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【番外】甘く優しく大切な(前)

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「本より俺に頬擦りして欲しいけどなあ」

 頭上から声をかけられ、長椅子に座っているリィは本に伏せていた顔の、その目だけを向けた。
 いつも礼儀正しく姿勢良く、きちんとしているリィにしては、項垂れるようにして本に顔を埋めているその格好は珍しいと言えるだろう。
 だからこそ、その声の主——リィの騏驥であり、今や秘密の恋人となったルーランも、揶揄うようにそう言うのだ。
 目が合うと、彼はリィの傍に腰を下ろし、微笑んでリィの頭をくしゃくしゃ撫でる。
 最近気づいたことだが、彼はこうするのが好きらしい。
 リィが普段は綺麗に整えているそれを、乱すのが好きらしいのだ。
 曰く、

「そういうことをしていいのが嬉しい」

 ——らしい。

 いい、などと言ったことは一度もないのだが、彼の温かく大きな手にそうされるのは満更でもないので、好きなようにさせている。
 まあ要するに、リィも彼に触れられるのが好きなのだ。
 もちろん、触れることも。

 だが、そうして彼から愛情の感じられる軽い愛撫を受けても、リィの気持ちは晴れないままだ。
 顔を上げはしたものの、眉を下げていると、その額にちゅっと口付けられた。

「俺は気にしてないんだから。いつまでもそんな顔するなよ」

「ん……」

「秘密でも、それはそれでいいじゃないか」

「ん……」

 黙っていても、彼にはリィの悩みが伝わるらしい。
 普段は、突出した能力を自分の我儘を通すためにしか使おうとしないルーランだが、ことリィに関しては別で、リィの方が恐縮するほど気にしてくれる。
 けれど、そんなふうに気遣われても——否、彼がそんなふうに優しくしてくれるからこそ、リィはまだスッキリしない。
 本を閉じ、膝の上に置いて溜息をつくと、その肩をそっと抱き寄せられる。今度は頬に口付けられた。

「リィは優しいな」

 しみじみとしたルーランの声が、優しくリィの胸に染み渡る。
 けれどリィの表情は晴れないままだった。
 




 


 ことの起こりは、今日の朝。
 リィがルーランをここへ——自らの屋敷へ連れてきたことに遡る。
 騏驥であるルーランを自身の住まいに連れて来た理由は一つ。
 一月ほど前、レイ=ジンが言っていた、リィに似ているという人物——。
 おそらく祖先であろうその人物のことを調べるにあたり、彼にも手伝ってもらおうと思ったのだ。

 というのは——半分口実。

 本音は、彼を屋敷に招きたかったのだ。
 リィとルーランは、騎士と騏驥という立場の差を超え、結ばれあった仲である。
 そんな愛しい相手に、自分の暮らしているところを知ってほしいと思ったのだった。
 普段はあまり自分のことを明かしたいと思わないリィだが、ルーランに対してはそう思わなかった。
 もっと彼のことを知りたいと思うのと同じぐらい、自分のことを知ってほしかった。
 お互い立場も暮し方も違うからこそ、少しずつ知り合い、より理解し合えるようになればと思って。
 
 が。
 そうして屋敷に招いたものの、リィは当初心に決めていたように、彼を皆に紹介できなかった。
 それほど大切な相手を、ルーランのことを、執事やばあやや使用人たちに、きちんと紹介できなかったのだ。
 それが、ずっとリィの胸を塞ぎ続けていた。

 大切な相手なのだと、そう伝えるつもりだったのに。
 結局リィが言ったことといえば。

『彼はわたしの騏驥だ』

 思い出し、リィはまた落ち込んでしまう。
 あんなふうに紹介した自分を叱ってやりたい。

 全て詳らかにする必要はないだろうとはいえ、自分にとってのルーランは「ただの騏驥」ではないのだ。
 命をかけて命を助けてくれた特別な存在であり、同時に、離れることなど考えられない大切な相手なのだ。
 ただの騎士と騏驥として時間を重ねて、上手くいっていた時もあればそうでない時もあった。一緒にいたいと思うこともあれば、お互いが相手から離れたいと思ったことも。
 
 そんな、楽しいばかりではない時を超えて「それでも」離れたくないと思ったからこそ彼は特別なのだった。
 だから少なくとも、幼い頃から自分を知っているこの屋敷の者たちには彼の存在を伝えておくつもりだった……のだが……。
 
 ルーランの胸に顔を埋めたまま、また一つ小さく溜息をつくと、宥めるようにその肩を撫でられる。
  
「騏驥は騏驥なんだから、間違ってないだろ」

「でも」

「いいんだよ。いいの。ほら——もうこれでこの話は終わり。俺がいいって言ってるんだから」

「でも……」

 まだ言いかけたリィの前に、ルーランが「はい」と小さな布袋を差し出してくる。
 彼が懐から出したそれは、リィが彼のために買って贈った砂糖菓子が入っている。
 リィが目を瞬かせると、「食べさせて」とルーランは甘えるように言った。

「食べさせてよ。で、あんたも食べて。悩みすぎて疲れてるから、余計悩むんだよ」

「でもこれはお前のためのものだから……」

 お前に食べさせるのはともかく、わたしは……。

 リィがそう言うと、ルーランは首を振った。

「一緒に食べた方が美味しいんだから、そうしたいんだよ。いいじゃん、一つぐらいさ」

 そしてにっこり微笑まれ、リィもようやく笑顔になる。
 手のひらに乗るほどの袋を開けて取り出した菓子は、淡く紅色に色づいた小さな花の形をしていた。

「ほら」

 リィはそれを摘んで差し出したが、ルーランは口を開けようとしない。
 首を傾げていると、彼は意味深に微笑む。
 その笑みをしばらく見つめ、やがて、リィはさっと頬を染めた。

 まさか……。

 耳を赤くしながら睨むリィに、ルーランは再び「いいじゃん」と楽しそうに言って笑う。

「誰も見てないんだし」

「だ、だがここは」

「ここはあんた屋敷の書庫。誰もこない書庫だよ。でも書庫って言うからもっと黴臭いような場所かと思ったら、全然違うんだな。なんだか、本の読める休憩室みたいだ」

 辺りを見回しながら、ルーランは言う。
 そう。今二人がいる書庫は、いわゆる書庫らしい書庫とは少し違っていた。

 蔵書をここに集めているため、便宜上はそう呼んでいるが、倉庫のように整然と分類して並べて収納している場所というよりも、書物とともに寛ぐ場所、という意味合いの方が強い。そもそもがそういう目的で作られたらしい場所なのだ。
 そのためだろう。普通なら本には大敵のはずの日光が、ここには一部ながら入ってくる作りになっている。屋敷の離れに造られていて、裏庭を見渡せるように書庫の一部には窓があるのだ。
 今リィたちが座っている場所も、そんな陽の当たる暖かな一角だった。

 ゆったりと本が読めるような座り心地の良い長椅子が置かれ、何冊もの本を広げられて飲み物や食べ物が置けるような卓子があり、ちょっとしたサロンの雰囲気だ。
 リィも、子供の頃からここで本を読むことが好きだったから、ルーランがどう思うか気になっていたが、どうやら気に入ってくれたようだ。
 射しこむ陽が、彼の整った貌に綺麗な陰影を作る。
 
 リィは持っていた菓子を自らの口に含むと、おずおずルーランに顔を寄せていく。
 彼と親しい仲になり肌を合わせるようになってから、約一月。
 それまでほとんど無知に等しかったリィの官能は、ルーランの手によって巧みに解かれ、次第に成熟させられつつあった。それでも生来彼が持つどこか慎ましやかな有り様は変わらず、それはそれでルーランを喜ばせていたが、その慎み深さや羞恥心の強さは、こんな時にも発揮されてしまうようだ。
 リィはルーランに砂糖菓子を食べさせようと顔を近づけ、なんとか唇を合わせるのだが、そこから先がどうしてもできない。
 行為の最中なら夢中になっているせいもあってか自然と口を開いて彼を求めることも出来るのだが、まだ昼間、しかも自身の屋敷で明るい場所で……となると、薄く唇を開いて舌で菓子を差し出すことにも躊躇われてしまう。

 かといって、このままでは菓子が溶けてしまう——とリィが焦っていると、小さく笑った気配の後、ルーランが先に舌を差し出してきた。
 唇をツ……となぞられ、擽ったさに微かに喘ぐと、薄く開いた唇のその隙間に、舌が滑り込んでくる。

「ん……」

 鼻にかかった声が漏れてしまうのが恥ずかしい。
 ますます赤く頬を染めるリィの口内で、砂糖菓子がくるくる踊る。

「ん、ん……」

 どうやらルーランは、このまま菓子を分け合おうとしているらしい。
 肩を抱く腕に力が込められたのを感じ、リィは赤くなりながらも素直にルーランに身を寄せる。
 力を抜いて身を委ねると、口付けはより深くなる。
 それでいて、過剰に淫靡にならないのはルーランが恥ずかしがり屋のリィを気遣ってくれてのことだろうか。
 おかげで、なんだかリィも口づけしながら戯れているような、そんな楽しいような気分になってくる。
 
「ぅん……」

 互いの舌が行き来し、触れ合うたび、どちらのものとも解らなくなった体液もまたより甘くなっていく。小さな花の形の繊細な砂糖菓子は、今や二人それぞれに分け合われている。
 完全に溶け切るまでの僅かだが長い時間、二人は口付けと菓子の甘さの両方を堪能すると、やがて、どちらからともなく唇を離した。
 名残を惜しむようにチュ……と濡れた音が溢れ、二人を繋いでいた銀の糸が音もなく途切れる。







————————

今回は前半で、後半はHシーン入ります。
本編終了後なので、それまでの焦れ焦れ分を取り戻すように甘い二人です。
次への橋渡し的な話題も出てきますが、それはさておき甘々です。
書いていても、幸せな二人を書くのは楽しいです。
どうぞよろしくお願いいたします。
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