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4 星と流星
しおりを挟む撒いたはずの護衛たちに見つけられ、再度の逃亡から約二十分。
騏驥を走らせたシィンは、王都の外れの草原に辿り付いていた。騏驥の速さについてこられる馬はいない。後を追ってくるものはいなかった。
そんなわけで、シィンはもうとっくに安全な場所までやって来ているのだが、にも関わらず、彼は未だ騏驥に乗ったままだ。
素晴らしいな……。
騏驥の背の感触を楽しみながら、シィンは感嘆の息を零す。
跨ってからの二十分ほどで、こう思うのは何度目になるだろう?
いや、何度でもいい。それほどこの騏驥は素晴らしい。下馬したくないと思ってしまうぐらいに。
まず、馬の姿に変わったその瞬間から驚かされた。
人の姿の時の体格から、おおよそ馬体の予想もついていたが、いざ馬の姿になった彼を間近に見れば、その馬格の良さは予想以上だった。
毛色は鹿毛。鹿毛の騏驥は珍しくない。微妙な濃淡のものを合わせれば最も多いぐらいで、有り体に言えば「ありふれた」毛色のはずだった。
なのに。
なのに目を引かれた。
一瞬で「これはものが違う」と感じられた。こんなことは初めてだった。
とにかく大きい。
騏驥は普通の馬より大きいが、そんな騏驥たちの中でもさらに大きい方に入るだろう。人間の時の彼が優れた体格であったように。
しかも彼は、それだけ大きいのにバランスの崩れが全くない。首の角度、背中のライン、四肢の真っ直ぐさに繋ぎの角度。非の打ちどころがなかった。描いたように均整が取れているのだ。
そして——そして。
シィンは騏驥をしばらく歩かせると、ようやくその歩みを止めさせる。
ほんの少し、軽く手綱を引いただけで、この騏驥は鞍上の意図を察して静かに停止する。
つくづく賢い騏驥だ。その首を慰撫するように撫でてやりながら、シィンは胸の中で唸った。
道中の意思疎通も完璧だったし、この騏驥は見た目だけでなく頭の方もまた抜きん出て優れているようだ。癖がなくて指示に忠実な上、彼自身が常に最適解を求めるように動いている。
細かいことだが、道を真っ直ぐ走るだけの時でも、自分の足への負担や騎士の乗り心地に配慮して、一完歩ごとに歩幅を修正していた。並の騏驥ではできないことだ。
多くの騏驥に乗って来たからこそ、シィンにはそれがわかる。
しかも賢いだけでなく動じないのだ。
シィンには特別な加護の魔術がかかっているから、ほとんどの結界は解術できる。「塔」の最上階に張られているようなごくごく特殊なものを別にすれば、この国の王子であるシィンにとってあらゆる結界は無意味なものだった。
だからこの騏驥が気にしていた結界も問題なく通り抜けることができたのだが、その時も、彼はさして驚いた様子ではなかった。
こちらを信じてくれていたからだろう。
会ったばかりの騎士であるにもかかわらず「信じる」と決めて本当に「信じ切る」覚悟の良さは、これもまた並みの騏驥のそれではない。
元々がそういう性格なのか……それとも、余程の修羅場をくぐってきたか……。
いずれにせよ、シィンにとってはいい印象しかなかった。
「いい」?
いや、違う。
「素晴らしくいい」——だ。
無口なところもいい。
先刻、向かい合って座って話していた時のことを思い出して、シィンは小さく笑う。余計なことは話さず、しかし手綱を通じてしっかりとコンタクトが取れるのはいい。こちらは騎乗に集中できる。
シィンは思いながら、ゆっくりと下馬する。
手綱を持ったまま回り込み、馬の顔の正面に立つ。
目が合うと、騏驥は疲れも見せず、ただ命令を待つような視線で見つめてくる。
騎士に使えることを何よりの使命だと信じている目だ。従うだけでなく、自ら意思を持って騎士に仕える、尊き獣。この国の最高の兵器。
——騏驥。
シィンはそんな騏驥の頭を撫でると、そのまま、額を、眉間を、そして鼻梁の白斑(白い毛の模様)を撫でる。
そう——そして。
そして——何より。
彼の、この流星!
シィンは込み上げてくる興奮を隠せないまま、幾度も白い毛の模様を撫でる。
こんなに形よく美しい流星を見たのは初めてだ。
馬の顔に描かれている白い模様——いわゆる星や流星は、個々によって全て形が違い、一つとして同じものはない。
全くないものもいれば、顔の大半を覆う「作」と呼ばれるものを持つものもいて、千差万別だ。そしてこればかりは人の姿の時はわからず、だから馬の姿の時に、しかも真正面から見た時に確かめるしかなかったのだが……。
(おお……)
シィンは心の中で感激の声を零す。
これほど馬体がよく、賢く、しかも——。
(しかも、まるでわたしの名と揃いになるかのような見事な流星を持つ騏驥とは……)
思いがけない偶然に感謝だ。
まさか「一番」の騏驥を探して育成施設を訪れた帰りに——空振りで終わった帰りに、こんな素晴らしい騏驥に出会えるとは。
(やはり気ままな街歩きは良いことではないか)
うん、うん、と頷き、鼻梁を撫でてやりながら、シィンはうっとりと目の前の騏驥を見つめる。
されるまま撫でられている彼は、大人しく、びくとも動かない。
大したものだ。
しみじみとそう思うと同時に、シィンはこの騏驥が「一番」を答えられなかった理由をなんとなく察する。
(自分のことは言い辛い、か?)
きっとそうに違いない、と想像して、クスリと笑った。
奥ゆかしいものだ。
そんなところも悪くない。
シィンは深く頷くと、
「人に戻れ」
騏驥に向けて告げる。
大きな瞳が、シィンを見る。
「戻れ」
再び言ったが、騏驥は躊躇っているようだ。
「どうした?」
尋ねると、
<……服がありません>
手綱を通して、戸惑うような小さな声が返ってくる。
シィンは苦笑すると、「構わない」と続けた。
「わたしの外衣を着ればいい。お前の方が少し大きいが、問題はないはずだ」
<ですが……>
「わたしを助けてくれた礼だ。それに、戻ってもらわなければ話がし辛い。——戻れ」
シィンが繰り返すと、これ以上は拒否する方が礼を失すると悟ったのだろう。
騏驥は馬の姿になった時同様、<畏まりました>と一言言い、人の姿に戻る。
何も纏っていない彼の体躯は、まさに駿馬のようだった。すらりとしていながらも全身に程よく筋肉がのり、見るからに美しくしなやかだ。
シィンが外衣を渡すと、「ありがとうございます」と、恭しげに受け取り、恐縮した様子で袖を通す。
「似合っている」
シィンが言うと、彼は驚いたような顔を見せたのち、
「ありがとうございます」
と、はにかむように微笑んだ。
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