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66 彼は騎士である。だから傍らにはいつも騏驥がいる——もう二度と離れない——

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「…………」

 そこに佇む騏驥を見つめたま、リィは声をなくした。
 来る、と思っていた。
 届く、と思っていた。

 理由もなく。
 根拠もなく。
 けれど必ず。

 彼なら——と。

 でも。

 でも——。


 実際に馬体を目の前にすると、驚きに声が出なくなってしまう。

「ルーラン……」

 張り付いていた喉を引き剥がすようにしてようよう呟くと、騏驥は応えるように小さく嘶く。
 鬣が、ふわりと靡く。

「……ルーラン」

 本当に来たのか。
 来たのか。本当に、ここに。
 私の元に。

 私は、一度はお前を手放してしまったのに。

「ルーラン」

 私は、お前の騎士であることを自ら放棄したのに。
 来たのか。
 来て、くれたのか。

「ルーラン——」
 
 嗚咽のように名を呼んだきり、リィはそれきり何も言えなくなった。
 込み上げてきた想いに胸を塞がれ、声が出なくなってしまう。
 何か言わなければと思うのに何も言えず、舌が震え、頬が震え、彼を見つめることしかできなくなる。
 
 そんなリィに対し、ルーランはその背後を一瞥すると、そこに脚をねじ込み、リィと壁を繋ぐ拘束を踏み潰す。
 自由になるリィの腕。
 鋼の如き蹄に踏み砕かれ、拘束具は粉々になっている。

 リィはゆっくりと立ち上がると、自由になった手で自らの騏驥に触れる。
 途端、耐えられず涙が溢れた。

 騏驥に会えただけで涙を見せるなんて。
 この騏驥にずっと揶揄われるかもしれないのに。

 想ったのはほんの一瞬で、ルーランの温もりを掌で感じると、そんなこと、もうどうでも良くなった。

 本物だ。
 本物の彼がここにいる。

 それだけで、他のことはもうどうでもよくなった。

 誰かがこの涙を嗤うなら好きなだけ嗤えばいいのだ。
 今自分が感じているのはこの上ない幸せで、喜びで、だから泣くことを恥だとは思わない。

 もし彼が今後一生揶揄うならそれでもいい。
 その度に言う。言ってやる。何度でも。
 お前に会えて、自分はそれほど嬉しかったのだ、と。

「ルーラン……」

 私の騏驥。
 私の騏驥。
 私の騏驥だ。

 手を伸ばして頬を撫でていると、馬の姿の彼は気持ちよさそうに目を細め、リィに顔を寄せてくる。
 鼻先を近づけてきたかと思うと、囚われていた辛さを慰めてくれるかのように、頬擦りしてくる。
 馬の、人よりも高い体温。温もりが、香りが、胸の中まで染み渡るようだ。

「ルーラン……!」

 声を上げ、たまらずその顔を抱き寄せ自ら頬を擦り寄せると、そっと涙を舐められ、また涙が溢れた。

 会いたかった。
 会いたかったのだ。せめてもう一度、お前に。
 
 呼吸のたびに涙が零れる。
 鼓動のたびに涙が溢れる。

 会いたかった——。

 リィは何度も胸の中で繰り返すと、ルーランの名前を呼び続ける。
 全身の肌が粟立つようだ。
 こんなに嬉しいと思ったことは、他にない——。





 
 けれどそうして再会の喜び噛み締める時間はわずかだった。

「おい、なんだ今の音は!?」
「何があった!?」
「確かめろ、早く!」

 リィの耳に、男たちの大声が届く。
 辺りが俄かに騒がしくなる。
 ルーランが壁を壊して侵入したことが知れ渡ったのだろう。

 あちこちから男たちの胴間声が聞こえてくる。
 おそらくリィを取り囲んだ男たちだ。
 ここにもすぐにやってくるに違いない。
 そして、リィを捕らえた仮面姿の首謀の男たちもやがて——。

(あいつらがきたら厄介だ)

 正体はわからないものの、彼らが魔術を使うことはほぼ間違いないだろう。
 となれば、ルーランも影響されてしまうかもしれない。ダンジァのように。
 ならば彼らが姿を見せる前にここから逃げ出さなくては。

「!?」

 そう思っていた矢先、ルーランが壊したはずの壁がみるみる形を変えていく。
 次々勝手に組み上がり、修復され、外へ繋がっているだろう道を塞いでいく。
 
 何が起こってる?
 
 これもあの男たちの魔術なのか。それとも、やはりこの牢自体が何か「おかしいもの」なのだろうか?

 いずれにせよ、やることは一つだ。

「ルーラン!」

 逃げるぞ、と呼び掛ければ、彼はそのつもりだったかのように大きく嘶く。
 
 おそらく、彼には既に聞こえていたのだろう。男たちの騒ぎが。壁の異変にも気づいていたのかもしれない。
 それでもしっかりとリィとの抱擁を続けたのはさすがだ。
 何か起こっても自分なら対処できると自信があってのことなのだろう。

 ならば、その自信を実現させろ。

 リィはルーランに示された通り彼の首にかけられている袋を取ると、中から手綱を取り出す。
 彼に繋ぎ、彼の背に跨った。

 瞬間。
 あまりの快感にぞくりと背が震えた。

 こんな時なのに、彼の背は相変わらず格別の感触だ。
 改めてそう感じる。
 他に比べられない特別な乗り心地。一瞬で全身が歓喜に震えるほどの。

 リィはその特別な背の感覚をしみじみと味わいながら、

「ルーラン、行くぞ!」

 彼の騏驥に向けて声をかける。
 今までのように。
 いつものように。

 するとすぐさま、

<ああ>

 と手綱を通して返ってくる。
 楽しそうな声だ。
 彼らしい声だ。そのことに、リィは心からの安堵を覚える。

 大勢の男たちの声が近づいてくる。
 荒い足音が近づいてくる音がする。


 構わず、リィはルーランの腹に脚を入れた。
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