まるで生まれる前から決まっていたかのように【本編完結・12/21番外完結】

有泉

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22 王城にて(7)そして王子は悩んでいた

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 そんな甘えさえも、実の所はわかってくれている……はずの、向かいに座る男をチラリと見ると、案の定、ウェンライは「やれやれ」と言った顔で長く溜息をつく。そして、まだいくらか渋い顔を見せつつも柔らかな声音で言った。

「まったく……あまり好き勝手をなさいませんよう。皆がみな、私のように優しく寛容ではないのですよ」

「ん」

 なんだかんだで今回も許してくれた”優しく寛容な”男ににっこりと頷くと、シィンは彼にも茶を注いでやる。
 王子手ずからとなれば、本来は大サービス——どころか、普通の者なら恐縮して平身低頭のところだろうが、ウェンライは「恐れ入ります」とだけ言い、平然とシィンの手つきを眺めている。

 シィンが滞りなく茶を注ぎ終わると、
 
「——ありがとうございます。頂戴いたします」

 流石に丁寧に礼を言って、茶杯を取り上げた。
 一口飲むと、頬を綻ばせる。

「美味しいです」

 そして噛み締めるように言うその様子にシィンは大きな満足感を覚えながら、彼もまた、自身の杯にもう一杯注ぐ。

 優しい香りが鼻を擽る。静かに部屋に満ちていく。
 シィンは肩の力を抜きながら、大きく息をついた。

 こうした関係は——こうした時間は嬉しいな、と心底思う。
 実際は、お互い決して立場を離れることはできないけれど、限りなく「友人同士」に近い関係になれるひととき。
 お互い言いたいことを言って、それでも互いを受け入れあって、こうして向かい合って茶を飲んで微笑み合えて……。

 何にも代え難い時間だ。そして何者にも代え難い相手。

 ウェンライのような、ほとんど生まれた時から一緒にいるような相手は特別中の特別としても、ツェンリェンやツォといったそれに準ずる存在の者たちや、その他にもごくごく僅かな者たちと一緒にいる時は、同じようなリラックスした心地よさを覚える。
 張り詰めた毎日の中での、心安い時間。

(まあ、その後に仕事が山ほどあるのだが……)

 それはともかくとして。

 自分にとって、大切な時間だ。
 そして……。

(……)

 胸をよぎる面影。
 それに、シィンは微かに首を傾げる。

 困ったとか疑問があるわけではない。ただ、少し不思議なだけだ。自分の気持ちが。
 こういうささやかな幸せな時間に、どうして自分は特定の騏驥のことを思い出したのだろう? 考えているのだろう?
 彼も——ダンジァもここにいればいいのに、と、どうして自分はそんなことを考えているのだろう。
 騏驥を相手に。

 そう——相手は騏驥なのに、だ。

 今までどんな騏驥に乗ってもどんな騏驥と接してもそんなふうには思わなかったのに。
 彼には、どうしてそこまでと思ってしまうのか。
 
(ふむ)

 不思議な感覚だ。初めての感覚だ。
 だが考えてみれば、帯剣を許した時点で既に彼に対して——あの騏驥に対してそれまでと違う感情を抱いていたのだろう。
 帯剣を許すと言うことは、刃物を手にした騏驥の行動の全てに責任を負うという意味合いの一方、その騏驥に長く人の姿でいることを求めていることでもあるのだ。
 ただ乗るだけの騏驥でよければ、わざわざ剣を持たせる必要はない。馬の姿では剣を帯びることはできないのだから。
 それがわかっていて彼に剣を持たせたということは……。
 
(彼に人の姿でいてもらいたいという希望や願望の片鱗が既に現れていたというわけか……)

 ふむ、とシィンは再びひとりごちる。

 さてどうしたものか……。

 過去に、王や王子がそんなふうに騏驥を側に置いたことかなかったわけではない。シィンが学んだ歴史では、確かそうだ。
 だが、それは「王の騏驥」を対象にしてのみ許されていたことだったはずだ。
 そうでない場合は控えるべし——。過去の諍いを踏まえてそれが暗黙の了解になっていたはずだ。

 だが、自分は……。

 彼を側に置きたいと思っている……ようだ。
 ただ乗りたいというだけでなく、大会の後も良質な騏驥の一頭としてただ乗りたいというだけでなく、側に置きたい、と。
 乗るだけでなく共に駆けるだけでなく、話がしたい、と。彼と語り合い、時にはこうして寛いだ時間を持ちたい、と……。

 騏驥を相手に。
 騏驥を相手に、だ。

「…………」

 シィンは困惑する。
 けれど自分が思っているのは、まさにそういうことなのだ。

 こうしてウェンライと茶を飲んでいてそれがよくわかった。自分はこうして向かい合う相手を彼にも求めているのだ、と。

 騏驥である、彼にも。

(それはつまり……)

 彼を騏驥としてだけではなく、それ以外の存在として見ようとしているということだろうか。
 まさか、ウェンライやツォやその他のものたちのように?
 今自分に仕えている者たちのように?

(いや……それは……)

 シィンは眉を寄せる。

 流石にそれはないだろう。ない、と思いたい。
 騏驥は騏驥だ。
 どれほど優れていても、国の宝であり国の礎であり大切にすべき存在であっても、彼らは騏驥だ。
 騎士にとっては——特に生まれながらの騎士である王族にとっては、騏驥はどこまで行っても騏驥——「道具」のはずなのだ。
 
 国を治めるための最高にして最大の道具。

 国の宝であり国の礎である騏驥を生まれながらに従える権利を有する——。
 それこそが、王が王たる所以である権威の源なのだから。

 だからそれ以外の——それ以上の価値や理由を騏驥に求めるのは間違っている——はずなのだ。
 必要以上に彼らと親しくするなどとんでもない。
 そのはずだ。
 だから側に置く必要もないはずなのだ。本当ならば。

 第一、彼を側に置いてどうすると言うのだ。

 護衛?(だとしたら彼はきっと役に立つだろう。剣を受け取った時の様子からして、彼はその扱いに不慣れという様子でもなかった)

 くつろぐ時の供に?(だとしたら彼はきっと役に立つだろう。言葉少なだが受け答えは的確で、雰囲気にも刺々しいところがないから癒されそうだ)

 政の相談を?(だとしたら彼はきっと役に立つだろう。彼は賢い。そして控えめだから出しゃばらないし、誠実だから意見を求めた時も不必要に媚びたりせず発言するに違いない)

(……む)

 シィンは眉を寄せる。
 改めて考えると、彼は自分が側近に求めるものを全て満たしている。
 が、直後。

(いや待て待て。これだけで判断するのは性急すぎるというものだ)

 胸の中で否を繰り返す。

 それに、こちらにだって最低限の分別はある。
 王子として、踏まえておかなければならない最低限の分別はあるのだ。

 確かに自分は自他ともに認める我が儘だが、それでも——。国が荒れるような真似はしたくない。その原因を作るような真似も。
 王族が「王の騏驥」以外の騏驥に騎乗することは問題なくとも、側に置くべきではないのはそれなりの理由があるからなのだ。

 その不文律を自分は破ってまで彼を側に置きたいのだろうか……。


 気付けば、ついつい深く考え込んでしまっていると、

「……殿下、どうかなさいましたか」

 向かいから、気遣うような声が届く。
 はっと顔を上げると、ウェンライが心配そうに軽く身を乗り出してきていた。
 口では厳しいが(態度も厳しいが)、なんだかんだでやはり優しいのだ、彼は。そう思うと、胸が暖かくなる。
 
 だが同時に、シィンは迷った。
 これは、ウェンライに話すべきだろうか。自分が今考えていことを。迷っていることを。

(だが……)

 と。まるでそうして悩むシィンの心を見透かしたかのように、

「それにしても——」

 茶杯を手にしたまま、ぽつりとウェンライが続けた。

「それにしても、あの騏驥は良い騏驥でございますな」

 その言葉は、まるで独り言のようだ。だが、その声にシィンの胸がドキリと鳴る。
 ウェンライは世辞は言わない。騏驥相手には当然のこと、シィン相手にもだ。
 ということは……。

これウェンライもそれなりにダンジァのことを認めたというわけか……)

 剣を下賜したことを話したとき、彼は含みのある頷き方をしていた。何か言いたそうな、言おうとしてそれを飲み込んだような。
 ということは、今日の「話し合い」は彼にとってもいい機会だっただろう。
 シィンはそれを意図していなかったけれど、彼にすれば、この「話し合い」でダンジァを値踏みしたかった思いもあっただろう。
 もし万が一ダンジァが「それなり」にも達していない騏驥だと判断したなら、シィンの意向など無視して「相応しくない」とダンジァから剣を取り上げたに違いない。
 それどころか、大会への出場も何かしらの理由をつけて辞めさせただろう。
 
 王子には釣り合わぬ騏驥——と。そんな理由で。
 彼は本当に、過ぎるほどシィンに忠実だ。

 しかしどうやら、ダンジァは合格だったらしい

(……いや……)

 あの口ぶりなら「合格以上」だろう。

 ならば……。
 
(やはり話してみるか……?)
 
 しかしそう考えた直後、シィンは胸の中で首を振る。
 いや——今日は既に話し過ぎた。色々と話し過ぎた。もうあまり何も言わない方がいいだろう。
 それに、もう少し自分の中で考えてからでもいい。自分で考えて何かしらの方向性を……。

 そう思いかけたとき。
 扉の向こうから、誰かが近づいてくるような気忙しい足音が聞こえる。
 直後、
 
「——殿下。殿下——至急ご報告が」

 慌てているような早口の声が聞こえてきた。

(?)

 二人が顔を見合わせたのは一瞬。
 すぐさまウェンライが立ち上がり、扉を開ける。と、入ってきたのは近侍の一人だった。
 彼はシィンに、そしてウェンライに頭を下げると、急いだ様子で話し始めた。
 
「お忙しいところ恐れ入ります。今しがた、城周りの警備のものから報告が。その……実は先ほど城内で少々揉め事があったようなのですが、それが騏驥同士でございまして……」

「? 騏驥? それなら厩舎の管轄だろう。なぜ殿下のお手を煩わせる?」

 ウェンライが即座に問い返す。と、近侍は恐縮した様子で続けた。
 
「は、はい。ですが揉めた騏驥の一方は城の騏驥では……『王の騏驥』ではなく、また、騎士もいない状況で……。ただ、通行許可の胸章が殿下の——」



 刹那、シィンは報告の全てを聞き終えるより早く部屋を飛び出す。
 背中越し、慌てたように引き止めるウェンライの声が聞こえはしたが、止まらなかった。

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