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72 偶発
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待機場所に戻ろうとしたダンジァだったが、その後も、数歩歩くたびに周囲から声をかけられ、終いには顔を隠すようにして歩かなければならなかった。
返事が面倒なわけではないが、まだ予選のうちからそう誉められては、段々と恥ずかしいような気持ちになってきてしまうのだ。
それに、言う方にそんなつもりはないのだろうが、「本選はもっとすごいのを期待してる」と言われると、なんとなく重圧にも感じてしまいそうになる。
必要以上にプレッシャーがかかることはなるべく避けたいと言うのが正直な気持ちだった。
とはいえ、声をかけてくれた面々の中には、ひときわ世話になった人たちもいた。
城での調教の際に色々と面倒を見てくれたツォ師と、同じように何くれとなくダンジァを気遣ってくれていたシュウインだ。
この大会には王の騏驥たちも出ているため、彼らのケアも忙しいだろうに、わざわざダンジァを探して「おめでとう」を言いにきてくれたようだ。その心遣いがダンジァには嬉しかった。
そして彼らと取り留めのないやりとりを交わして別れ、やっと今、ダンジァはなんとか待機場所にしていた部屋の前まで戻ってきたのだった。
改めてふうっと息をつく。
予選は通過できたとはいえ、大事なのは当然この後の本選だ。
ユェンが先に戻っているはずだから、予選レースを見てくれていただろう彼から客観的な感想を聞いて、本選のための参考にしつつ、疲れを取りたい。
気持ちが張っているからかあまりお腹は空いていないけれど、体力回復のためにはやはり何か軽く食べておいた方がいいかもしれない。
(その辺りもユェンさんと相談して……)
思いながら、ダンジァは部屋の奥へ足を進める。
相変わらず騏驥や関係者がちらほら居るが、午前の予選が終わって騏驥の半分ほどはもうこの後のレースが無くなったためか、部屋の中は心なしかさっきまでよりも人が少なくなっている。
大会の全てが終わるまで、騏驥たちはこのエリアを出ることができないから、おそらくここではない場所に居場所を移したのだろう。
他の騏驥たちと語りあったりレースを見たりしているのかもしれないが、少し前までは同じように勝利を目指して準備をしていた仲間が減っていると思うと、寂しいような気もする。
とは言え、それもダンジァが予選を通過したからこそ思えることだ。
もし通過できずに負けていたら、自分もきっとここにはいられず寂しく過ごしていたかもしれない。
それを思うと、万全の状態で自分を送り出してくれた師やユェン、そして誰よりもシィンに改めて感謝の気持ちが湧いてくる。
(そういえば、殿下にはきちんとお礼を申し上げられていない……)
幾度も労りの慰撫を受けて感激したが、思い返してみればこちらからのお礼はまだ伝えられていない。ダンジァが人の姿に戻ったのは、シィンが下馬してしばらく経ってからだったからだ。
それがレース後の規則のようだから仕方がないが、できれば顔を見てお礼を言いたかった。予選を通過しただけで大袈裟だと嗜められるかもしれないが、それでも。
(本選の前に、伝える機会があればいいのだけれど……)
彼がまたここに来てくれればそれもできるだろうが……二度目を期待するのは贅沢というものだろう。
そう思いつつ、ダンジァは部屋の奥の奥、さっきまで待機していた場所に近づく。
とその時。
「————————」
軽やかな笑い声混じりに、聞き覚えのある声がした。
(えっ)
思わず息が止まる。
まさか。
まさか、シィンが!?
ダンジァは戸惑いながらも、ついつい急ぎ足になる。
もしかして、彼がここに?
想像すると、一気に胸が高鳴る。駆け出しそうになって、水を運んでいた騏驥と危うくぶつかりそうになる。気持ちが逸って、足がもつれそうだ。
しかし、ドキドキしながら大きな柱を回り込み、向こう側を——待機場所を覗いたとき。
その目に飛び込んできた想像もしていなかった光景に、ダンジァはびくりと足を止めてしまった。
そこでは、シィンと、少し前に見たあの美女とが——ツェンリェンが連れていたあの美女とが、いかにも仲睦まじい様子で、扇の陰で顔を寄せ合うようにして話していたのだ。
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「殿下、予選通過おめでとうございます。まさかこちらにいらっしゃったとは」
軽やかな声を上げ、全身から「楽しいです」という気配を漂わせて近づいてくるツェンリェンに、シィンはやれやれと苦笑した。
言葉とその笑みだけを取り上げれば、「主君の勝利を祝う臣下の図」だろう。だが、彼の笑顔も弾むような声も決してそれが理由ではないことを、シィンはとてもよく知っている。
もちろん、シィンの勝利を——ダンジァの見事な走りを喜んでいない訳ではないだろう。彼も近臣の一人として、ことの成り行きを気にしてくれていたから。
しかし——。
それはそれ、今は今、だ。
彼がいつも以上に機嫌よく、いつになく浮き足立っている理由は他でもない。
その腕から片時も離そうとしない、傍の美人のせいだ。
今も彼は、その美人が羞恥からかそれとなくそれとなく身を捩って彼の腕から逃れようとしているにも関わらず、それを許そうとはしない。
端から見ている限りでは、決して無理強いしているようには見えないのに、腕の中から逃さない技術(?)はさすがと言うべきなのか執念ゆえと言うべきなのか。
何にせよ、彼は一瞬たりとも離さない様子でその麗人を腕に抱き、ゆえに今もなお、喜色満面であるのだった。
そんなツェンリェンと対照的に、連れられている美人はといえばさっきから一言も言葉を発しない。その事情はシィンも承知していることなので別に良いのだが、ツェンリェンの強引さに憤っているのか、それとも他にも人がいる部屋で必要以上にくっつかれて恥ずかしさが増しているからなのか、今や顔さえ見せようとしない始末だ。
そのあまりに対照的な様子に、シィンは苦笑を深める。
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