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50 騏驥と王子の近衛の騎士(2)

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「率直に言えばね、わたしはきみに対して怒りを覚えているよ。きみがやったことは、騎士に対してとても失礼なことだ。そして、とても傷つけることだ」

「……」

「やったものを返そうとしたからじゃない。物のやり取りの問題じゃない。期待している気持ちそのものを拒絶したからだ。『期待に応える気はない』という騏驥に、どうして騎士が乗り続けられる?」

「……」

 ダンジァは唇を噛む。
 その通りだ。あの時はわからなかったことが、今日になって嫌というほどわかった。深く項垂れるダンジァに、声は続く。

「殿下ならいいだろうと思ったかい。彼は特別だから、特別ではない自分は彼から授けられるものは受け取れない、と」

「……」

 そう、思った。
 自分には過ぎたものだと。でも——。 
 ツェンリェンは続ける。

「特別な者だって、四六時中特別なわけじゃない。そうじゃない時だってある。それに、特別だからといって傷つかないわけでもない。特別な者でも、悲しい時には悲しくなるし傷つく時には傷つくよ」

「……はい……」

 そう。自分はシィンをとても深く傷つけた。
 にもかかわらず、彼はまだ自分に乗ってくれるという。
 何もかも、最初から「なかったこと」にして出走しないことだってできただろうに。

 ぎゅっと拳を握りしめると、いくらか優しくなった声で、ツェンリェンが続ける。

「きみたちとわたしたちは違う生き物だ。けれど不可分な関係だ。とりわけ大切に思っている騏驥ならなおさら——自分の半身のように思っているよ。殿下のように優れた騎士なら尚更そうだろう。自分の思い通りにいかない時もあるけれど、そもそも、自分の全てを自分の思い通りにできているわけでもない。気持ちは自分のものなのに、自分の思い通りにならない——そんなふうにね」

 だから騏驥の態度によっては騎士も傷つくし、きみはそんなことをしてはいけない——とツェンリェンは言う。

 そして彼は、改めてダンジァを見つめてきた。

「きみももう、いろいろなことがわかっただろうから、その上、わたしがあれこれ言うのは余計なお世話だろう。とはいえ、言うことは言っておかなければならない立場でね。何度も追い討ちをかけられるようで、きみには申し訳ないが」

 そう言うと、彼は肩を竦める。
 念のため? 立場?
 内心首を傾げるダンジァに、ツェンリェンは、「殿下のお役に立てるよう最善を尽くしておかなければ、ということだよ」と微苦笑する。
 そしてダンジァの肩を、ぽんぽんと優しく叩いた。

「その装束も似合ってる。実際にきみが纏った姿を見ると一層そう思えるな。誂えだから当然と言えば当然だが、よく映える。剣を帯びていても自然だし、殿下はきみのことを本当によく分かっているね。実はいくつか候補があって、どれにするか殿下もずいぶん悩んでいたようだけれど……その姿を見れば悩んだ甲斐もあったというものだろう」

「……!」

 シィンは悩んでまで、自分のためにこれを贈ってくれたというのか。
 その話に、改めて胸に熱い楔が打ち込まれたかのようだ。思わずそこを押さえると、ツェンリェンが微笑んだ。

「明日は自信を持って走るといい。他の騏驥や騎士たちがどうあれ、きみもきみの騎士も素晴らしいんだ。今まで通りにやれば結果はついてくるよ」

「はい……」

 温かな言葉に、ダンジァは頷く。
 おかげで自信が湧いてくるようだ。
 そうだ。自分にはシィンが乗ってくれる。素晴らしい騎士が。
 ならば誰にも負けないはずだ。速さも強さも心地よさも。

 ダンジァの返事にツェンリェンも頷くと、「そろそろ行かなければ」とユーファを呼ぶ。彼が踵を返すと、そのあとをユーファが跳ねるようについていく。
 だが直後、見送るダンジァの視線の先で、彼女は思い出したように足を止めると、ダンジァの方に戻ってきた。

 戸惑うダンジァの前、彼女はすぐ側までやってくると、「言い忘れてた」と前置きして、

「その服、似合うね」 

 花が咲くように、笑んで言った。

「強そう。強そうで格好いい。とっても」 

「……」

 思いがけない言葉に、ダンジァはすぐに返事ができなかった。
 まさか彼女に、初対面の騏驥にそんなふうに言われるとは思っていなかった。
 挨拶すら、かわしていないままなのに——。

 だが直後、嬉しいような恥ずかしいような気持ちが込み上げ、みるみる耳が熱くなっていく。
 シィンに褒められたときの嬉しさは言うまでもないが、同じ騏驥にそう言われる嬉しさも、また格別のものがある。しかも、彼女は誰に気を使う必要もない立場だ。
 純粋に「似合っている」と言ってくれていると思うと、シィンが自分のために誂えてくれたものを褒められていると思うと、その事実が嬉しくて堪らない。

「あ……りがとう……」

 ダンジァがようようそれだけを言うと、ユーファは「ん」と微笑んでまたツェンリェンの元へ駆け戻っていく。

 仲の良い騎士と騏驥の姿を見つめながら、ダンジァはシィンを想った。

 明日は彼のために尽くそう。その後どうなるとしても、明日までは自分は彼の騏驥だ。そして彼は自分の騎士だ。
 それは何より誇らしく、何より幸せに思えた。
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