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42 大会前日(2)
しおりを挟むそんなダンジァの不安を察してか、いよいよ大会もせまった昨日、ツォ師から「話がある」と面会を持ちかけられた。
午後、ダンジァが自分の馬房で城の待機馬房に移る準備をしていると、わざわざ厩舎地区まで来てくれたのだ。
朝は朝で調教を見てくれていたのに、その上改めて。
『明日はもう城に入厩だけど、用意はできてるかな』
訪ねてきてくれた師は、そう言ってダンジァを安心させてくれるように微笑んだ。そして『ちょっと話そうか』と放牧場にダンジァを連れ出すと、『まずこれを』と一枚の紙を渡してくれた
『騏驥のことについては、ベテランのサイ師の方が色々とお詳しいだろうけれど……もしかしたら大会についてはご存知ないこともあるかもしれないと思って念のためにね。今回は特に規模の大きなものだし、きみは初参加だ。少しでも助けになればと思って』
そこには、今回のように複数の競争が同日に行われる規模の大きい大会での注意点についてや、一旦別の厩舎に(馬房に)入厩する場合のさまざまな助言が書かれていた。
準備しておいた方がいいもの、当日までできることできないこと、終わってからのこと……。それらが、丁寧にわかりやすく記されていて、ダンジァは師の気遣いに感謝せずにはいられなかった。
もちろん、出走するにあたり、ダンジァはシィンに恥をかかせることのないよう、また、サイ師の顔を潰すことのないよう色々と気をつけてはいた。こうした大会に出た経験のある、他の厩舎の騏驥にも話を聞きに行ったし、サイ師からもちゃんと説明は受けた。
師自身も、色々と情報を集めてくれていた上、大会の前日から厩務員と共に城についてきてくれる予定になっている。
それでも、やはり不安は不安だったから(なにしろ、ダンジァがいつも頼りにしているサイ師も、今回のような大会に騏驥を送り出すことは初めての経験なのだ)、気にしてもらえたことにはホッとしていた。
しかも——。
本来ならダンジァが一番に頼るべき相手には頼りづらくなってしまったから尚更だ。
ダンジァがシィンのことを想い、知らず知らずのうちに俯いてしまっていたからだろう。ツォ師は、ぽんぽん、と宥めるようにダンジァ肩を叩いてくると、
『悩んでいることがあるなら、相談に乗るよ?』
優しい口調で続けた。
だが顔を覗き込まれ、ダンジァは思わず避けてしまった。
失礼なことをしているとは思ったけれど、なんだかあまり探られたくなかったのだ。
と、ツォ師は特に怒るでもなく、ただ苦笑した。
『もし大会前に殿下が調教に乗らなくなったことを気にしているなら、そう神経質にならなくてもいいことだよ』
ふっと顔を上げてダンジァが見ると、彼はダンジァを安心させるような笑みを浮かべていた。
『今までずっと乗っていたから不安になるのは仕方ないけれど、大会直前の最終調整では、わざと騎士が乗らないことも珍しくない』
『騎士が乗ると、どうしても騏驥は興奮してしまうんだよ。やる気が出過ぎる、と言えばいいのかな。だから神経がもたなくなることもあるんだよ。または、ついつい走り過ぎちゃうことがね。だから、わざと助手を乗せることはよくあるんだ』
ツォ師は、じっとダンジァを見つめ、ゆっくりと言い聞かせるように続ける。
『きみは、精神的には落ち着いているけれど、とりあえず大会は初めてだろう? だから自分では気づかないうちにテンションが上がりすぎるかもしれない。殿下はそれを心配して、ご自分での調教を控えられたのではないかな。この数日、きみに乗らないようにされたのは、そうしたお考えもあってのことじゃないのかな』
優しい声音。宥めるような慰めるような柔らかな口調。
けれどそんなツォ師の話を聞いても、ダンジァはぎこちない笑みを返すことしかできなかった。
ツォ師の言っていることはわかる。サイ師にもそう言われたし、実際に乗ってくれた助手からもそう言われた。
でも。
でも違う、とわかるから。
馬鹿だったのだ。
愚かだった。
今ならわかる。自分の行為は、シィンに対してとてもとても失礼だった。
失礼にもほどがあるほどの失礼なことをした、と。
ただ——。
それは理解している一方で、こうも思うのだ。
返上を申し出たことに、後悔はない、と。
いや——全くないと言えば嘘になる。あんなことをしなければ、シィンは今も調教に乗ってくれていただろうから。……わからないけれど。
だがあの時の自分を責めることもできなかった。
なぜなら、今でもやはりあの剣を見ると辛くなるからだ。それが側にある限り、自分はシィンを想うだろう。貰った時の驚きを。喜びを。誇らしさを。
大会が終わり、彼とはもう会えなくなってもそんな気持ちだけがいつまでも続くのかと思うと……それを想像するとやはり辛くて堪らない。
だからあの時、耐えられずシィンの元に向かってしまった自分を責められないのだ。軽率だったと思いはするけれど。
そう——。
実を言えば、今も辛い。
ダンジァはゆったり手摺りに寄りかかったまま、そっと自身の装いに目を落とす。
この大会のために用意された服。
シィンが誂えてくれた装束は、それはそれは美しいものだった。
一体どんな素材を使いどんな仕立てをしているからなのか想像もつかないが、とにかく動きやすいのだ。重ね着しているはずなのに動きやすく、袖も裾も驚くほど捌きやすい。それでいて程よく包まれている安心感のようなものがあって、且つ、見た目はスッキリと美しいのだ。そして襟や袖の細やかな刺繍といったら、その精細さに言葉もないほどだ。
以前から「背が高くて体格がいいから見栄えがする」と言われていたダンジァだが、この装束を纏っているとそれが一層際立つようで、ダンジァのことなど見慣れているはずのサイ師ですら、これを着たダンジァを初めて見たときは「おおっ」と声をあげたほどだった。
『さすが殿下だ。騎乗される騏驥の特長をよくよくご存知だ。御目が確かでいらっしゃる』
そして満面の笑みでそう言ったサイ師の顔は、今でも覚えているほどだ。
遠征で大きな怪我を負ってしまった時は、師にもとても心配をかけた。
だから、大会に出る自分を見て『やっぱりお前は大したものだ』と言ってくれる師を見られたのは嬉しかったし、そんなふうに師が思えるきっかけを作ってくれたシィンにも感謝しかなかった。
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