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92 隔離。その後
しおりを挟む窓の向こうの陽の色が次第に変わっていくのを漫然と見つめると、ダンジァははぁっと長く息をついた。
もう何度目かのため息だ。数える気も失せるほどの、数え切れないほどの。
待機場所を出てこの部屋に移されてから、どのくらい経っただろうか。
尋ねる相手もいないし、時を計るものも置かれていないから、外の気配から窺うしかないが、それなりに時間は過ぎているはずだ。
大会ももう終盤……もしかしたら、もう閉会してしまっているかもしれない。
自分が出るはずだった本選も、既に終わってしまっているだろう。
自分とシィンが出るはずだった——彼を背にして、彼のために駆けるつもりだった競走も。
出走すら叶わなかった……。
それを思うと無念さが込み上げてくる。優勝して、シィンの期待に応えるために今日まで頑張ってきたのに……。
——残念だ。
(いや……)
しかしそう思った直後、ダンジァは頭を振った。
残念さは確かにある。
けれど、それはシィンの無事に比べれば取るに足らないことだ。彼とともに出走したかった気持ちは本当だが、今はそれよりも彼に少しでも早く回復してほしい気持ちの方が大きい。大きく、そして強い。
大会への出走は、取り返そうと思ば取り返せるものだ。だがシィンは……。
(あの方の代わりになる者などいない)
自分にとっては。
ダンジァは部屋の長椅子に腰を下ろしたまま、両拳をぎゅっと握りしめた。
連れてこられた部屋は、城の中でも一際静かな一角にある、離れの一つのような建物の一室だった。
疑われている身で連れて行かれるのだから、一体どんな所へ……と警戒していたのだが(もしかしたら牢ではないかと内心ドキドキしていた)、静かすぎる事を除けば居心地のいい部屋だった。もしかしたら、この静けさを好む者もいるかもしれない、と思うぐらいに。
部屋の調度も落ち着いた味わいのある趣味の良いものばかりで、ひょっとしたら、忍んでやってきた客人をもてなすような場所なのでは、とすら思ってしまうほどだ。
他に人の気配はなく、当然大会の様子なども伺えず(なにしろ歓声すら聞こえないのだ)、今、何がどうなっているのかさっぱりわからない状況であることは不安だったけれど、食べ物も飲み物も十分にあり、軟禁は軟禁だが不自由さはなかった。
おそらく、ダンジァたちが移されてくるまでに準備されたのだろう。
疑われていることは悲しいが、騏驥に対してこの扱いは、相当に配慮してくれていることには間違いない。
部屋の扉の外には監視のためか数人の衛士がいるようだが、彼らは本当に「ダンジァが外に出ないように見張っているだけ」のようで、彼らから何か問い詰められたりもされていない。
ツェンリェンは、ダンジァやユェン以外からも、より詳しく話を聞くつもりだと言っていた。
それに、彼らが撒いたという監視用の魔法石の回収や、そこに記録された映像の精査もあるだろうから、改めて問いただされるとすればその後、という事なのだろう。
部屋の環境は悪くないとはいえ、そんなふうにジリジリと真綿で首を絞められているような時間を過ごすしかないと言うのは、なんとも居心地が悪い。
ユェンのことも気になる。彼だけ酷く問い詰められたりしていないだろうか。
ことが薬となれば、「使った」「使おうとした」騏驥が責められるのはもちろんだが、時にはそれ以上に調教師が責めを受けることもある。
管理不行届——。
なにしろ調教師の方が楽に薬を手に入れられるから、その分責任を問われることになってしまうのだ。
(もしかしたら……サイ師にもご迷惑が……?)
ダンジァの出走を見守ってくれた後は、またスタンドでの観戦に戻っていった師。だからこの件では無関係のはずだが、果たしてウェンライやツェンリェンはそう考えて見逃してくれているだろうか。
考えると、また長いため息が溢れる。
おとなしくしているしかないとはいえ、待っているだけなのはもどかしい。
風の流れを描くかのように切り取られた窓からは、陽が落ちる寸前の、さらに赤くなった光が射し込んで来ている。
ひょっとして、このまま夜を迎えるのだろうか……それともまさか、一晩ここに留め置かれるのだろうか……。
(今日は、大変なことがあり過ぎた……)
いいことも——とても悪いことも。
翻弄された一日だった。
今になって改めて心身の疲労を感じながら、ダンジァは思う。
⭐︎ ⭐︎ ⭐︎ ⭐︎ ⭐︎ ⭐︎ ⭐︎ ⭐︎ ⭐︎ ⭐︎ ⭐︎ ⭐︎
そうして、またどのくらい過ぎただろうか。
何もできない身ながら、せめて……とダンジァがシィンの回復を願っているうち、あたりはもう暗くなり、夜と言っていい時刻になった頃。
不意に、外から、パタパタパタパタ……と誰かが軽く走ってくるような音が聞こえる。
直後、
「……ダンジァ! ダンジァ!」
扉が叩かれ、その向こうからユェンの声が届く。
驚いて立ち上がり、扉を開く。
次の瞬間、ダンジァが「どうして」と尋ねるより早く、安堵の表情を浮かべたユェンが飛び込むようにして部屋へ転がり込んできた。
よほど急いでいたからか、何もないところで躓き、「うわっ」と声をあげて転びそうになった身体を支えてやると、彼は「ごめんごめん」と謝りつつも、満面の笑みでダンジァを見上げて言った。
「出られるよ、ダンジァ! 厩舎に戻ろう!」
「!?」
いつもより早口で、そして一言聞いてわかるほど声が弾んでいるのは、彼も辛い軟禁から解放されたためだろうと言うことはわかる。
わかる、が……。
なぜ、こんなに急に?
色々な疑問が一気に押し寄せ、戸惑うダンジァに、ユェンは笑顔で説明してくれた。
「どうやら、別に疑わしい者が見つかったとか、見つかりそうとからしいんだよ。それで、僕たちはひとまず解放、って事みたいだ」
「…………」
「残念ながら、まだ完全に自由の身、ってわけにはいかないみたいだけど、厩舎には帰れるってさ。サイ先生が交渉してくれたようなんだ。『自分が責任を持って見張るから、二人は厩舎に戻してもらいたい』——って。あ、『見張る』って言っても、もちろん先生は僕たちのことを信じてくれてるよ。ただ、言葉の綾っていうか……」
「サイ先生が……」
ユェンの言葉に、やはり師に迷惑をかけてしまった、とダンジァは顔を顰める。
他の調教師たちのみならず、騎士たちからも尊敬されている師だから、交渉に乗り出してくれたならウェンライたちも応じずにはいられなかったのだろう。
けれどこのことで、師の経歴に傷がつくようなことがなければいいけれど……。
それを心配すると、手放しで喜べない。
それに——。
「別に疑わしい……」
ユェンの話は全て聞いていたものの、気になったのはその部分だ。ダンジァが尋ねると、ユェンは「うん」と頷いた。
「まあ、詳しくは教えてもらえてないんだけど……。部屋にきた伝令が教えてくれたんだ。あ……きみの部屋も綺麗だね。よかった。僕が連れていかれてた部屋も、割と静かな綺麗なところで——」
話すべき事を話すと、ダンジァの状況を確認してくれるようにしながらユェンは言う。ダンジァが彼を心配していたように、彼も気にかけてくれていたのだろう。
やはりいい人だ、とダンジァは改めて思う。
だが。
そんなユェンの気遣いは、ダンジァの耳にはろくに入ってこなかった。
それよりも何よりも、「別に疑わしい者がいるらしい」という、さっきの言葉でいっぱいになっている。
誰が。
一体誰があんなことを?
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