て承知で——。

(……彼が……?)

 もしかしたら、一切を企んでいたのは彼ということなのか。
 見つめるダンジァの視線の先で、王の騏驥の一頭は目元だけで笑った。死んだ騏驥と似た顔で。
 
「きみのことが気に入らないから」

 そして聞こえてきた答えは、躊躇いのない声だ。
 あまりに率直な回答に、ダンジァは声をなくす。それがおかしかったのか、シュウインは薄く笑みながら続けた。

「いなくなればいいと思っているから。死ねばいいと思っているから。できればより不名誉な形で」

「なぜ——」

「質問ばかりだ。つまり——きみにはわからないということだよ」

 突くようにして再び踏み込んでくるシュウインの攻撃は、反撃されることも厭わないような、ただただこちらを傷つけようとするだけの、捨て身のそれだ。
 気迫——いや執念だ。おどろおどろしい。粘りつくような執念。恨み。
 有利なはずなのに、ダンジァは防戦一方になる。

「……きみは、わたしの名前すら覚えてなかった」

 繰り返し突くように短剣を振るっていた手が、声とともに、一転、裂くような動きに変わる。受け流せてはいるものの執拗に斬りつけられ、そのしつこさと聞こえてきた言葉の両方にダンジァは眉を寄せる。

 名前?
 それで——それだけでこんな——?

 思いが顔に出たのだろう。シュウインは、ふ、と微かに鼻を鳴らした。

「そんなことで、と思うんだろうな。そんな些細なことでどうして——たかがそれだけでなぜ——」

 でも恨みなんてそんなものだろう?

「っ……!!」

 切先が、微かに腕を掠めた。
 ダンジァが大きく下がると、シュウインは面白そうに笑う。

「こっちも最低限の剣技は習得してる。斬られたくないならさっさと斬ればいい。その美しい剣に斬られるなら、きみを苦しめた甲斐があったというものだ。殿下から下賜された特別な剣で最初に殺すのが同じ騏驥だなんて、一生忘れられなくなるだろう?」

「…………」

 ダンジァはいっそう眉を寄せた。
 そう——。そうだ。
 ダンジァが絶対に有利でありながら、一気に形勢を決められないのはまさにそのためだった。
 どうしても、彼を斬ることに躊躇いがあるのだ。護身のために剣を振るうことはできても、同じ騏驥をこの手で傷つけることに強い抵抗感がある。
 これでもかというほど悪意を向けられ、敵意を向けられ、向こうはこちらを傷つけ——殺そうとしているのに、だ。  

 そんなダンジァに、シュウインは笑いながら斬り込んでくる。
 本気で。充分にこちらを殺せる剣技で。
 
「行儀がいいのも考えものだな。そういうところが——苛立たされる」

「シュウインさん——!」

 こうなってしまっては無理だろうと思いながらも、ダンジァは止めてほしくてシュウインの名を叫ぶ。
 今は斬ることを躊躇っている。自分は剣を使うことを躊躇っている。けれど、いずれ……。

 そんなことはしたくないのに。

 だがシュウインはそんなダンジァの願いを嗤うように攻撃の手を緩めない。

「……きみが来るまで……僕は育成厩舎でそれなりに『いい騏驥』だった……。騏驥になって精神的に不安定になることもあったけれど、褒められ励まされてなんとか踏みとどまって、『いい騏驥』になろうと努めてた。なのに——」

 独り言のように唄うように言葉を紡ぎながら、繰り返し斬りつけてくる。

「きみが来て、一日も経たずに全部が変わった。僕は——きみ以外の騏驥は、きみと比べられるか、きみへの褒め言葉を聞かされるだけの存在になった。……端から『大したことのない奴』はそれでよかっただろう。でも僕は——」

 思い出すように、シュウインは顔を歪める。息が荒い。

「しかもきみは、そんなふうに褒めそやされながらも、賛辞なんかどこ吹く風、といった様子だ。きみがあのとき自惚れて傲慢になったなら、まだその時に憎めただろうに……きみはまったく『そのまま』だった……。当たり前のことを言われてるみたいにね。僕が欲しくて堪らなかったものを横から攫っておきながら……」

 ギリ……と奥歯を噛み締めた音がする。

「その後、きみはあっという間に馴致を終えて育成厩舎からいなくなって、これでやっと元に戻ったと安堵したよ。でも実際はそれからも地獄だった。きみのように褒められたい。きみのように評価されたい——そんなことばかり考えてた。もらえない賛辞を必死で欲しがって……結果はどうなったか? 王の騏驥だ。従順だから王の騏驥。……ここに閉じ込められる生活になった……」

「それでも——それならせめてここで生きがいを見つけようとしてた。城にいれば、もうきみに会うこともない。比べられることもない、欲しいものを攫われることもない——そう思って……。なのに——」

 なのに。

「またきみは現れた……」

 噛み締めるようなその声音に、ダンジァは彼と再会したときのことを思い出していた。
 王の騏驥たちと揉めて、彼らの一人に怪我をさせて動揺していた自分を宥めてくれようとしていたシュウイン。
 穏やかな言動は、こちらを安堵させてくれるものだった。
 なのにあの時からずっと、彼は澱んだ想いを胸の中に潜めていたというのか。

 ——ずっと。
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