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60 騎士来たれり(2)

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 ダンジァは、目を逸らさずしっかりと頷いた。
 彼の状況はとてもよく理解できる。
 もともと、彼は大会に出場する予定ではなかったのだから。
 今こうして来てくれたことだって……彼が言ったように容易いことではなかっただろう。
 そんな気持ちが込み上げ、ダンジァは思い切って言った。

「自分は、その……い、今いて下さるだけで十分です。来て下さっただけで」

 心からの感謝を伝えたつもりだ。
 彼からの期待に背を向けるような真似をしてしまった自分なのに、彼は今も信頼を寄せてくれている。
 ここへもわざわざ来てくれた。そしてあの声で——騎士であるシィンの声で「ダン」と親しく呼んでくれた。
 それが幸せで。

 だが。
 それを聞いたシィンは、何故か軽く眉を寄せた。
 頬も、心なしか小さく膨らんでいる。

 え? とダンジァが思った時。

「わたしは十分ではない」

 上目遣いにダンジァを見ながら、シィンは言った。
 拗ねたように、唇を小さく尖らせて。
 その愛らしさと言葉に戸惑うダンジァに、シィンは続ける。

「わたしは、もっとお前といたい」

「…………」

 間近からの眼差しは、光の加減なのか——それとも見る側のダンジァ自身のせいなのか、ダンジァに目にはいつものシィンのそれよりも数段熱っぽく映る。
 どんな宝玉より美しい濃茶色の瞳。その瞳にじっと見つめられ、おさまったはずの頬の熱が、耳の熱さがぶり返すようだ。
 否。さっきよりも一層熱い。何か言わなければと頭では分かっているのに、言葉が何一つ浮かばない。

 彼は騎士としてごくごく普通のことを言っているだけ——のはずだ。
 今自分にかけられたのは、大会に初めて出る騏驥を労り、励ます騏驥の言葉——そのはずだ。
 けれど。

 けれど——。

 ダンジァは、頭がくらくらするのを感じる。
 突き上げてくるシィンへの想いと理性との間で酩酊したかのように考えが纏まらない。
 そして長いような短いような時間ののち、

「……自分も……です」

 ダンジァは、ようよう掠れた声を押し出した。

「自分も……本当は——シィン様と……もっと……」

 万感の想いを込めて。
 


 言葉だけは、シィンのそれに素直に応えた形で。
 けれど心は——本音は——。

 シィンの真意がどうであれ、自分は彼といたいのだと——この大会が終わってもずっとずっと——ずっと一緒にいたいのだと。
 願わくば、ただの騏驥としてではなく、あなたを心から慕う一人としてずっと側にいたいのだ——と。

 今も胸の中に満ち、溢れそうな、そんな想いを込めて。

 と——。
 ダンジァの視線の先で、シィンの瞳が揺れる。
 それが驚きなのか戸惑いなのかそれ以外の理由なのか。ダンジァにはわからない。わからないがシィンの瞳は変わらずダンジァを見つめ続け、ダンジァもまたシィンを見つめ続ける。

 そこに隠れたものを知りたいわけではなく、単に見つめていたかったのだ。
 恋しい人の美しい瞳を。
 今ここで、こうして見つめ合える幸せを全身で感じていたかった。
 
 そうして——どのくらい見つめあっていただろう?
 不意に、シィンがふっと表情を和らげる。
 途端、二人の間で心地よく張り詰めていた空気がふわっとほどけたような感覚がある。
 ダンジァもまた表情を緩めると、シィンは目を細めて笑み、「そうか……」と噛み締めるように言った。

「そうか。……お前もそう思っていてくれるか」

「……はい。——はい、もちろんです」

 ダンジァが言うと、シィンは満足したように「ん」と頷く。
 拗ねた顔も可愛らしかったけれど、嬉しそうなその貌を見ていると、それだけでダンジァも一層嬉しくなる。
 たとえ気持ちは通じなくても、シィンの言葉に託けてであっても、抱えている想いを伝えられたことは幸せだ。
 騏驥である以上、口に出すことすらできないと思っていたから。



 その後二人は顔を突き合わせるようにして第一競走について意見を交わし(ユェンの分析はとて役に立った)、シィンが見たという第二競走について話し、互いの調子や今日の馬場について取り留めなく話した。
 何を話していても——話さない時ですらダンジァは幸せだった。
 

 やがて、シィンが戻らなければらない時刻になると、ダンジァも共に部屋を出て、自分が行けるところまで彼を見送った。
 当初こそ、シィンは「お前は休んでいていいのに」と躊躇うような様子を見せたが、

「なるべく一緒にいたいのです」

 と、構わずに付き添っていると彼も嬉しそうな顔を見せた。

 そして別れ際。シィンは立ち止まると、改めてダンジァを見つめて言った。

「では——また後で会おう。今度は馬の姿のお前と会うのだな」

「——はい」

「どちらのお前も、わたしの素晴らしい騏驥だ。……騎乗が楽しみだ」

 口の端を上げてそう言うと、シィンはじっとダンジァを見つめてくる。しばらくそうして見つめ、次には少し離れて全身を眺めるかのように見つめると、やがて、満足したように「うん」と頷く。
 そして迎えにきていた人たちの方へ、静かに戻っていく。
 その背中を見つめながら、

「自分も、ずっと心待ちにいたしておりました……」

 あなたのために駆けることを。

 ——ダンジァは胸の中で呟いた。

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