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16 魔術師の館訪問 騏驥は目がいい耳がいい

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「にしても、相談に来て頼まれごとをする、ってあんたってホント……」

 語尾を濁しても、言いたいことは伝わる。
 リィは「黙れ」とルーランを睨んだ。

「無理強いされたわけじゃない。まだ『やる』と決めたわけでもない。仮にやるとしても問題ない。口を出すな。お前に何かさせるわけじゃない」
「ま、そうだけど」

 そうだけど、立ち回り上手くないよな——小声で続けるルーランは、リィの視線を避けるように顔を逸らす。
 今、リィの傍を歩く彼は、馬の姿の時を思わせる速さと美しさだ。
 少し見ただけでも、姿勢の良さと足運びの確かさが見て取れる。
 優秀な騏驥なのだ。そして美しい。

 荒削りだが、内側から発光しているかのような生命力は言葉にできないほどの引力がある。本能に訴えかけてくる魅力だ。誰もを魅了するもの。
 それに黙っていれば、そこそこ品よく見えないこともない。
 恵まれた体躯のせいもあって華やかで見栄えがするから、例えるなら地方貴族の奔放な三男坊、と言った風情だ。

(だが、わたしは彼の本当のことを何も知らないのだな……)

 時折、隣を歩く男を見ながら、リィは思う。
 彼の背に乗り、何度も命を預かり——預けてきた関係なのに、彼の背景についてはほとんど知らないままだ。

 ただそれは、ほとんどの騎士がそうだろう。
「どうしても知りたい」と騎士が希望すれば、騏驥の履歴を知ることもできると聞くが、それは効率的な騎乗のためにどうしてもその情報が必要である、と判断された場合のみらしく、重ねて言えば、そんなことを希望したことのある騎士をリィは一人も知らない。
 自分が兵器として使い、鞭で叩いて言うことを聞かせる相手の詳細など、知りたくないということなのだろう。
 そう——知らないままの方がいいこともある。

 知っているのは——。

 彼は騏驥である自らを嫌って。騎士を嫌って。
 手に負えないほどの気性の悪さで。
 なのにどんな騏驥よりも素晴らしい能力を持ち、乗ればリィに喩えようもないほどの心地よさを与えてくれる男だということだけだ。
 手離せなくなるほどの格別の乗り心地。
 けれど、それと名前しか知らないような——そんな男。

 彼は相変わらず綺麗な足運びで、自らの気の赴くままに歩いている。
 急いでいても騎士よりも少し後ろに控えるとか——そんなことなど全く頭にない動きだ。
 無礼で身の程知らずで——けれどリィにとってはかけがえのない……。

 そうしていると、ふとこちらを向いたルーラン目が合う。

「? なに?」

 彼が言った。

「何がだ」
「ずっとこっち見てたから」
「……見てない」
「見てたよ」
「……」
「見てたろ?」
「……」

 リィが答えずにいると、ルーランは苦笑する。
 
「まあいいや」

 ポツリと、零すように言った。

 何が、と今度はリィが伺うように見ると、ルーランは小さく笑って言った。

「嫌じゃなかったから、まあいいかって思ったんだよ。じろじろ見られるのは好きじゃねえけど、あんたはまあ……」
「? どうした」

 言いかけた声が、途中で止まる。
 リィが尋ねると、ルーランは「なんかいる」と前を指した。
 目を凝らす。確かにずいぶん先の方に人の姿らしきものがある。が、それが?

 リィが訊くより早く、

「こっち見てる」
 
 と、ルーランが言った。
 そこまではリィにはわからない。
 だが、ルーランはすぐに首を捻るような様子を見せる。

「なんだあれ……なんかよく解らない形だぞ」
「私にはお前の言っていることの方が解らないが」
「変わるんだよ、見た目が」

 首を捻りながらルーランは言うが、リィはピンと来た。

「師だ!」

 慌てて駆け出す。
 今日の訪問予定の時間にはまだ余裕があったはずだが、学生時代にいつもリィが訪ねていたときは少し早めに行っていたから、もしかして気にして迎えに出て来てくれたのかもしれない。
 遠目の効くルーランの目に見えていながら、姿がしかと解らなかったのは、きっと魔術のせいだ。師ほどの魔術師になると、相手や距離によって自分の見え方/見せ方を変える事ができる。

「乗せてやろうか?」

 すると、焦って走るリィの傍、ルーランが笑いながら言う。
 
「あんた自分の足で走るなんて久しぶりだろ。疲れて明日は足がガクガクになるんじゃねえの。そんなので調教したら落ちるぜ」
「……」
「機会があれば落としてやろうと思ってるような騏驥もいるだろうし?」
「自分の立場をわかっていないそんな馬鹿に落とされるほど下手じゃない。それに走るのは久しぶりじゃない。余計なことを言っていないで、お前は自制することに努めろ。カドランド師は——」
「わかってるよ。『貴重な時間を割いて会ってくれる』んだろ? 俺だってあんたが尋ねようとしていることは気になってるからな。邪魔する気はないよ」
「……」

 本当だろうな、と睨むと、描いたような笑みが返ってくる。

(信用ならない……)

 不安になったものの、今更帰らせるわけにはいかない。
 そうしていると、やはり前方に立っているのは師だと判明した。
 小柄な老人がこちらへ向けて軽く手を上げる。
 銀糸の刺繍が施された、黒鳶色の美しいローブ。

 リィはゆっくりと走り止め、無理やり息を整えると、

「お久しぶりです」

 師の前で丁寧に頭を下げた。

「今日はお時間を作っていただいてありがとうございます。もしかして、お気を遣わせてしまいましたか。もう少し早く来るつもりだったのですが、その、色々と……」

 恐縮しながらリィが言うと、師は「いやいや」と笑顔で首を振った。

「時間にはまだ間があるだろう。実はこちらはこちらで思わぬところで引き止められてしまってな。もうお前が来ているのではないかと慌てて部屋へ戻るところだったんだが……。ふと見たら姿があったのでな」
「そうだったのですか」
「ああ。にしてもよく気づいたものだ。それの目か」

 師の目が、リィの後ろ、ルーランに向けられる。
 リィは「はい……」とやや小さく頷いた。
 訪問にはルーランも連れて……ということは伝えていたが、本来遠征以外でそうそう厩舎地区から出すことのない騏驥を連れてきてしまったことに気まずさは感じているのだ。
 しかも、ルーランの評判は耳にしているだろう。
 迷惑に思われていなければいいが、と伺うと、師は「うんうん」と笑顔で頷いた。

「やはり騏驥は違う。かまわんよ、一緒に来なさい」
「は、はい」

 ほっとしながら、リィは師の後に続く。
 しかし「ついてこい」と言うつもりでルーランに目を向けたとき。
 リィは戸惑いに瞠目してしまった。

 彼は、それまで見た事がないような、冷えた、感情の削げ落ちたような貌をしていたためだ。

「——おい」

 俄かに不安を覚え、リィはルーランに寄ると嗜めるように声をかけた。

「本当にわかっているだろうな。大人しくしておけよ」

 小声で口早に言ったその言葉に、ルーランは「わかってるよ」と応えた。
 普段の彼の声よりもぶっきらぼうなそれだ。
 話したくないような——または最大限警戒しているような。
 だがリィを見るとふっと表情を緩めた。

「ご心配なく。あんたから許しがあるまでは口挟む気はねえし」
「……ん……」

 リィは肯く。だが本当はもっと訊ねたかった。
 だったらなぜ、そんな目で師を見るのか、と。
 そんな——張り詰めたような気配なのか、と。

 だが、ここでそれを早急に問う必要も意味もなく、リィは気になりつつもルーランの側を離れ、カドランド師に並んで歩く。

「今までは、学校のほうに?」

 道すがらの話に訊ねてみる。
 師は、騎士学校のほか王立学校でも魔術を教えている。
 と、師は「ん」と頷いた。

「王立学校の方にな。予定では普通に講義を終えて戻ってくるはずだったんだが、どうしても儂に話があるという騎兵に帰り際に捕まって、えらく時間を食ってしまった。お前を待たせなくてよかった」
「騎兵、ですか」
「なんでも遠征先で妙な事があったとかで、魔術が関わっているのではないかと気になったらしい」
「え……」

 一言零し、リィは息を呑んだ。
 それは、自分が今から相談しようと思っていたことと同じことではないのか?

(…………)

 まさかと言う思いと、ひょっとしたらという思いが錯綜する。

 そうしているうち、師の部屋がある研究棟に辿り着いた。
 棟、といってもそう呼ばれているだけで、見た目は大きな館だ。
 師以外にも何人かの魔術師が研究用や実験用の部屋を持っているらしく、そのせいで館全体が複数の魔術の混合体のようになっている。
 生徒だった時は、「研究棟を訪問するときは必ず教官から紹介状という名の魔術護符をもらってから行くように」と言われていた。
 リィは何度か質問に通ううち、師から専用の護符を渡されたが、それを持っていても毎回緊張してしまう場所だ。

 古い大きな扉を押し開き、嵌め込まれた石と木が複雑な模様を描く床に並んで足を踏み入れながら、そろそろと、リィは切り出した。

「その……実は、私も同じようなことを伺いたいと思っていたのです」
「ほう。そうであったか」
「はい。その騎兵の方というのは、差し障りなければお名前を伺っても……?」
「ルュオインだ。知っているか?」
「! ——はい!」

 思わず声が大きくなる。
 吹き抜けの階段に響き渡り、リィは赤面した。
 ルーランに振る舞いを気を付けろとあれだけ言っておいて、自分がこんな失態をするとは……。
 その代わりというわけではないが、そっとそっと階段を登る。元々、ゆっくり登る師に合わせて足並みはゆっくりだ。
 背後で笑いを堪えているような声がしたが、聞かなかったことにする。

「知っているのか」

 カドランド師に訊かれ、リィは「はい」と今度は適切な音量で応えた。

「騎士学校のヴォエン正教官に紹介していただいたんです。その後も遠征で一緒になった事が」
「ほう」

 なるほどなるほど、と師は頷く。
 リィはそれを見るともなく見つめながら、ルュオインの話も聞いてみたい、と思い始めていた。
 自分と同じことを経験したのかはわからないが、なんとなく引っかかる。
 とは言え、どうすればいいのか。
 ここで一緒に話ができれば——自分もまた彼から話が聞ければ、似ているか違うか、関係があるのかないのかを一度に検証できるだろう。
 でも師はすでに彼の話を聞いているだろうし、そもそも自分のような客の立場でそんなことを頼むというのは……。

(後日改めて彼を訪ねた方がいいだろうか)

 階段を登りながら考えていると、

「なあ」

 突然、後ろからクイと服が引っ張られた。
 思わず足を止めてしまう。
 背後にいるのは一人しかいない。
 バランスを崩すほどではないとはいえ、「危ないだろう」と振り返ると、ルーランはパッと手を離して苦笑した。
 
「悪い。で、悪いついでに頼みがあるんだけど」
「……謝罪のついでに頼み事をする神経がわからないのだが」
「まあまあ」

 再び階段を登るリィの後をついてきながら、ルーランは言う。

「その、なんとかの話、これから聞けないの」
「!? お前……また人の話を……!」
「いやあ、まあそうなんだけど」
「『けど』じゃない!」

 声を潜めて叱ったつもりだが、静かな館にはよく響く。
 ああもう、とリィが思った時。

「手を焼いておるな」

 笑いながら、師が言った。だがその声は温かだ。
 師は恐縮するリィに「良い良い」と微笑むと、

「騏驥は話が聞きたいのか」

 ゆっくりゆっくり階段を登り続けながら、背中越しに言う。
 ルーランが「答えていい?」という目でリィを見る。
 リィは頷いた。この場合、答えない方が無礼だ。
 とはいえ、言葉遣いには気を付けてくれよ、と祈りながら。
 
 
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