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65 かの人を乗せて駆けるために(2)

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 もし間に合わなければ、その時は仕方がない。
 時間に間に合うように馬の姿に変わり、鞍を着けてもらい、シィンがやってくるのを静かに待つだけだ。
 
 だが、まだサイ師も来ていない。ダンジァがそう判断している通り、時間にはまだ余裕があるということだ。そうそう急いで馬の姿に変わることはない。

 馬の姿になると「変われない」という危険性は無くなるが、代わりに色々なことに対して敏感になるせいで、それはそれで色々と大変なのだ。
 人のときより多くのものが見えて、多くのものが耳に入る。そのせいで、騏驥によっては気持ちが昂りすぎて、レースの前に疲れてしまうものもいるから。

 ダンジァは手足の感覚、感触を幾度も確かめて問題ないことを確信すると、改めてユェンを見つめる。そして言った。

「大丈夫です。安心してください。変化のタイミングについては、ちゃんと考えていますから」

「…………」

「ユェンさんに迷惑をかけるようなことはしません」

 と、ユェンはハッとしたように息を呑み、直後、どことなく気まずそうな顔を見せる。自分の態度がダンジァを急かすようなそれだったと思ったのだろう。
 彼は苦笑しながら「ん」と頷いた。

「そうだね。きみならそういう判断もちゃんとできてるよね……。なんか、こっちばっかり焦っちゃって……ごめん」

「謝らないでください。気にしてもらえているのは助かります。ユェンさんがそうして時間や周囲を気にしてくれているから、自分は自分のことだけ考えていられるので」

 ダンジァが言うと、ユェンはほっとした顔を見せつつも、苦笑を深めた。

「そう言ってもらえると報われるよ。でも、なんだかこれじゃどっちがどっちの面倒を見てるかわからないな」

 自身もまた初めて大会に参加するユェンは、そう言って笑う。
 直後、じっとダンジァをを見つめ返して続けた。
 
「たださ、迷惑とかはいいんだよ。そんなことは気にしなくていい。きみの世話をしたり準備をしたりするのは、全部僕にとって勉強だし、やれて光栄だと思ってるからね。こんな機会、なかなかないから。ただきみが、アクシデントで出走できなくなることだけは避けたいからさ。ずっと頑張ってたこと、知ってるから」

 噛み締めるように言うその言葉は、素朴で温かいものだ。
 ダンジァがふっと笑みを浮かべたとき。

「あ」

 そのユェンが声あげる。
 続けて挨拶するように頭を下げる様子を見て、ダンジァが振り返ると、サイ師がのんびりとした足取りで近づいてくるのが見える。
 目が合うと軽く手を上げる師に、ダンジァも頭を下げる。
 すると、

「なんじゃ、まだその姿か」

 すぐ側までやって来た師は楽しそうに笑いながら言う。
 気がつけば、視界に入る騏驥たちは全員が馬の姿に変わっている。
 それどころか、既に鞍を着け終わっている者もいるから、彼らに比べれば、ダンジァは「用意が遅れている」と言えるだろう。
 しかし師の意見は違うようだ。

「余裕があるのぉ。いいことじゃ」

 他の騏驥たちを刺激しないように小声ではあったが、声や表情はいかにも愉快そうだ。ダンジァは苦笑しながら「そういうわけではないのですが……」と応えた。

「馬の姿になることには問題ないと思われるので、もう少しこのままでいたいと……」

「うんうん。かまわん構わん。まだ時間もあるしな……。ところで……殿下はこちらにお見えになるのかの」

 そして師はぽつりと、辺りをぐるりと見ながら言う。
 ダンジァも目を向けると、騎士に寄り添われている騏驥も増えているようだ。
 他のどのレースでもこうなのか……それとも、このレースはシィンが騎乗するせいで、どの騎士もより一層やる気になっているのか……。

 ダンジァは、前夜祭の宴に王が突然やって来たときの言葉を思い出していた。


『周りの者も振り回されて大変よの。しかも上手く負けてやらねばならぬとなれば——』


 陛下はそんなふうに、言外に、他の騎士たちがわざと負けるのでは……というような言い方をしていた。
 おそらく、遠回しにシィンを侮辱するために。
 だがシィンが言い返したように、騎士たちの考えは王の想像とはむしろ逆なのではないかと思うのだ。
(その点が、陛下は騎士らしくないなとダンジァが思う理由の一つでもあるのだが、もちんそんな気持ちを抱いていることは秘密だ)

 こんな大きな、しかも観客もいるような大会なのだ。
 騎士ならば、シィンに配慮してわざと負けるのではなく、勝って自身の名を広く知らしめることを選ぶだろう。
 自分は”あの”シィンに勝った、”あの”殿下に先着した騏驥に騎乗した騎士なのだ、と。

 それは、ただの勝利や先着より、より箔が付くことだろう。
 騎士ならそれを望まないわけがない。

(なのに陛下は……)

  あのときのことを思い出したためか、憤るような悔しいような思いが込み上げそうになる。それを、ダンジァは慌てて飲み込んだ。
 今は、そういうことを考えるときじゃない。
 ダンジァは軽く頭を振り、気持ちを切り替えると、サイ師からの問いに
 
「わかりません」

 と素直に答えた。

「でも、さっきは来てくださいました。様子を見に……」

「さっき?」

「はい。待機所に」

 ダンジァは頷く。知らず知らずのうちに嬉しそうな——もしかしたら誇らしそうな顔をしていたのだろう。
 師は「ほぅ」と驚いたように目を丸くして、次いで満足そうに「うんうん」と頷いた。

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