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ハルシネイション・ヘヴン

芙蓉

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 ハンドルを握りつつ、未琴は助手席の広空に言った。

「あたしだって、あの2人を心配してんだよ? こっちなかなか来れなかっただけで」


 未琴の車に、置いてあるという頭痛薬を切らしていたので、近くのドラッグストアまで広空が運転して行ったのだが、到着早々に治ったという。


 一杯食わされた。広空が口を尖らす。

「コウ達に内緒でこっち来て、いいのか?」

「あら、何で兄貴の許可要るの?」


 言いたい事はあったがやめた。捜査の事を明かしても、未琴はきっと止めないだろう。


 広空は未琴に見えないよう、携帯を操作し、そっと指で塞ぐ。

「…お前、曇天行ってどうするの?」

「テルさんに紘子の事を確かめたいの。それから、他に2つ…」


 未琴は曇天に繋がる道を使わず、右折した。3日連続でその道を通って来た広空は、驚いた。


「え? 曇天行くんじゃなかったの?」

「行くよ。別ルートから」


 市街地を外れ、田園地帯へ。道路案内では、先のT字路を左折すれば『上栄』。


 未琴は口を開いた。

「パチンコ屋…。あの緑の看板判る?」

「おう。あれが、望の車が映ったカメラがあった?」

 夜目にも、電飾が目立つのでよく判る。


 未琴はウインカーを付けると、パチンコ屋の遥か手前、農道へ強引に車を進ませた。車の底に何かがドスンと当たる。


 未琴は苦笑した。

「ヤバッ! 穴開いちゃうかも」

「無茶すんなよ。…何? この先、曇天に通じてんのか?」

「『元』だね。今は封鎖されてる筈、なの」



『ハズ?どういう事?』

『あたしが小学生の時に、その道沿いで殺人があってさ。…敵がそこから侵入して、殺したんじゃないか?って、封鎖されたの』


 車内の人間に聞こえるよう、スピーカーホンになっていた。広空は未琴に気付かれぬよう、皇介に電話をかけていたのだ。


『…見てあれ』

 未琴の声と共に、サイドブレーキを引く音。続いて広空の声。

『…これが封鎖?ただロープ引っ掛けてあるだけじゃん。それとも、式獣でも仕掛けてる?』


 様子の見えない皇介達へ、広空が自然な感じに状況を説明する。未琴の声。


『おかしいな。あたしが地元に居た頃は、コンテナみたいなので道を塞いでいたんだよ?
…でもこれではっきりしたでしょ?ノゾさんの車は、ここを通ったからコンビニのカメラに映ることなく、曇天を抜けて、あそこのパチンコ屋のカメラに映ったんだよ』


 穂香と平井は、地図で確認する。まさかの展開に、皇介は落ち着かないながらもハンドルを握るだけだった。


 広空の声。

『この道、どこに続いてるんだ?』

星火寺せいかじ。…リュウくんちのお寺の、駐車場の傍。元々は、リュウくんちの北側の住んでた人が、この道を管理してたの』

『…してた?』

『…曇天の外だし、いっか。心中したの。曇天で毎年やってるお祭りの時に、人を殺してさ。捕まる直前に、夫婦で心中して。
あたしもよく知ってる人だったから、ショックだったなぁ』

『そうなんだ。殺人って、糸遊を?』

『噂で聞いたのは、犯人の旦那さんが難病で、治すのに糸遊の血だか肉だかが必要って、迷信を信じたらしいよ。酷い話よね』

『うわ。何それ』


 その会話を聞いた、穂香は思わず顔を上げ、動きを止めた。



―昔、ある所に、心優しく働き者で美しい娘が居た。名を芙蓉と言った。―


 穂香はタブレット端末を取り出すと、物凄い速さでタップを始めた。平井が尋ねる。

「凪原、どうした?」

「ええ、ちょっと。…皇介くん、今年って奇襲から節目の年?」


―ある時、フヨウは不治の病に倒れ、余命が幾ばくも無い状態になってしまう。―


「確か。二十三回忌、かな?」

 皇介が返答すると、電話から未琴の声がした。

『どうする?近寄ってみない?』


―娘を助ける手立てを探し、年老いた父親は村外れの怪しい老人の元へ向かった。―


『でも、ロープの向こう曇天っしょ?俺ちょっとでも越えたら、常駐部隊来るだろ?』

『あ…だよね。ギリギリまで行ってみない?』

『まあ、何か見つかるかもだしな』


―『お前の娘は助からない。だが、これからもずっと一緒に居れる方法がある』―


 ドアの開閉音が2つ。降車した。


 皇介はメインストリートから、曇天へと向かった。先の旧道には未琴の車があるので、行ったら詰まる。


 平井は再度尋ねた。

「…何か、思いついたのか?」



―程なく満月の夜、フヨウは死んだ。父親は老人に教えられた通り、荼毘に付した。―


「…はい。もしかすると、繋がったかもしれません」

 電話から広空の声。

『さっきミコが言ってた確かめたい事って?』


―その翌年、父親は遠くの村から、言葉巧みに少女を1人、連れ出した。―


『1つはココ。この道がどうなっていたのか』

 砂利を踏む音と、虫の声。

『もう1つは、赤峰さんが言ってた防犯カメラの話』


―そして満月の夜、少女と共に大成山の洞窟へ行き、父親は懐から小箱を取り出した。―


『コンビニの前を西に行ったって言ってたよね?ふもと行くなら東へ行くしコンビニの前は通らない。
…コンビニより西の、誰かの家行ったんじゃないか?って思うの』

 皇介の首筋を汗が伝う。未琴は一体何を考えているのか。


―中身は、娘の魂と灰だった。老人から教えられた通り、父親は少女の身体を傷つけずに魂を抜くと…―

 未琴は続けた。

『ノゾさんはだいたいの人の家に行くけど、真姫さんは限られてる。テルさんが結婚するまでは家行ってたけど今は無いから、リュウくんちとか。理絵さんちは歩くのに遠いし』



―フヨウの魂と灰を少女に込めた。フヨウは少女に宿り、生き返った。―

 広空の声。

『その2人には、行って話を聞いたけど、会ってないと言われたな。…嘘だったか』


 タブレット端末の操作を止めた穂香が、口を開いた。

「迷信を信じた事による事件が、再度発生したのかもしれません…」


―様子を覗いていた若者が、父親の死後、強引にフヨウを嫁にした―


「何だって?」

「1989年、8月24日から28日にかけて、月齢は3.6から7.9」

 穂香のタブレット端末は、国立天文台の月の満ち欠けカレンダーを表示していた。


―そして、老いて死んだ翌年、死んだ日と同じ月の日に若い娘と魂を入れ替えた。―

 穂香は続けた。

「今年は22年目…、二十三回忌に当たります」

 画面をタップし、今度は葬儀屋の法要年早見表を表示した。


 解けていく。望と真姫が向かって行っただろう、道筋が明らかになっていく。皇介の手の汗が、ハンドルをべたつかせる。



―フヨウは、そうして何十年もの間、色んな男の達の間を彷徨うように生きたのだ。―


『おい!!』

 広空の大声に、車内の4人は息をのんだ。何があった。未琴の声。

『え、誰?』


―ある時、大成山が噴火した。―


 遠くで何者かの声?と近づく砂利を踏む音。上ずった未琴の声。

『えっ?えっ?嘘でしょ?』

 嫌な予感。運転中だが、思わず皇介は自分の携帯を見やった。


―娘はその時、『神が禁じられた生き方をする自分に、怒りを示した』のだと考えた。―


『ミコ!!車へ!!』

 広空の声が響く。走ってるのか、砂利を勢いよく踏む音。未琴の悲鳴。

『キャアアア!』


―娘は噴火を鎮める為の、人身御供に名乗りを上げた。―


 その1.5秒後に、皇介の携帯は凄まじい轟音を伝えた。ゴトン。ガサガサ。一瞬鳴き止んだ蛙の声と、誰かの呻き声。

 皇介は思わず叫んだ。

「未琴⁈ うー⁈ 畜生!! どうなってる⁈」


―娘が噴火口に身を投じると、噴火が収まった。―


 車のドアの開く音と、何かを引きずる音。誰かが息を弾ませる音と、ドアの閉まる音。乱暴にサイドブレーキを外し、砂利道を急発進。

 ジャリジャリとタイヤが砂利を踏む音が次第に遠ざかる。


 広空の携帯は、蛙と虫の音しか拾わなくなった。



―それ以来、大成山は芙蓉山と呼ばれるようになった。―

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