まるで生まれる前から決まっていたかのように【本編完結・12/21番外完結】

有泉

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30 記憶・感触・苦味・甘味 ——覚えていることはなんですか?——

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「ありがとうございます、殿下……」

 ダンジァは、精一杯心を込めて言う。
「申し訳ありませんでした」と謝る代わりに、「ご迷惑をおかけしました」と謝りたい分まで、感謝の気持ちを言葉に込めて伝える。
 本当はどれだけ感謝しても足りないくらいだ。大会に出る騏驥に対しての責任を感じてのことだとしても、これほど気にかけてもらえるとは。
 
 ダンジァの言葉に、シィンはどことなく照れたような顔を見せる。

「別に……それほどのことをしたわけではない」

 仄かに頬を染め、ぶっきらぼうにそう言う、そのはにかむような様子は、普通の青年よりも青年らしく、いっそ可愛らしいと思えるほどだ。
 
 ダンジァはそんなシィンを見つめながら、ますます彼に惹かれる自分を感じていた。

(不思議な方だ……)

 思いがけない意外なことをしてこちらを驚かせるかと思えば、心細やかに気遣ってくれることもあって。強引かと思えば責任感が強くてこちらを責めずにむしろ労ってくれて。

 魅力的な人だ。

 ——王子。王太子。
 貴い方。
 この国の次代の王。

 けれど、たとえそんな立場でなかったとしても、彼の素晴らしさや彼の魅力は損なわれないのではないだろうか。
 
(いや——いや)

 そんな想像は無意味なことだ。
 確かに彼は、騏驥なら誰でも惹かれる騎士だろう。しかしそれと同時に、彼は王子なのだ。その事実は変わらない。仮定の話や想像は無意味なことだ。

 そんな想像は、まるで……。
 
 まるで自分の願望を無理矢理形にしようとしているかのような、歪さがある。
 醜いことだ。
 騏驥として弁えるべき一線を超えている。そんなことは、たとえ想像でもすべきじゃない。

 ただただ一頭の騏驥として、素晴らしい騎士に出会えたことを、乗ってもらえることを、彼のために走れることを喜んでいればいい。——それだけでいいのだ。
 
 他に、何を望むというのか。
 それ以上に何を——。

 考えると、胸がしくりと痛む。
 身体はもう何の問題もないはずなのに、どうしてかそこだけが痛い。奥が疼くような鈍痛がする。
 堪えるように、ダンジァは密かにぎゅっと拳を握りしめた。
 微かに痛む片手は、大切なものを守れなかった痛恨の証だ。と同時に、自分にとって”シィンから預けられたもの”がどれほど大切か改めて感じられた証でもあった。
 預けられた時は、そして身につけていた時は気づかなかった。恐れ多いと思っていたけれど、だから大事にしなければと思っていたけれど……。いつしか自分の中でこんなに特別になっていたなんて。

 シィンから預けられたもの。
 それだけで自分にとっては輝くような価値を宿すのだ。
 
 さらにまた同時に、その傷を手当てしてもらえたことは、もうそれだけで一生の思い出になるだろう。
 その上、朝まで世話してくださっていたなんて……。

 なんの記憶もないのが残念だ。
 ダンジァは少しがっかりしたものの、意識がはっきりしていたら、きっと「恐れ多い」と看病は断っていたに違いない。、と思い直す。
 無礼な真似をしていないかだけが不安だが、シィンがなにも言わないということは、おとなしくぐったりしていたということ……だろう。みっともないことだが。

 ダンジァはシィンを見つめたまま、ゆっくりと掌を開く。
 握り込んでいたからか、そこはじわりと温かだ。

(温か……)

 刹那、指に、掌に、腕に。「何か」を感じた——気がした。
 掴んで、捕まえて——縋ったような……感触……?

(感触?)

 重み……体温……衣摺れの手触り……。

 覚えていない。でもなんだか……。

(なんだか……なんだ……?)

 曖昧でなに一つはっきりしないのに、それでも覚えがあるような気がする感触や感覚。ダンジァが首を傾げた時。

「礼はともかく……体調の方は、もう大丈夫だな? 気怠さや熱は感じないか? 気になるようなら些細なことでも構わぬ、言え」

 直前とは一変。真剣な表情で、シィンが再確認するように尋ねてくる。ダンジァも慌てて表情を引き締めると、「大丈夫です」と頷いた。

「殿下のおかげで、もうすっかり良くなりました。食事もお茶も美味しくいただけましたし、特に不安な感じもありません」

「そうか」

 シィンはほっと息をつく。
 そして思い出したように立ち上がると、また何かを取って戻ってきた。

「薬だ。念のため、これを飲んでおけ」

 差し出されたのは、小さな瓶だった。

「医師が置いていったもので、折を見て飲むといいと言っていた。食事の後ならちょうどいいだろう」

「はい」

 わかりました、とダンジァは差し出された小瓶を素直に受け取る。
「苦いぞ」と付け加えられたシィンの言葉に頷いて蓋を取り、中の薬を呷った瞬間——。

「!?!?!?!?!?!?」

 変な声が出そうになった。
 苦いどころではない。
 口内に苦味が広がり、鼻腔はその香りでいっぱいになる。

(っ……ど、毒!?)

 一瞬、そんな考えさえ頭をよぎったほどだ。
 
(は、吐き出し……)

 そう思ったものの、シィンの前だ。しかも彼から渡された薬だ。必死で口元を抑え、涙を浮かべてなんとか飲んでいると、こちらを見ているシィンと目が合った。
 なんとも言い難い、説明し難い微妙な顔をしている。
 戸惑っているような、しかしこちらを気遣ってくれているような……。それでいてなんだか面白がっているような。

 なんとか飲み終えると、

「……大丈夫か……?」

 心配そうにシィンが尋ねてくる。
 なんとなく、今までで一番心配そうな声だ。
 ダンジァは辛うじて「はい」と頷いた。
 医師の置いていった薬なら、身体に害があるわけではないだろう。むしろ良くなるはずのものだ。そういう意味では「大丈夫」だ。
 だが。

(こんなに苦い薬を飲んだのは初めてだ……)

 まだ涙が出る。
 生理的なものとはいえ、いつまでも涙を浮かべているわけにもいかず、なんどもそれを拭っていると、

「……よほど苦かったのだな」

 そんなダンジァを見ながら、シィンが言った。
 こちらの様子を伺うような気配なのは、気遣ってくれているからだろうか。
 ダンジァは「はぃ……」と小さく頷いた。ここで嘘をついても仕方がない。

「こんなに苦いと思いませんでした。怪我をした時、色々と薬を飲みましたが……これほどのものは初めてです」

 苦笑しながらダンジァが言うと、シィンは少しの間じっとダンジァを見つめ、ややあって「そうか」と頷く。

(??)

 なんとなく変な間があったような気がしたが…………。
 ダンジァがそう思った直後。

「!?」

 シィンがふっと身を乗り出してきたかと思うと、すぐに彼の貌が視界いっぱいに広がる。と同時。ひどく柔らかな何かが、唇に押し当てられていた。

(え……)

 だがそれは、すぐ離れる。
 まるで気のせいだと思わされるかのように。

 けれどダンジァは、その感触に覚えがあった。感触も、温かさも、そして感じる香りも。

 途端、ダンジァの心臓の音がかつてなく大きくなる。
 頭の中では「なぜ」が飛び交う。息をすることも動くこともできなくなってしまう。
 そんなダンジァのすぐ側から、
 
「……ダン」

 シィンの声がした。
 ほとんど吐息だ。ダンジァは自分の心臓が跳ねた気がした。
 全力疾走した時以上に速く大きく鼓動を打っているのを聞く。
 はい、と答えた声は自分のものと思えないほど掠れている。シィンにどう思われているだろう思うと気が気ではない。
 だが近すぎて顔が見えない。
 焦るダンジァに、シィンが続ける。

「……お前……嘘じゃないか」

「!?」

 ??????

 嘘?
 なにを?

 混乱に拍車がかかるダンジァのすぐ側で、シィンが小さく笑った気配があった。

「お前があまりに苦いと言うから心配になって確かめてみたが……さほど苦くないではないか。むしろ甘いほどだ」

「え……」

 甘い? 

(そんなはずは……)

 戸惑いながらダンジァがそう言うと、シィンが小首を傾げたような気配がある。
 顔が見えないのがもどかしい。けれど、顔を見られるのは恥ずかしい。
 相反する気持ちに揺さぶられ、ダンジァがすっかり困ってると、

「——ではもう一度確かめてみるか」

 吐息のような囁きが聞こえ、一層混乱する。
 肩に、シィンの手がかけられたと感じた直後。

「——」

 ダンジァの唇は、再び温かく柔らかなものに塞がれた。
 今度ははっきりとわかる。これが何か。誰の何か。
 はっきりとわかるから、さっき起こったこともわかってしまう。あれは気のせいではなかったのだ。

 シィンの唇。
 その柔らかな感触は、この世のものとも思えないほどだ。
 頭の芯まで甘く痺れるような——。

 甘く?

 そうだ。甘い。
 ——甘い。とろけるほど。

 気づけば、ダンジァはシィンの身体を抱き寄せていた。

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