上 下
92 / 157

90 疑(2)

しおりを挟む


「……」

 ダンジァは、じっとツェンリェンを見つめたそのまま、静かに立ち上がる。
 距離が近いせいか、それとも帯剣しているせいか、その途端、衛士がツェンリェンを庇おうと前に出ようとする。が、ツェンリェンはそれを留めると、苦笑し、「下がれ」というように手を振った。

「彼がわたしに刃を向けることはない。大丈夫だ」

「ですが」

「この騏驥は賢い。嫌疑をかけられたまま死にたくはないはずだ。何事も起こらぬ、そう心配するな」

「…………」

「それとも、わたしの剣技は騏驥に劣ると?」

「いえ……そのような」

 どんな言葉より、どんな声より最後に薄く笑みを浮かべながら言った一言が一番恐ろしい。
 ダンジァがそう感じたように、衛士もまたツェンリェンのその言葉に「これ以上は」と察したのだろう。言われるまま、医師とともにその場から離れる。
 去り際、ダンジァを睨むことは忘れなかったけれど。

 そして部屋の端からは、なお言い募るユェンの声が聞こえてくる。
 彼も状況を説明しているようだが、果たしてそれでウェンライが納得してくれるだろうか……。
 不安になっていると、

「すぐに解放——というわけにはいかないだろうな」

 そんなダンジァの胸の中を見透かしたように、ツェンリェンが言った。
 目が合うと、彼は先刻までよりはいくらか柔らかな——しかし相変わらずの険しい、警戒心を保ったままの表情で言う。

 残念ながら、ツェンリェンにとって今のダンジァは、仮に過失であったにせよシィンを毒の危険に晒した騏驥だ。
 しかも、そんな過失を犯す原因となったのは——毒になる薬を使ったのは、よりによって、その薬を用いて自身の能力を増すため——。禁止されているにも関わらず、薬物を使って結果を出そうとしていたため、という最悪の理由だと思われている。

 誤解とはいえ、その誤解を解くことができていない以上、彼の厳しい表情や態度は仕方のない事なのだろう。
 言い分をろくに聞いてもらえないことも悲しいが、騎士と騏驥という立場の違いでは仕方がない事なのだろう。むしろ、この状況は「まだいい方」なのかもしれない。
 思い返せば、さっき衛士がなだれ込んできた時は有無を言わさず捕らえられるところだったのだから。

(でも)

 やっていないものはやっていない。
 一体どうすればわかってもらえるのか……。

 ぐるぐると考えていると、
   
「捕らえるような真似はせぬ」

 こちらもまた、ウェンライとユェンの様子を見ていたらしいツェンリェンが、ダンジァに視線を戻して言った。

「それが殿下の御意向だからな。それには従う。が……ことがことだけに、”このまま”というわけにもいかぬ」

「……自分は……どう、なるのでしょうか」

 声を押し出すようにして、ダンジァは尋ねる。ツェンリェンは再びチラリとユェンたちの方に目をやり、改めて続けた。

「今準備させているが、こちらの定めた別所に、それぞれ別々に待機してもらうことになる。その後、もう少し詳しく話を聞くことになるだろう」

「…………」

 要は軟禁だ。捕らえられないとはいえ、行動が制限されることには変わりない。
 しかもユェンと別々に、ということは口裏合わせができないように、ということだろう。だがそもそも、合わせる口裏もなにもない。
 ——それなのに。

 黙ったまま、ダンジァはツェンリェンを見つめる。——否、睨む。
 だが彼は顔色ひとつ変えない。
 騏驥の無礼な態度に怒るわけでもなく叱るわけでもないのは、ダンジァはまだシィンの騏驥だと思っているからだろうか。
 それとも……その気になれば怒ったり叱ったりするまでもなく、即座に”どうにでもできる”自信があるからだろうか。

 ダンジァはツェンリェンを見つめたまま、ゆっくりと息をつく。
 視線に込めていた圧を和らげる。

 誤解は解きたい。すぐにでも。けれどそのためにも、ここで彼と敵対することはない。しても、いいことはない。
 落ち着け。
 
 そう自分に言い聞かせていると、

「……やはりお前は賢い」

 ツェンリェンが微かに口の端を上げながら言う。
 はっと息を呑んだダンジァに、彼は続ける。

「お前たちから話を聞くのと前後して、お前たち以外の者からも、より詳しく話を聞く。今のところはこの部屋にいたものや出入りしたものたちに、急ぎ当時の状況を訊き込んでいる程度だが、そこで少しでも疑わしいと思われた者たちには、再度詳しく尋ねることになる。例えばそう——この部屋に出入りしていた王の騏驥たちなどについてはな」

「!?」

 思いがけない言葉に、ダンジァは瞠目する。
 まさかそんな名前が出てくるとは思ってもいなかった。
 驚くダンジァに、ツェンリェンはさらに続ける。
 
「言っただろう。お前は愚かではないはずだ、と。ならばお前は陥れられた可能性がある。となれば、動機のある者を探る必要があるだろう。ただ——王の騏驥は立場的にも性質的にも殿下に危害を加えるとは思えぬが……。いずれにせよ、それもこれも、『彼』が関わっていなければ、という前提だが」

 言いながら、ツェンリェンはユェンを見る。
 ダンジァはぎゅっと唇を噛んだ。
 
 ユェンは絶対にそんなことはしないと信じているけれど、確かに、もし——もしダンジァの側で”何か”を企てられるとすれば彼になるのだろう。

 調教師なら、調教師になるための試験に薬や魔術に関する科目があるらしいから、その効能や使用法やタイミングについても詳しいだろう。騏驥のための薬を手に入れることも容易い。
 ユェンがどのぐらい詳しいのかはわからないが、調教師によっては、医師なみに薬を揃えていたり、さらには調合までする者もいるという話だ。
 それはもちろん、良い方向に考えれば何より騏驥のためだ。
 普段から騏驥の状態に気を配り、早期に心身のケアをすれば騏驥は大きく調子を崩さずに済むし、そうなれば活躍できるしいい騎士にも乗ってもらえる。

 だが。
 一方で「そうではない」者もいるらしいという話も聞くから厄介なのだ。
 騏驥は、調教師から与えられるものについては、ほぼ無条件に受け入れる。
 食べ物も、飲み物も薬も全てだ。
 普段厩舎で生活している騏驥は、日々世話してくれている厩務員やその管理者である調教師には絶対の信頼を置いているためだ。
 騏驥となり、親や友人たちから引き離されて生きていかなければならなくなった者たちにとっては、新たな家族や仲間のようなものだ。
 
 ダンジァの正式な調教師はサイ師だが、ユェンもサイ師の元で修行し始めて——つまりダンジァとも顔を合わせるようになって、それなりに日が経っている。
 同じように師だと思っているし、サイ師より若い分、ある意味、より親しかったと言えるかもしれない。
 
 だから彼がそんなことをしたとは思いたくないし、彼はそんなことをしない、と信じている。
 
 でも、もし。
 ダンジァの厩務員を任され、この大会に参加したことで、大きなプレッシャーを感じていたとしたら……。
 今回の大会に出走するダンジァは、名伯楽でありながら、それまで大会には騏驥を出走させなかったサイ師が初めて送り出した騏驥だということは、周知の事実だ。しかも、乗るのはシィン。——王子だ。
 当日、世話を任された彼が「勝たせなければ」と気負い過ぎていたとしたら……。 

しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

いっぱい命じて〜無自覚SubはヤンキーDomに甘えたい〜

きよひ
BL
無愛想な高一Domヤンキー×Subの自覚がない高三サッカー部員 Normalの諏訪大輝は近頃、謎の体調不良に悩まされていた。 そんな折に出会った金髪の一年生、甘井呂翔。 初めて会った瞬間から甘井呂に惹かれるものがあった諏訪は、Domである彼がPlayする様子を覗き見てしまう。 甘井呂に優しく支配されるSubに自分を重ねて胸を熱くしたことに戸惑う諏訪だが……。 第二性に振り回されながらも、互いだけを求め合うようになる青春の物語。 ※現代ベースのDom/Subユニバースの世界観(独自解釈・オリジナル要素あり) ※不良の喧嘩描写、イジメ描写有り 初日は5話更新、翌日からは2話ずつ更新の予定です。

社畜だけど異世界では推し騎士の伴侶になってます⁈

めがねあざらし
BL
気がつくと、そこはゲーム『クレセント・ナイツ』の世界だった。 しかも俺は、推しキャラ・レイ=エヴァンスの“伴侶”になっていて……⁈ 記憶喪失の俺に課されたのは、彼と共に“世界を救う鍵”として戦う使命。 しかし、レイとの誓いに隠された真実や、迫りくる敵の陰謀が俺たちを追い詰める――。 異世界で見つけた愛〜推し騎士との奇跡の絆! 推しとの距離が近すぎる、命懸けの異世界ラブファンタジー、ここに開幕!

鬼上司と秘密の同居

なの
BL
恋人に裏切られ弱っていた会社員の小沢 海斗(おざわ かいと)25歳 幼馴染の悠人に助けられ馴染みのBARへ… そのまま酔い潰れて目が覚めたら鬼上司と呼ばれている浅井 透(あさい とおる)32歳の部屋にいた… いったい?…どうして?…こうなった? 「お前は俺のそばに居ろ。黙って愛されてればいい」 スパダリ、イケメン鬼上司×裏切られた傷心海斗は幸せを掴むことができるのか… 性描写には※を付けております。

嫁側男子になんかなりたくない! 絶対に女性のお嫁さんを貰ってみせる!!

棚から現ナマ
BL
リュールが転生した世界は女性が少なく男性同士の結婚が当たりまえ。そのうえ全ての人間には魔力があり、魔力量が少ないと嫁側男子にされてしまう。10歳の誕生日に魔力検査をすると魔力量はレベル3。滅茶苦茶少ない! このままでは嫁側男子にされてしまう。家出してでも嫁側男子になんかなりたくない。それなのにリュールは公爵家の息子だから第2王子のお茶会に婚約者候補として呼ばれてしまう……どうする俺! 魔力量が少ないけど女性と結婚したいと頑張るリュールと、リュールが好きすぎて自分の婚約者にどうしてもしたい第1王子と第2王子のお話。頑張って長編予定。他にも投稿しています。

元おっさんの俺、公爵家嫡男に転生~普通にしてるだけなのに、次々と問題が降りかかってくる~

おとら@ 書籍発売中
ファンタジー
アルカディア王国の公爵家嫡男であるアレク(十六歳)はある日突然、前触れもなく前世の記憶を蘇らせる。 どうやら、それまでの自分はグータラ生活を送っていて、ろくでもない評判のようだ。 そんな中、アラフォー社畜だった前世の記憶が蘇り混乱しつつも、今の生活に慣れようとするが……。 その行動は以前とは違く見え、色々と勘違いをされる羽目に。 その結果、様々な女性に迫られることになる。 元婚約者にしてツンデレ王女、専属メイドのお調子者エルフ、決闘を仕掛けてくるクーデレ竜人姫、世話をすることなったドジっ子犬耳娘など……。 「ハーレムは嫌だァァァァ! どうしてこうなった!?」 今日も、そんな彼の悲鳴が響き渡る。

性悪なお嬢様に命令されて泣く泣く恋敵を殺りにいったらヤられました

まりも13
BL
フワフワとした酩酊状態が薄れ、僕は気がつくとパンパンパン、ズチュッと卑猥な音をたてて激しく誰かと交わっていた。 性悪なお嬢様の命令で恋敵を泣く泣く殺りに行ったら逆にヤラれちゃった、ちょっとアホな子の話です。 (ムーンライトノベルにも掲載しています)

完結·助けた犬は騎士団長でした

BL
母を亡くしたクレムは王都を見下ろす丘の森に一人で暮らしていた。 ある日、森の中で傷を負った犬を見つけて介抱する。犬との生活は穏やかで温かく、クレムの孤独を癒していった。 しかし、犬は突然いなくなり、ふたたび孤独な日々に寂しさを覚えていると、城から迎えが現れた。 強引に連れて行かれた王城でクレムの出生の秘密が明かされ…… ※完結まで毎日投稿します

幽閉王子は最強皇子に包まれる

皇洵璃音
BL
魔法使いであるせいで幼少期に幽閉された第三王子のアレクセイ。それから年数が経過し、ある日祖国は滅ぼされてしまう。毛布に包まっていたら、敵の帝国第二皇子のレイナードにより連行されてしまう。処刑場にて皇帝から二つの選択肢を提示されたのだが、二つ目の内容は「レイナードの花嫁になること」だった。初めて人から求められたこともあり、花嫁になることを承諾する。素直で元気いっぱいなド直球第二皇子×愛されることに慣れていない治癒魔法使いの第三王子の恋愛物語。 表紙担当者:白す(しらす)様に描いて頂きました。

処理中です...