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48 再遠征

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◇ ◇ ◇ ◇ ◇



「ダンジァ、もう少しゆっくり行こう。周りの騎兵たちと足並みを合わせたほうがいい」

<は――はい>

 なるべく優しく、穏やかにそう伝えると、鞍下の騏驥はすぐに歩むスピードを緩める。
 その反応の良さを褒めるように二度、三度と軽く首を叩いてやると、緊張のためか固くなっていたダンジァの動きが次第に柔らかなそれに変わる。
 今回の遠征のパートナーである騏驥の素直さに、リィは鞍上でほっとしつつ小さく微笑んだ。

 初めての実戦、それも遠征だからだろう。
 普段から真面目な彼は一層緊張し、そのせいで動きも硬くなりがちなようだ。
 きっとこうして宥めても、気付けばまたぎこちない動きになってしまうのだろうが、それは仕方ない。慣れの問題だ。
 それでも次第に外の雰囲気に順応してきているし、こちらの指示は相変わらず忠実に守る。
 少し急ぐときも今のようにゆっくりのときも、しっかりとした歩様で歩いているし、休むべきときには休み、きちんと食事を摂るといった、長旅への備えも自然と出来ている。

 やはりいい騏驥だ。

 歩くたびに揺れる、ダンジァの鹿毛色の鬣。
 つやつやと輝いているそれを見ながら、リィは胸の中でひとりごちた。
 よく手入れされている馬体からは、彼が調教師や厩務員からも大切にされ、期待されているのがよく伝わってくる。
 まだ若い騏驥と初めての遠征ということで、リィの側にも少し不安があったが、この分なら杞憂に終わりそうだ。

の初陣のときは大変だったからな……)

 今までの遠征ではいつも一緒だった騏驥——ルーランとの初遠征のことを思い出して、リィは微かに苦笑する。


 彼と初めて王都を離れ、遠征に出たのはもう随分前のことだが、あのときのことはまだはっきりと覚えている。
 危険な騏驥として有名で、ほとんど誰も乗っていなかった彼だから、普段調教場で騎乗して調教をつけるときからして暴れて大変だったのだが、外へ出るとそれは一層で、御すのに相当手を焼かせられた。
 すぐあちこちに行きたがって、道なりに歩かせるだけで一苦労で……。

 いつどんなに暴れても必ず御せるようにと、ついつい手綱を強く握りすぎていたせいで、下馬した後もしばらくは手が強張ったままだった。

 あまりルーランが暴れるもので、遠征中は、リィとルーランの周りには他の騎士も騎兵たちも誰も寄ってこなかったほどだ。
 下手に近寄って巻き添えを食って、蹴られでもしたら堪らないと思ったのだろう。
 懸命な判断だ。

 そのぐらいルーランは暴れたし、協調性の欠片もなかった。

 それでも、恵まれた体躯と運動神経を活かして縦横無尽に暴れられることが嬉しかったのだろう。
 敵が現れてからの彼の働きは目を瞠るほどで、その遠征でリィは初めて誰もが認めるほどの戦功を上げることが出来たのだ。

『俺様のおかげだってことをちゃんと覚えておけよ』

 偉そうに、自慢げに、そして嬉しそうに言っていたルーランの顔や声は、まだ胸に焼き付いている。
 
 だが、今回の遠征に彼はいないのだ……。
 彼との最後のやりとりを思い出すと、今も胸が軋むようだ。
 リイは胸の中で密かに溜息をついた。







 彼の馬房から去った、翌々日。
 実はリィは、再び西の厩舎地区を訪れていた。
 ルーランの馬房に行ったわけではなく、彼に会いに行ったわけでもない。
 
 ルーランを管理している調教師からのたっての希望で、ジァンも交えて話す時間を持つことになったのだ。
 要は——なんのことはない、ジァンは、ルーランが遠征に出ることを断った件をどこからか聞いたのだろう。
 そのため、調教師に頼んでリィと直接会う機会を設けようとしたのだ。

 想像通り、調教師の部屋で三人が揃うや否や、部屋の主は早々に席を外し、そこには二人だけになった。
 途端、ジァンはすぐにリィに頭を下げた。

 詳しいことは知れていないが、ルーランが遠征参加を断ったことは聞いた。
 あなたがせっかく騎乗を希望してくれたのに本当に申し訳ない。
 なんとか自分が説得するから、あいつに騎乗してもらえないだろうか——。

 彼が語ったのは、そんな内容だった。


 ジァンのことは、リィも騎士になる前、騎士学校の時代からその存在を知っていた。
 育成施設におけるリードホースのように、厩舎で現役の騏驥たちの支えになっている特別な存在の騏驥。
 一線を退いてはいるが元・王の騏驥であった影響力はいまだに大きく、調教師にも騎士にも顔が効き、騏驥との調整役として欠くことのできない存在なのだ、と。


 そんな彼が自分の前で頭を上げていることに、リィは胸が痛むのを感じた。
 今回のことは彼のせいではないのだ。
 無論リィのせいでもない。そしてルーランのせいでも。

 だからリィは彼を見つめて、なるべく淡々と話した。
 今回のことは仕方のないことなのだ、と。
 ルーランを責めるつもりはなく、むしろ彼の気持ちを理解できず、解きほぐせなかった自分が至らなかった。
 遠征に参加できない理由も、それなりに辻褄が合うように医師に頼むつもりだから、むしろ仮病だとばれないようにこそ気をつけていてほしい、と。


 リィがそう言うと、ジァンは本当に申し訳なさそうにまた頭を下げた。
 だが、顔を上げると言ったのだ。

『あと一日。あと一日だけ待ってもらえませんか』と。

『遠征前で忙しいことはわかっています。代わりの騏驥を選ばなければならないなら、早い方がいいことも承知しています。けれどあと一日——』

 明日まで判断を待ってもらえないか、と。

『説得します』

 必ず。

 ジァンは言った。

『ルーランだって、本当はわかっているはずなんです。どうすることが自分にとって一番いいのか。わかっているはずなんです。ただどうにも捻くれているというか……それを認めようとしないだけで』

 ですからどうか——と。



 だからリィは、彼の意を汲んで一日だけ待った。
 無理だろうと思いながら、それでもジァンがこれだけ頭を下げているのだ、無下にはできなくて。




 そして今、リィはダンジァの背の上にいた。  
 
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