まるで生まれる前から決まっていたかのように【本編完結・12/21番外完結】

有泉

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73 偶発(2)

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 シィンはその扇の向こうの面差しがどれほど麗しいかを既に知っているのだし、少しぐらいは恥ずかしさを堪えて顔を見せても……と思うのだが、今の様子ではそれはすぐには叶わなさそうだ。

 仕方なく、ツェンリェンからの賛辞に応える形で返事をする。

「思っていた以上にいい結果を出せたことは喜ばしいことだ。が……目標はあくまでこの距離での優勝。気は抜けぬ。本選ではもう一つの組から勝ち上がってきた者たちとも一緒に走ることになるし、マークされることにもなるだろう。油断せず、引き続き気を引き締めておかねば」

「なるほど。では——騏驥にもそうしたお言葉をかけるために、わざわざここへ?」

「っ……ま、まあそんなようなものだ。激励とか、その、色々と。別に『わざわざ』と言うほどの手間ではないのだし……いいだろう、それぐらい」

 まさか「ダンジァの顔を見て褒めまくるためにここで待っているのだ」とは言えず(別にツェンリェン相手なら言っても問題になることはないだろうが、素直に言うのはなんだか恥ずかしいのだ)、シィンは言葉を選んで言う。

 と、ツェンリェンは目を細めて「はい」と頷いた。
 その眼差しは温かく、王子の近衛という立場とは少し違う——それよりももっと近しい、年上の友人としての笑みだ。彼は続けた。

「もちろんです。むしろ、大きな大会では、そうして騎士から働きかけることが多ければ多いほど、騏驥も力を発揮できることでしょう。誰が何をするよりも、騎士の言動こそが騏驥たちの安心や自信に繋がることなのですから」

「ん……」

 シィンも頷く。
 ユーファという少し特別な騏驥を愛騏にしているツェンリェンは、こうした大会に出ることはほとんどない。それでも優れた騎士として知られ、周囲からの信頼も篤い彼にそう言われると、自分の行動は間違っていないのだとホッとできる。

 しかしそう思った次の瞬間、

「早く戻ってくるといいですね。早く顔が見たいでしょう」
 
 さらりと言われたその言葉に、シィンは思わず「ん」と頷いてしまい、直後、真っ赤になる。
 ひっかけられた、睨むと、ツェンリェンは「そんな顔をなさらないでください」と苦笑した。

「いいではありませんか。騏驥思いの騎士は良い騎士です。——でしょう? ユェン先生」

「え!?」

 急に話を振られ、しかもその相手がツェンリェンで、しかも「先生」と呼ばれて(調教師なので決しておかしくはないのだが)、ユェンは戸惑いと狼狽に目を白黒させる。咄嗟に言葉が返せずあわあわしている彼より早く、シィンが声を上げた。

「っ……こ、この話はもういいだろう! 終わりだ! いいからもう喋るな! そ——それよりツェンリェン、お前の方はちゃんと仕事をしているのか!?  調子に乗ってフラフラと遊びまわっているだけでは——」

「とんでもない」

 シィンの剣幕にも動じず、ツェンリェンは軽く肩を竦めて受け流す。そして大仰なほどに真面目な顔で応えた。

「きちんと務めております。この通り——抜かりなく。もうほとんどのところは見て回りました。彼女にもきっと満足してもらえたのではないかと」

「…………」

 そうなのか?
 シィンは眉を寄せてツェンリェンを見る。彼は相変わらず真面目ぶった顔で「もちろんです」というように頷く。
 その顔をしばし見つめ、シィンはツェンリェンの傍で未だ顔を隠している美人に視線を移す。

「……そうなのか?」

 より深く——声音を一つ落として尋ねると、その声が誰に向けられたものなのか察したのだろう。扇を持つ手が、ピクリと震える。

 そろそろ一言ぐらい話してもいいだろう。

 そんな意を込め、じっと見つめたまま答えを待つ。ツェンリェンも流石に口を挟む気はないようだ。

 と——。

 その美人は扇で顔を隠したまま、静かにシィンに身を寄せてくる。
 ツェンリェンに聞かれたくないのだろうか?
 鼻先を甘い香りが掠める。
 そしてその佳人はシィンの耳元に唇を寄せると、

「————」

 ぽそりと呟く。
 形のいい唇から溢れたその言葉に、シィンは思わず笑ってしまった。

 声をあげて笑ってしまうと、ツェンリェンは流石に訝しそうに眉を寄せる。
 次いで、まるで何を言ったのか問いただそうとするかのように、その美人を自分の方に振り向かせようとした寸前——。
  
「——ダンジァ」

 入り口から目隠しするようにある柱の方を見ながら、そう声を上げた。

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