上 下
4 / 29
1,2,3,4,5,5.5

長北吉男1 ※グロ表現あり

しおりを挟む
「おっちゃん」

 その呼びかけに、長北吉男ながきたよしおは声の主を見た。
 グレーのスエットパーカーに、雨の跡が沢山付いた、大学生くらいの若い男だった。彼もまた、この大雨に遭ったのだろう。

「また会ったなあ」

 男の顔に見覚えの無い吉男は、怪訝な顔をした。人違いか?男は気にせず続けた。

「結局、おっちゃんは何もせんかったんだな」

「何や? お前、誰かと間違えてるぞ」

 男はビニール傘を手に、こう言った。

「…終わりやで」

 その言葉に、吉男は不気味さを感じた。男は煙る様な雨の中へ消えて行った。



 吉男は疲れていた。

(俺の人生、どこで間違ったんだろう)


 吉男は父親の設立した『長北製作所』の2代目社長だった。
 農機具や生活用品類の修理を主にやっていたが、戦後の高度経済成長の波にのまれ、先代社長時代に1度廃業の危機に陥った。

 だが、吉男の提案した農業機械等の部品製造への転換を経て、危機を脱したのだ。
 会社は順調に大きくなり、工場も2つ出来て従業員数も400人を超えた。
 県内でも有数の中小企業に成長したさなか、ある時から歯車が狂いだした。


 始まりはバブルの崩壊だった。地方企業と言えども、日本の中心からドミノ倒しの様に不況の波を食らった。

 農業離れ、円安、平成大凶作…。会社の売り上げは大きく落ち込み、人件費削減の為のリストラを決断せざるを得なかった。
 リストラ対象者の1人が社内で首を吊り、売り上げだけでなく評判もガタガタになった。

 妻がノイローゼになり、拝み屋を頼った。『先祖供養』『土地のお祓い』等をしているさなか離婚届を残し、妻は拝み屋と共に祈禱料800万を持って蒸発した。


 2人の居場所を探偵を使って調べ上げ、乗り込もうとした矢先に阪神淡路大震災が起きた。
 2人を含め沢山の友人知人を亡くし、会社と工場、吉男が設計した100坪の自宅も、全て無くなった。
 元から赤字だった所への震災の打撃で、会社の立て直しは不可能となった。業務は関連企業へ譲渡し、会社は事実上倒産した。


 現在の吉男は、『長北製作所』時代に取引していた会社に嘱託職員として置いてもらっている。
 400人もの人間を束ねていた男が、今はただの電話番だ。

 庭師に整えてもらった植木を眺めつつ、8畳の書斎で高級ウイスキーを飲んでいた男が、今や6畳2間の仮設住宅で週末に缶酎ハイ。

 自宅の再建も、負債持ちの吉男は審査が通らず、幾ばくかの金と共に土地を手放さざる負えなくなった。


 けれど、吉男には新たな希望もあった。昨年生まれた初孫の存在だ。
 震災の翌年に生まれた孫の成長ぶりを見るのが、最大の生き甲斐であった。

 初孫:あきらの為なら、つまらない仕事も頑張れたし、疲れた日の子守も喜んで出来た。


 吉男はコンビニでスポーツドリンクを買うと、急いで軽自動車(社長時代は高級セダン)へ戻った。
 晶が高熱を出していた。後部座席で毛布に包まる晶は咳をした。吉男はスポーツドリンクにストローを挿すと、声を掛けた。

「あーちゃん、ゆっくり飲んで」

 咳き込みつつ50㏄ほど飲んだ所で、晶が口を放した。吉男は運転席に乗り込むと、運転を再開した。


 晶の父である吉男の長男は市内の食品工場で働き、その嫁はスーパーでパート勤めをしている。


 保育園から体調不良の連絡を受けた吉男が仕事を早退し(20歳下の上司は嫌な顔をした。もし奴が自分の部下なら殴っている)、迎えに行った。

 長男夫婦に連絡をしたが、すぐに行けないと返事されたらしい。

(自分の子が具合悪い時に何をやっている!)

 頭に来たが、湯たんぽの様に熱い晶を抱きあげた吉男は、怒りが吹き飛んだ。早く病院へ。

 今日はついてない事に天候不良な上に、かかりつけ医が休診だった。先のコンビニで地図をコピーして、行った事の無い小児科医院へ。

 ついてなさ過ぎて腹が立つ。

 ワイパーを最速で動かしても視界が悪く、対向の大型車に多量の水撥ねを浴びせられる。

(次の交差点を右折、か)

 対向車が無いのですぐ曲がると、瞬間的に無重力になった。轟音。あり得ない方向に重力と衝撃。

(何?何なん?)


 ちゃぷん!ちゃぷん!カララン!!…ズン。


 酷い眩暈を吉男は覚えた。

(事故った…)

 目を開けると、雨に濡れた雑草が見えた。

(そう言えばシートベルト、締めたっけ?車外に飛んだか?)

 立ち上がると交差点脇の水田に、裏返しになった見覚えのある軽自動車があった。

「晶!!」

 駆け寄ったが、どうする事も出来ない。
 中から火がついた様に泣き喚く晶の声がした。車の窓越しに、水色の毛布が見える。

「晶、いま出すぞ!」

 ドアロックしてた事を思い出し、運転席へ回った。運転席を見た吉男はギョッとした。
 あり得ない方向へ血塗れの頭を捻じ曲げた男が、割れたフロントガラスからはみ出していた。


 そして、その男は吉男自身だった。


「よしお」

 訳の分からない吉男に、何者かが声を掛けた。声の主を見た吉男は凍り付いた。

「親、父…?」

 そこには15年前に63歳で急死した父が居た。いやいや。自分は頭を打って幻を見てるに違いない。

 とにかくドアを開けようと手を伸ばすと、手はドアをすり抜けた。

(何や、これ…!!)

「吉男、諦めろ。お前は死んだんだ」

 父:吉久よしひさは静かだが強い口調で言った。

(夢だ。とにかく早く中から晶を出さないと!)

 吉男は吉久を無視して、何度もドアの取っ手を掴もうと試みる。
 いきなり、吉久は吉男の首根を掴み引っ張った。吉男は咳き込んだ。

「ちょっと!」


 吉久は車から2メートル程離れた所で放すと、生前、吉男がやらかした跡を見つけた時と同じ仕草で(場違いにも、懐かしいと思った)、ある物を指し示した。

 そこには取れたサイドミラーが落ちていた。覗いた鏡面には、映っている筈の自分の姿が無い。
 それどころか、絶え間なく降り注ぐ雨の中、吉久も自分も髪や服が全然濡れておらず、冷たさも感じない。


「…分かったか?」

 静かに訊く吉久をすり抜けて、事故を目撃したらしい人が裏返った車に駆け寄る。

(死んだ?俺が?)

 呆然としつつ、吉男は無意識に自分の頬に触れた。

「あの子は大丈夫だ。来なさい」

 吉久は無表情で手を差し出した。



 気付くと吉男は吉久と共に、どこかの会社の様な所に居た。

(会社があった頃に世話になっていた、保険会社みたいだな)

「ようこそ不可称ふかしょうへ。極量センターの細羅と申します」

「同じく青蓮華と申します。宜しくお願い致します」

 保険屋の様な、黒スーツに白シャツ姿の2人の若い女がそれぞれ自己紹介すると、吉久は深々と頭を下げた。
 女に覚えは無かったが、吉男もそれに倣い頭を下げた。


 促された先には、『相殺審判室』というプレートの部屋。通された中は会議室の様な…。

(何か、テレビで見た事がある裁判所の様だ…)


 コの字型に10席程が配置され、何故か全ての席にA4大の『鏡』が、座った人間の顔が映る様な角度で設置されていた。


 席の1番端に吉久が座ると、その横へ座るよう促された。先の所員『細羅』が吉男の左へ、『青蓮華』が正面右側へ向かい合うように着席。

 傍聴席の様な所に、震災で死んだ妻の姿を見つけ、吉男は初めて自分が死んだ事が身に染みた。

 青蓮華が席を立ち、小冊子を場内の皆へ配布する。プリント数枚をホチキスで綴じたそれと、吉男にだけ通帳の様な物を渡した。


 淡緑の表紙には『ナガキタ・ヨシオ様』の印字と、鳥の羽の細密画の挿絵、上部には太字のゴシック体で『 天 獄 』とのロゴ。


(テンゴクとでも読むんか…?何だこれ)


 学校のチャイムの様な音の後、奥のドアから40代半ば位の女が入ってきた。女は白いスーツ姿で、いかにも他の人間より立場が上の様だった。

 妻らの座る席へ一礼、青蓮華に一礼、吉男達に一礼した後着席し、澄んだよく通る声で話し始めた。

「初めまして、審判長の無等です。これより、長北吉男様の相殺審判を開始致します」

 戸惑う吉男をよそに、無等は優しく微笑んで続けた。

「まず、最初に…。ここは天国でも地獄でもありません。俗に言う『あの世』との狭間です。肉体へ戻り生き返る事は出来かねます。どうか悪しからず…」

 吉男は上唇を舐めた。

(このオバはん…もしかして)

「そして、時間の概念はございませんので、じっくりお話し合いをしましょう。ここでは、生前の吉男様の行いを以て、今後の処遇を決定する場となります。
…それでは吉男様、お手元の『天獄帳てんごくちょう』をゆっくりお開き下さい」

(閻魔様っちゅう訳か…)

 恐々と天獄帳に手を伸ばすと、細羅が脇から説明を始める。

「こちらに記載されている数字ですが、これはお金の金額ではありません」

 開いて1ページ目、吉男の生まれた日付の欄には『新規 200,000』とあった。

「ご先祖様や、前世の吉男様が積まれた『天(徳)』でございます。これは生まれた時にプラス20万から開始した事を示します」

 微減・微増を繰り返し2ページ目へ。ある地点から10万ずつ増加している。吉久が言った。

「日付、覚えてるか? お前が長北製作所の方針転換をしたからや」


 そうだ。下がった収益を回復させるため、大胆な方針転換を打ち出した時期だった。
 6人しかない従業員に給料を碌に払えずにいたが、吉男が見つけてきた仕事のお陰で、やっと人並みに払えるようになった。


 吉久が続ける。

「お前は、この6人のそれぞれの家族までも救ったのさ。…嬉しかったよ」

(懐かしいな。栗原さんと阿久津は震災で死んじまったけど、木場くんは大手に入社する足掛かりとなったし、井佐さんと関さんには工場業務の要となってくれたし、佐伯さんは親子2代でやってくれた。…皆、どうしてるだろう)

 思いながら辿ると、残高はあっと言う間に300万近くになっていた。お金では無いとの事だが、増えるのを見るのは嬉しい。

 吉久は口を開く。

「俺にとって自慢の息子だったよ。…だがな」

 ページを捲ると、ある地点から支出が目立つようになる。

「天狗になったと思うんや」


 溜息の様な吉久の声を聞きつつ、辿った先は支出がかさみ残高が『0』。その後はマイナスとなっていた。


 吉男は思わず口を開く。

「マイナス? これ、どういう事?」

「マイナスはつまりプラスの逆。『悪い事』ということですね」

 細羅の返答に、吉男はムッとした。

(俺は別に人の物盗ったり、犯罪なんかしてないぞ!)

 吉久は静かな声で言う。

「思い出しや? 俺が死ぬ少し前だ」

「ええ? …工場2つ目作った事か? 別に、騙して工場用地取ったとか、他社を陥れるみたいな事はしてないぞ」

 それどころか、その当時は優良地元企業として、県から表彰されたのに。納得のいかない吉男に、青蓮華が尋ねる。

「それでは、確認しますか?」

(手違いに決まってる)

 吉男は了承すると、鏡は一瞬暗くなった後、テレビの様に映像が流れ始めた。

しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

茨城の首切場(くびきりば)

転生新語
ホラー
 へー、ご当地の怪談を取材してるの? なら、この家の近くで、そういう話があったよ。  ファミレスとかの飲食店が、必ず潰れる場所があってね。そこは首切場(くびきりば)があったんだ……  カクヨム、小説家になろうに投稿しています。  カクヨム→https://kakuyomu.jp/works/16817330662331165883  小説家になろう→https://ncode.syosetu.com/n5202ij/

教師(今日、死)

ワカメガメ
ホラー
中学2年生の時、6月6日にクラスの担任が死んだ。 そしてしばらくして不思議な「ユメ」の体験をした。 その「ユメ」はある工場みたいなところ。そしてクラス全員がそこにいた。その「ユメ」に招待した人物は... 密かに隠れたその恨みが自分に死を植え付けられるなんてこの時は夢にも思わなかった。

8階の話をするな

あらいりゅうじ
ホラー
どこまでが本当の話で、どこまでが創作なのか。作者自身が分からない旧帝都の怪奇を描く近時代劇 平成のブラック企業よ!これが昭和のブラックだ!

ドス黒なずみ童話 ⑤ ~どこかで聞いたような設定の娘の婚活~【なずみのホラー便 第44弾】

なずみ智子
ホラー
ラストの素材は『ラプンツェル』!――『ドス黒なずみ童話』5本目 ドス黒なずみ童話のラスト5本目の素材は、「ラプンツェル」です。 いろいろツッコミどころ満載であり、ショートショートのくせに前後編の2話に分かれての更新です。 後編ですが、2019年7月17日(水)までにはアップできるよう頑張ります。 ★1本目★ 【ややホラー風味な】ドス黒なずみ童話 ① ~どこかで聞いたような設定の娘とのお喋り~【ショートショート第40弾】 ⇒https://www.alphapolis.co.jp/novel/599153088/294278058 ★2本目★ 【ややホラー風味な】ドス黒なずみ童話 ② ~どこかで聞いたような設定の娘の眠り~【ショートショート第41弾】 ⇒https://www.alphapolis.co.jp/novel/599153088/515279614 ★3本目★ 【ややホラー風味な】ドス黒なずみ童話 ③ ~どこかで聞いたような設定の兄妹たちのお使い~【ショートショート第42弾】 ⇒https://www.alphapolis.co.jp/novel/599153088/949280694 ★4本目★ 【ややホラー風味な】ドス黒なずみ童話 ④ ~どこかで聞いたような設定の少女の失踪~【ショートショート第43弾】 ⇒https://www.alphapolis.co.jp/novel/599153088/459283745 本作は「カクヨム」「小説家になろう」「アルファポリス」の3サイトで公開中です。 なずみ智子の【ホラー風味なショートショート】とかのネタバレ倉庫も用意しています。 ⇒ https://www.alphapolis.co.jp/novel/599153088/606224994 ★リアルタイムでのネタバレ反映ではなく、ちまちま更新予定です。

寝室から喘ぎ声が聞こえてきて震える私・・・ベッドの上で激しく絡む浮気女に復讐したい

白崎アイド
大衆娯楽
カチャッ。 私は静かに玄関のドアを開けて、足音を立てずに夫が寝ている寝室に向かって入っていく。 「あの人、私が

血だるま教室

川獺右端
ホラー
月寄鏡子は、すこしぼんやりとした女子中学生だ。 家族からは満月の晩に外に出ないように言いつけられている。 彼女の通う祥雲中学には一つの噂があった。 近くの米軍基地で仲間を皆殺しにしたジョンソンという兵士がいて、基地の壁に憎い相手の名前を書くと、彼の怨霊が現れて相手を殺してくれるという都市伝説だ。 鏡子のクラス、二年五組の葉子という少女が自殺した。 その後を追うようにクラスでは人死にが連鎖していく。 自殺で、交通事故で、火災で。 そして日曜日、事件の事を聞くと学校に集められた鏡子とクラスメートは校舎の三階に閉じ込められてしまう。 隣の教室には先生の死体と無数の刃物武器の山があり、黒板には『 35-32=3 3=門』という謎の言葉が書き残されていた。 追い詰められ、極限状態に陥った二年五組のクラスメートたちが武器を持ち、互いに殺し合いを始める。 何の力も持たない月寄鏡子は校舎から出られるのか。 そして事件の真相とは。

(完結)私は家政婦だったのですか?(全5話)

青空一夏
恋愛
夫の母親を5年介護していた私に子供はいない。お義母様が亡くなってすぐに夫に告げられた言葉は「わたしには6歳になる子供がいるんだよ。だから離婚してくれ」だった。 ありがちなテーマをさくっと書きたくて、短いお話しにしてみました。 さくっと因果応報物語です。ショートショートの全5話。1話ごとの字数には偏りがあります。3話目が多分1番長いかも。 青空異世界のゆるふわ設定ご都合主義です。現代的表現や現代的感覚、現代的機器など出てくる場合あります。貴族がいるヨーロッパ風の社会ですが、作者独自の世界です。

心霊便利屋

皐月 秋也
ホラー
物語の主人公、黒衣晃(くろいあきら)ある事件をきっかけに親友である相良徹(さがらとおる)に誘われ半ば強引に設立した心霊便利屋。相良と共同代表として、超自然的な事件やそうではない事件の解決に奔走する。 ある日相良が連れてきた美しい依頼人。彼女の周りで頻発する恐ろしい事件の裏側にあるものとは?

処理中です...