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7 ここではお静かに

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 途端、ほんの僅か、ぴくりとルーランの頬が震える。
 彼の警戒心——もっと言えば敵愾心のようなものが瞬時に上昇したのがリィにも伝わってきた。

(っ——)

 思わず彼の手を掴んだ。



 一般的に。
 騎士と騏驥では騎士が主で騏驥が従——。
 明確な上下があるとは言え、本来、その騏驥を連れている騎士——この場合ルーランにとってはリィだ——がいる場合、それ以外の騎士が騏驥に干渉するのは御法度だ。
 極端な話、連れている騎士がその責任を全て負うのであれば、連れられている騏驥はどう振る舞っても構わない。
 と言うか、騏驥の振る舞いの責任の全ては、そのとき連れている騎士が追うことになっているのだ。
 だから普通、騎士は、自分の以外の騏驥に何かを忠告することもなければ叱ることもない。その過干渉は、結局、騏驥を連れている騎士への侮辱にもなりかねないからだ。

 それは誰でも知っている。
 リィも、もちろんGDも。そして干渉される側のルーランも。

 だからルーランに「指示」したGDはその禁を破ったことになる。
 なるのだ——が。

(お前が憤ることじゃないだろう)

 いや、普段から好き勝手しているルーランのことだから、自分のやることに他人から口を挟まれる事が心底嫌なのだろう。
 しかも相手が騎士の見本のようなGDだ。

 ルーランがリィだけでなく騎士そのものを嫌っていることはよく知られている。

 だとしても。
 ここでGDに言い返すべきはリィであって、騏驥ではないのだ。
 しかも相手は……。


 そして何より、そもそもGDがわざわざ憎まれ役を買って出てくれたのはお前が原因なんだが!?


 リィは、思わず掴んでしまった手を離せないまま思う。

 人の姿の時はほとんど触れることのない彼の身体。
 馬の姿の時は彼の背に跨がるような真似までしているのに不思議なものだ。


 思っていたより体温が低い。
 けれどそれは、馬の姿になれば人より高い。

 思っていたより筋張っていて硬い。
 けれどこの手足は、馬の姿になればそれを目にしたどんな騎士も息を呑むほどしなやかに柔らかく動く。

 思っていたよりさらりとしている。
 けれどこの肌は、馬の姿になれば信じられないほど薄く、騏驥たちの中にいても一目でわかる、艶のある毛色に変わる。*

 特別な、毛色に変わる。

 特別な、緑色の騏驥。

 乗るたびに抑えられないほどの悦びが突き上げてくる、あの——。

 刹那、騎乗したときの心地よさが総身に蘇る。
 ぞくりと背が震えた。


(!)


 直後、リィは我に返ったかのように、慌てて手を離した。

(ありえない!)

 王城で!
 人前で!

 自分はなにを考えているのか。

「ぁ……その……GD……」

 リィは内心の動揺を隠しながら、ひとまずGDに何か言わなければと声を押し出す。
 と言っても、彼が自分のためを思ってルーランに言ってくれたことはわかっているので、「干渉するな」と文句を言う気もない。もちろん侮辱されたとも思っていない。
 彼がそういう人間ではないことはリィはもうよく知っている。
 だがそんなリィと対照的にルーランの気配が剣呑なものになってしまったのは彼にも解っているだろう。

 ならばさて。
 口火を切ったものの、この後どう続ければいいものかと困っていると、

「下がれ、ルーラン」

 リィが続けるより早く、GDが再び言った。
 形は指示だが、さっき同様の柔らかな、穏やかな口調だ。
 ルーランの視線を正面から受け止めたまま、優雅に微笑んで続ける。

「君にそこにいられると、相対的にわたしはもっとリィに近づかなければならなくなる。——構わないかな?」

(ん?)

 それはどういう……。

 リィが混乱しつつ目を瞬いた直後。

 それまで言うことを聞かなかった上にGDに対して不遜とも言える態度をとっていたルーランが静かに引いた。
 しかも——一歩!

 それも大きく!
 一歩!

(お前……っ……)

 人が必死で押した時にはびくとも動こうとしなかったくせに、「半歩でいい」と言ったGDには……。

「い、今のはどういうことだ!?」

 リィは思わずGDに尋ねていた。

 ルーランはGDを嫌っていたはずなのに!
 なのにどうしてあんな——よくわからない言葉で言うことを聞くんだ!?

 と、GDは微笑みを深めて言った。  

「でかい男たちがわざわざ密集する必要はないだろう、ということだ。王城は回廊も広い。もう少しゆったり余裕を持って話したところで、問題はないだろう」
「…………」
「ないだろう?」
「それは……まあ……」
「ルーランもそれに気付いたと言うことだ。それよりも失礼した。余計な口出しを」
「い、いや。そんなことは」

 何だかよくわからないままなのに、ルーランへの指示を謝られてしまうと恐縮してしまい、リィは「気にしないでくれ」と返事をするしかない。
 そんなリィにGDは「よかった」と笑う。
 そして話題を変えるように言った。

「それはそうと——よければあとで改めてゆっくりと話を聞かせてくれ。本当ならすぐにでも聞きたいところだが、ここで聞くのももったいない。なんでも目を瞠るほどの奮闘ぶりだったそうじゃないか」

 期待に満ちた声でGDが言う。
 その奮闘ぶりのせいで反省文を書くことになってしまったリィは返事に窮するが、GDは弾む声で続ける。

「聞いた話では、騏驥や騎士を初めて見た者たちはその凄さに驚いていたようだぞ。随分興奮していて、王都に帰って来るなりあちこちで話してる。騎士になるために騎士学校に入学したいと希望している者もいるそうだ」

「…………」

 自分のことのようにリィの活躍や戦果を喜んでくれているGDに、照れくさくなる。
 だが同時に、「そんなに褒めないでくれ」という申し訳ないように気にもなってしまう。

 結果はどうあれ、リィがやったことは与えられた仕事からの逸脱行為だ。
 もし自分が指揮する側だったらと想像すると、決して褒められたものではない。

 ルーランが全滅させるより早く本隊が到着したために、隊全体としてもなんとか面目が立ったものの、そうでなければ隊長の面子を潰しただけの帯同になってしまうところだった。
 手柄をあげるために遠征しているとはいえ、今回は助っ人として同行した以上、指揮官の面子を潰せば逆にマイナスになるに決まっている。

(それに……)

 リィは今回の交戦の詳細について思い返す。

 それに、あれだけ戦っても、結局相手の正体がつかめないままだった。

 ほとんどが歩兵だったが、騎兵もいたし、それなりに訓練された賊たちだった 
 だが砦の築き方や兵たちの風体には一貫した特徴がなく、言葉も複数のそれが飛び交っていたように思う。
 いわゆる、「寄せ集め」風ではあったのだ。
 それでいて武器は充分戦闘に足るもので、どうにも掴みどころがなかった。

 そもそも、なぜあの規模の砦が見つけられなかったのかわからないし、ルーランが察知した「援軍」の存在も腑に落ちない。
 結局、その援軍は途中で引き返したのか交戦することはなかったが、いったい誰がどこから賊を率いてきているのか……。

(それに、わたしが森を探らせていた斥候たちは……)

 無事ではあったが、結局、何も見つけることはできなかったようなのだ。
 戦闘後に話を聞いたところによれば、賊の砦らしきものを見かけたものの、そこから記憶が曖昧らしい。

(どういうことだ……?)

 全て釈然としない。
 思い返してはついつい考え込んでしまっていたせいだろう。

「……リィ……? どうした?」

 気づけば、不安そうな顔のGDに肩を揺さぶられる。
 リィは慌てていつの間にか俯いていた顔を上げた。

「す、すまない。ちょっと、その……」

 考え事を、と言いそうになって言葉を飲み込む。
 さすがに「対話中に考え事を」とは言えない。
 すると、GDはリィが疲れていると勘違いしてくれたらしい。

「いや、こっちこそ引き留めて済まなかった。ゆっくり疲れを癒してくれ」

 話はいつでもいい、と気遣うようにそう言うと、彼は「じゃあまた」と軽く手を挙げて去っていく。
 そのすぐ後を、レイ=ジンが影のように付き従っていく。
 もちろん、優雅にリィに頭を下げてからだ。


 遠巻きにリィたちを取り囲んでいた女性たちが一斉に、はぁっ……と息を漏らしたのが聞こえる。
 息をするのも忘れてGDを見つめていたのだろう。

 リィもふっと息を吐き、再び歩き始めたとき。

「相変わらずムカつくぐらい男前だな、GDは」

 背後からルーランが言った。
 騏驥が騎士を評すようなことを言うな、とリィは眉を寄せたが、見えていないからかルーランは構わず続ける

「あいつ、めすの騏驥たちにもモテモテだからなあ。ま、あのスカした黒いのがくっついてる限り近づけてやしねーんだけど」
「他の騏驥についてもあれこれ言うな!」

 たまらず、リィはとうとう足を止めて振り返った。

「どうしても話がしたいならさっさと厩舎に戻れ!」

 リィは騏驥たちが普段暮らす厩舎の方角を指しながら言う。

 馬であり人である彼らは、暮らせる場所が制限されている。
 育成から馴致という調教と訓練を経て、人から馬へ、馬から人への変化を自分でコントロールできるようになっていくとはいえ、その制御が完全ではない彼らは、ふとしたはずみで馬の姿に変わる可能性がある。

 馬の姿になればその大きさはもちろん、食事も動きも変わってしまうため、人と同じ場所で生活はできず、それに適した施設で過ごさざるを得ないのだ。

 だが裏を返せば、そこは騏驥ばかりが住む場所だ。
 調教師や世話をする厩務員も常時詰めているとは言え、噂話をしたいならそこですればいい。
 とにかく、こんなところでいつまでも彼と一緒にいたくはないのだ。

 しかしルーランはリィの言葉に不満そうな顔を見せる。

「……なんだ、その顔は」
「ん? ……いやぁ」
「なんだ、はっきり言え」
「いやぁ、ほら、危険なお仕事をしたご褒美はないのかな、ってね」
「は?」

 褒美?
 誰に?

「……罰の間違いじゃないのか」

 お前のせいで反省文を書く羽目になったのだが。
 王城内ということを考慮して声を荒らげないようにしているが、叱りつけたい気持ちでこめかみがぴくぴくしてくる。

 落ち着かなければ、と髪をかき上げたものの、ニヤニヤした顔が目に入ると、やはり苛立ちが募ってしまう。

 一つ息をつくと、リィは「忘れたのか?」ことさら優しく言った。

「褒美ならもうやっただろう。戦闘が終わって本隊に戻ったときに——」
「あんな餌、ただの回復剤だろ。不味いし、味気ねえし」
「…………」

 どうやら、彼は戦闘後に与えた特別飼料だけでは不満だったらしい。

「……それなりに高価で効果の高いものを与えたつもりだが」
「あんたが俺のためだけに考えて配合して、飼い葉桶に手ぇ突っ込んでかき混ぜて作ってくれた物ならなんだって食うよ。でも違うよな」
「優れた調教師から伝えられた秘伝の配合を隊で一番の馬飼に伝えて作らせたものだ。餌については、わたしより彼らの方が専門家だ」
「は」

 今度は、ルーランが短く声を零す。

「だから——」

 ルーランが、苛立ったように一歩近づいてくる。
 思わずリィが下がると、弾みでトン、と壁に背中が触れる。
 迫ってくるルーランの身体を、鬱陶しい、と押しのけようとしたとき。

「おやおや」

 どこからか、粘ついた不快な声がした。








—————
*皮膚の薄さは良い馬の特徴の一つと言われる。人でいうところの「透明感のある肌」のような感じ。
また、毛並みの艶は美しさとともに健康状態の良好さを判断する基準の一つ。
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